蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

通訳は最終目的ではない。あくまでも手段にしか過ぎない

こういう公開日記を書くにあたって、自分のアイデンティティーがばれないように注意を払っています。これは他の方がも同じだと思いますが。自分の正体がばれてしまった瞬間にわたしはこの日記を消去するつもりでいます。
現実に生きていかなければならないので、もちろんこんなことは皆様も同じだと思いますが、こんな日記を彼が書いているということでうわさにでも上がってしまったら、現実社会では生存しずらいという状況からこの不安は着ています。


ところで昨日同僚に助けられた。身分証明書の件で、これまでにわたしに横槍を投げ、攻撃をしてきた人に電話をしてこの件を吐露してみたら、去年の経験からそれ自体がいらないという情報を言ってくれて、かれとしては単なるインフォかもしれないが、私にとっては大変なことで、今日はまず朝一番で所轄の官庁に並び、それから遅れて、侘びをなんども繰り返しながらお客と対面になるのかなと信じていた。それが不必要になった。
 わたしがもう通訳などという事務的な仕事、しかし金にはなるのですが、関心があまりないことを知っているので彼もいう気持ちになったのかもしれないし、これぐらいはなんでもなかったのかもしれない。立場が逆になっていたら、やはりわたしも熟知していることをずばずば語っていたと思う。


 彼とは一緒に今日から仕事をすることになっているが、こちらは言語にあまり熱をもう入れなくなっているので、そんな通訳をするんだったら、日本語で自分だけしか書けない-村上龍あたりに言わせれば、そんなものはもう出尽くしてないよと言われるのかもしれませんが、それでも、私自身にとっては掛け替えの無いテーマですがーことをなんとか文章にして纏め上げたいと思っているのです。もちろんなにかの賞がとれればいいのだとは思いますが、文藝評論家の言うことには殆ど感知していません。その点においては。ひとつ距離をおいて、姪の子供たち辺りにいつか何十年かのちに紐解いてもらえればいいな、そして読んで大叔父のひとりにあんな、こんな青春があったんだと思ってもらえればそれで良いと言う気持ちです。
ただ書き始めるとばらばらな断片、破片ばかりで収集がつかなくなっていて、何十年間も傍らに放置してあるような状態です。
のろうべきは仕事なのかなとも思います。職種まで書かなくてもうすうす気づかれてはしまうかと思いますが、この仕事をするためにはいろいろな情報も必要で、テレビでドキュメントとか放映されているとしがみついてみてしまいます。しかも何時間ででもです。
ましてや16歳以下でなければバイリンガルは不可能といわれている言語に関係する仕事、通訳もしているので、実際にこの仕事が入ってしまうと、一週間も前から、その内容はどんなものであるのか、どんな語彙が必要となってくるのかと種々さまざまなことがわたしの精神活動のなかに侵食してくるので、創作はどんどん離れていってしまいます。日記は好きなことを無責任に書いていればいい、相談役でもありますので、書けますが。
また、愚痴っぽくなってきてしまいました。愚痴の聞き役という役割も日記にはあるのではないでしょうか。でもそれは公開していない時期だけにいえた言葉かもしれませんが。


外国での日本生活というランクで一位になっていたので驚喜でした。