蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

ずっともう二年ほど岡村孝子さんんの曲に魅了されています。

今でも、彼女と彼女の歌声、曲のメロディーが好きでどうしょうもない。それまではシューマンやショパン、ドビッシーなどに耳を傾けていたのでしたが。
就寝前から起床するまでずっと岡村孝子さんの曲を聴いている。
だが、あまりにも素晴らしすぎて、彼女の曲はわたしにとってはBGMにはならないということが二年間もすると分かった。やっと分かった。メインにどうしても彼女の名曲はなってしまって伴奏とかバックグラウンドミュージックにはなりえない力と魅力をもっているのです。それで、二年前に戻ってモニターに向かうときにはクラシック音楽に戻そうと決めました。
でないと、わたしからはなにも実際には生まれない。たんなる受身人間だけの存在で人生が終わってしまう。創るもの、能動的な人生のためにはメインはわたしの思考が占めなければならないのであり、必要なのはBGMなのだから、クラシックで良いと思う。なにもなくても書ける人がいるらしいけれども、それでは取り残されてしまうという不安が生じる。もっともそんな不安を持ってしまうような奴、わたしはその水準でもう駄目なのかもしれないですが。
彼女には就寝、起床の時間帯に歌って頂くように設定したい。あるいは能動的なことを停止したときに聴きたい。
彼女、健康状態はどうだろうか。SFのような状態にわたしたちは生きていかなければならない。あれはラボアから流れ出てしまった伝染病なのでしょうか?