蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

創作に無関係な余計な方向にばかり行ってしまっている

躁鬱の気もあるのかもしれない。
準備をつまり語彙などの予習みたいなことをしなければならないのに、昨日は仕事を終えた後、二ヶ月前から気にしていた、しかし拾い読みをしてみて、この読書は時間の無駄、浪費だとみなしていた本をやはり気になってしょうがないので買いに古本屋に行った。
武田泰淳の奥さんの書いた日記三冊である。ところが店にはいると家主がこの前見つからなかった又吉直樹のエッセイがまだあったと声をかけられた。
それで、帰るときには合計四冊の日本語の本と、前もって学習の参考にと思って注文していたHemingwayの武器よさらばを英語で買って5冊になっていた。


創作というか、書きたいことを読み直して纏める方向で推敲して行かなければならないのに、やりたいのに、ますます私は違うことのほうにどんどん逸れて行ってしまう、そんな気がする。


早く精神的な膂力を何週間も吸収されることのない、通訳以外の仕事をしたい。そのほうが考えるパワーを執筆にもっていけると思うから。