蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

I氏と食事、そして愛妻の墓参

 午後一時半に恩の屋で食事をすることになっていた。
私は心配性なので、遅れないように午前中に愛妻の墓参を予定していたが、薔薇の蜂を買って、土を掘り起こし、そして三本の真ん中に植えてある赤い薔薇の木を根っこから掘り起こして植え替えなければならないと思っていた。そのためには二悲観ぐらいの時間では足りないかもしれないと思った。いっそのこと食後にアジア食材店に行って納豆とかお煎餅とは言わず、それは高すぎるからせめてあられでも買おうと考えていたが、それを予定から外して、午後に妻の下にいこうと予定を変更した。
 最寄の駅には40分も前にわたしは到着していた。それで駅のなかのキオスクに入りそこで時間を潰すことにした。本の背文字とかいろいろみているうちに時間はあっという間に過ぎてあと待ち合わせの時間まで15分間となってしまった。
 病気上がりなのでそれほど早くはあるけないので、和食レストランまで決して余裕のあるものではなかった。ぎりぎりという感じだった。
 それでも、時間前に着いた。
 I氏からスマホに連絡が入り、遅れてくると行って来た、
 わたしは感染しずらい外にあるテーブル四つのなかのひとつを狙って玄関のそとでぶらぶらしてI氏を待った。
 席が空いてすかさずその場に座り込み、メニューを眺めているとわずか5分おくれで枯れ葉やってきた。意外と早かった。
 わたしたちはフライ弁当を注文して食べた。
 写真を撮っていればここに掲載することができたのだったが、それをすっかり忘れていた。残念。久しぶりの外食でもあり、美味しかった。
 ただもともとオオぐらいであるので、まだなにか食べたいと思ったが、I氏はその分量で満足と言うことだった。
 そしてベルリーナシュとらーセまで一緒でそこで分かれても良かったが、そのまま私はシュテーグリッツまで乗って、そこで一駅Sバーンで植物園駅までいくつももりだった。すると彼がじかんがあるから一緒に私の妻の墓参に行くと言い出してわたし祖驚かせた。


 まず最寄の花屋に入ったが、三日前にはあった赤い薔薇の鉢がなくなっていた。全部売切れてしまっていた。やむなく一輪の赤い薔薇を買って妻のもとにいった。
 真ん中の薔薇だけでも根っこから掘り起こして植え替えようと思ったが、やはり人がいる、彼を待たせてしまうと思うとシャベルも用意してきたのにできなかった。
 早めに妻のもとを去り、駅の近くで彼に、せっかく来てくれたのでアイスクリームをおごってあげた。ひとつ1,70ユーロだった。二つづつ持ってもらって座って食べた。高いほうだった。
 そして地下鉄の彼のヴァルターシュライバー駅で別れ、わたしは七号線に乗り換え、終点まで行くと、まだこのまま帰るのは惜しい気がしたし、まだ退路yジュ的にも頑張れると思って、162号線に乗ってアジア食材店にいってみた。キムチという名前の大きく綺麗な店だった。店舗用の家賃も安くないだろうと思われた。名前からシテ恐らく勧告の人がオーナーなのだろうと思った。
 醤油1Lを二本、小粒納豆6っこ、黄な粉餅、焼き蕎麦カップヌードルなどを買って帰宅した。
 自宅から近いところを開発できて、新しい店を発見できてサクセス感覚をもてた。
 帰宅するとあられをぼりぼり食べ始めた。やまとという名前のあられだ。たかいけれども、それは仕方がない。黄な粉餅も箱のわりに中身が小さいのがよっつ入っていて、解凍すると全部食べてしまった。とまらなかった。30.Aug.22