蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

『17時…』初稿が完成。とりあえず自己満足。名も知れぬ花。

『火星の人』日本ではなんと『オデッセー』に関してのコメントを書いたら、ナイスという方々が、わたしのブログとしてはたくさんいらして、嬉しい喜びを経験しました。有難う御座います。


 それと、この年齢になって、やっと本当にそういえますが、脱皮、自己克己とまではいきませんが、一種の脱皮に成功して、2018年4月23日の午後5時前に『17時…』の初稿ですが、書き終えました。一週間前の私には想像を絶することです。考え方の転換がこういう自分を齎したと言えます。
 転機が遅い!と悔やまれますが、まだこれから残り少ない時間を使って書くべきことを書いていこうと気持ちを逞しくしてます。
 この転機は文学者として通っているある作家の短篇の読後に、これだったら自分の考えていることも書いていいんだと思ったことからも着ています。


 ひょうんなところから武田鉄哉の言葉を聞いて同感したこともあります。彼は、村上春樹の作品を読んでいて、これなら自分でも書けると思った、というくだりでした。


一週間前ほどに駅の花屋で3,99ユーロで買ったアザレアから新しい枝と葉が生まれ出た。これはなんか嬉しいです。

こちらの紫色の花のアザレアは深く埋め過ぎて陽光が葉っぱにあたらないのか、草臥れ始めてきてしまったようなところがある。うまく育ってくれることを祈ります。


この下の花の名前は知らない。他のベトナム人の花屋、八百屋をかねた、アジア食料品店で2,99ユーロで買ったものですが、だいたい名前もなにも札に書いてなかったのです。尋ねようと思ってレジに並んだ途端にすでに尋ねることを忘れてしまってました。
可哀想な名もない花、名も知れぬ花。
ところで、近代文学作家の表現に名も知れぬ花とか書いている人が多いと言います。