蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

我が家には二匹の可愛いオス猫もいた。

 昨日は一度放置した作品『H薔薇』を再び取り上げ、薔薇の名前をネットのジョインで傍観しながら通読もし推敲していた。意外と捗って私を幸せにしてくれた。
 だが、深夜の四時ごろにベットに横になると、やはり呼吸ができなくて、肘をたてて上体を起こさないと酸素も供給できないという状態になった。ましてや太腿まで足が浮腫んでいるのに驚かされた。
 3500ユーロ自己負担だが、2022年の年内にクリニックにでも入っていれば、保険会社が出してくれたはずだったが、医者を嫌い恐れる余り行かないで終わった。来年に行くとなると、新たにまた3500ユーロを自己負担しなければならなくなる。だが、しかたのないことだ。必要悪といったところだ。
 太腿までの浮腫みから、オス猫サッシャの脚が最後には浮腫んでいてちょっとぶよぶよという感触だったのを思い出した。自分にも終りが近づいてきているのかと思ったりする。今年はつくづく病気、手術、入院と、これまで無視し、自分には無関係と思った世界に徹底的に放り込まれ、健康の管理不足のしっぺ返しを受けたという感じの年だった。
 でも、まだ死ねない。文学賞とか受賞しなくても、書きたいことがいくつもあるから。それを書き上げてない以上は死ねない。

もう4回ほど視聴したかもしれない。エディット・ピアフの伝記映画をみた。よく出来ていると思うし、ひどい生活環境のなかで幼少時代を過ごし、グーの音もでない。酷すぎると思う。私は母親にさんざん殴られて生きてきたけれども、まだ食べるものと寝る場所があった。それだけは不安に思う必要もなかった。