蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

月曜日 薔薇を二本

2022-05-02 月曜日 薔薇を二本


 11時頃に起きた。体調はまずますというところだった。部屋の中を歩き回って、何をするか、何から先に行うか考えた。日曜日?に発見した、もう私は知らない、土曜だったか、日曜日だったか。IOで録音する方法だ。17時間ぶっとおしでソニーに頑張ってもらって村上春樹のドイツ語読みでハードボイルドがあったが、それを録音していた。かなりの酷使だ。
 次に、ゲーテの伝記を録音し、谷崎の鍵にはいったときだった。故障した。録音できなくなった。これは休憩が必要だと思った。
 NPに行った。すでに時刻は午後三時半だった。時間が消えていくのは早い。本当に早いとショックを受ける。
出かける前にミュスリーを牛乳で食べた。なにか腹にいれとかないと、途中でめまいでもしたらこれも大変なことだと思ったから。オートミールのことだが。
 つっと幹が高くなってから枝葉が伸ばされているおしゃれなバラが9,99とあったので買いに行った。そこまで歩くのがやはり楽ではなかった。そして行ってみて値段をみると赤ラベルにはなっていたが、14,5ユーロだった。約束、広告が違うと憤りもし落胆もさせられたが、その薔薇の隣の花は9,99だった。もしかしたらこちらの値段を私が見ていたのかと思って、あきらめた。5ユーロの違いだが、こんなことで憤ったって仕方がないと思った。世の中にはSven MichaelsenやSteinのように、300Tausendユーロや10Tausendユーロを盗んだり騙したりする奴がごろごろいるのだから。
 そしてミルクを二本、ミュスリを一袋買い、バラは赤を一本高くても買った。おそらくこの料金でもまだ安い方だろうと思ったから。
 するとレジのイスラム圏の男なのか、ドイツ人なのか、わたしに値段は9,99だと言ってくれた。じゃ、ということでわたしはもう一本ピンク色の薔薇を手にした。
 帰宅してはさっそく紐で結わえてバルコニーにだした。夜も外に出しっぱなしになるが、もう5月だし大丈夫だろうと思ったのだった。毎日この薔薇を見たい。それから、すぐに戻ってもう二本の薔薇を買いにもどりたいと思った。が、体が続かなかった。ベットに横になった。上腕にも痛みを感じていた。今日は妻の来ていた緑色っぽい紺のTシャツを着て、そのうえに3ユーロの長袖の黒字で白い骸骨マークのあるのを着てでた。帰宅してTシャツのまま横になって、上腕を触って揉んでみてみる。骨に柔らかな肉がぶよぶよついているだけで、筋肉がほとんど感じられなかった。だから、腕を振るだけでもう筋肉痛が発生したということなのだろうと思った。足腰がスクワットと散歩である程度恢復に向かっている気がするのでこちらも少しづつ挽回したいと思った。
 胴体が勝手に膨らんでいて嘔吐感がある。ルードーのスイスという小庭園で二匹の犬と散歩する図体のでかい、髪は短いが人の良い感じの薄着の男に出くわした。一匹はゴールデンレトリバーだった。メスだった。でもまったく来夏とは違う顔や体型だった。NPの入り口前にも鎖でつながれた同種の犬をみて、思わずよって話しかけたことがあったが、しつけが良すぎるのか、冷たい女のように私のことなどは相手にもしなかった。このメスの犬も来夏とは顔も体型も、もちろん性格も違っていた。
 胴体がはって辛くてベットに再び転がり込みたいが、だと全然よくはないので、頑張って無理して椅子に座り、ソニーとアソスのスイッチをいれた。
 ポール・ポットを視聴している。アソスでは日記を今書いている。00:33 2022-05-03


 今日食べたものは牛乳をかけたオートミール、そこにのせたブドウ十粒ほどだった。そのあとで買い物を兼ねて散歩をした。なのに、横になった後で、眠りにも入ったのがいけなかったのか、胴体がぐつぐつ不快に煮えだしていた。あんなものしか食べてないのに!ちょっとショックだった。そんなことはないはずだとは思うのだが、悪いのは牛乳よりもオートミールのほうの気がする。


 ところで、ショックと言えば、ユーチューブで頭脳王というクイズ番組を見たことだった。数学の王とかいう若者がピカソの長ったらしい下の名前をすべて記憶していて、ちょっと難しいことに出くわすとかえって挑戦してみたくなるという感想を述べていたと思うが、計算はもちろん超人的に迅速で、こういう、ほんとうに頭のよい人たちがいることに驚かされた。ただ、良い方面に活かせることを、その能力を活かしてなんらかの貢献を人類にできることを祈りたい。モーツァルトやアインシュタインのように。130と170のIQだったが。ゲーテは220とか。
 ドイツ系ユダヤ人でハンガリーに移住したフォン・ノイマンという男が史上もっとも知能がたかく300はあったのではないかという話だが、この人も確か数学者だった。01:17 2022-05-03


 ドビッシーの美しいピアノのメロディーに魅されている。YTでずっと聴いているのだが、お蔭様で日記以外はなにもできない、書けない。森村誠一を大昔読んだことがあったが、作品主義という言い方を彼はしていた。作品を書くことを優先とするというような意味だが、わたしなどは土台こういう厳しい態度が自分に対して欠けている。誰がドビッシーの月の光に抵抗できるだろうか。01:39 2022-05-03


 高校生時代に齧ったアラン・フルニエの『さすらいの青春』を手に取れる物だったら読んでみたい。こちらにいたらまず金がなければ不可能だが。だいたいドイツ語だってないだろう。
 三島もラディゲには感激しているが、フルニエにはさほどでもない。
 自分の小中学生時代のことが思いだされる。もう半世紀前のことだが。01:42 2022-05-03


 昨日は寝入るためにベットでは人生に文学をという講座のなかから、浅田次郎を聞いてみた。彼が三島のかいたものが面白くないと言っていたが、それはあまり気にならなかった。趣味の問題だからと思ったから。でも、川端康成の雪国とか彼が絶賛しているのには驚かされた。しかも座右の書にしているというのである。シンプルでナチュラルでオリジナルであるのが望ましいとかれは断言していたが。雪国は列車のなかで窓に人の顔が映るシーンがあったが、もっと自然に書けないのだろうか?これは彼が下手なのだからぎくしゃくしているのだろうかと否定的にわたしなどは感じてしまっていたが、そして雪のお蔭で暗闇が白く明るいのは別にこれといってオリジナリティーはわたしには感じられなかった。感覚が貧しいし、手垢がついた描写という印象しかもたなかった。だいたい顔で判断してはいけないが、わたしは彼の顔ですでに拒否反応を持ってしまっている。まだ三島のほうが彼自身の臭いは強いが、それが魅力にもなっていてよい。外国でも日本文学でも執筆しているのは、読むのは論理性を持った人間の頭脳なので、川端を例外的にみてやるというのもおかしい話だろう。01:56 2022-05-03


 ドビッシーの月の光を聴きながら、ブラッド・ピッド主演のチベットの七年間という映画を思いだした。そこでもこの曲がオルゴールで演奏される。チベットを占領したがる中国が最後はやはり腕力で攻め込みてめえのものにしてしまうという事件だが、ロシアがちょうどおなじことをウクライナにたいしてやっていて、超大国で核保有国だから誰も何もできない、見送る、併合されつつある小国を犠牲にしているという状態だ。ヒットラーはチェコを保護国としミュンヘン会談で併合された国が我慢を強いられるという結果だったが、歴史は繰り返されている。大戦争に突入しないためにということで、あのときはチェコを犠牲に捧げた。チベット、そして今度はウクライナということか。神様はなにをしているんだいったい。なにもしないのか?だいたいあなたは存在するのか?
 信じる者には存在し、信じない者には存在しない。これが正解だろう。
02:04 2022-05-03