蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

現在のわたしの創作への心理。創作態度

梶井基次郎が、そして芥川龍之介も思慕する文章、それが志賀直哉。そんなことから好きにはなれなかった直哉の暗夜行路も取り寄せてトライしてきたが、やはり半分ほど読んで限界を感じて積読状態となっている。


それでも諦めずにドイツ語の翻訳も持っているので学習面からYTを立ち上げていき、あらためて短編集を読み直した。あらたに気に入っていた作品も読み直し、到底よまずに終わったはずの作品も読んだ。例えば豊年虫とか痴情とかであった。豊年虫は読後感も良かった。読後感のまずく、こういうものを直哉に書かせたのはなんだろうかと疑問に思わせるのは『児を盗む話』である。心境小説、私小説的な作風の彼がこれを書いたということに、直哉の言葉を借りれば、不快な感じを抱いた。


表題について書くことを危なく忘れるところだった。
作品集の解説のなかに、白樺派の雑誌に好きなことをほぼなんの制約もなく彼らは発表したとあった。この文章には以前にも触れたはずだったが、いま、はっきりとうなづけた。


わたしもそうしようと思った。