蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2022-05-01 日曜日

2022-05-01 日曜日 B


 今朝床に就いたのは早かったのだが、全く眠れなかった。それは上腕が痛くて、あたかも、血管のなかに、こちらの水道の水に石灰カルクが流れ込んでいて、それが血管の壁を傷つけていて、絶えず、それでどうしても痛みが止まらないかんじがするのだ。両側の上腕を叩いてみよとも思ったが、そんなんで治るわけもないと思った。それから、腕を使わないから筋肉がしぼみ中で、それで上腕に痛みを感じるのだろうとも思えた。それで、腕立て伏せとか、肘から上までの変な立伏せを、どこかで視聴してそれをやってみた。だが、結果はさらに悪くなった。上腕に痛み止めの注射でもしてもらいたいほど独立した痛みをそこだけに感じる。自分がいることを主張してやまないかのようにずっと何時間も痛みを発してくる。上腕をいっそのこと切り取ってもらいたいぐらいなのだ。なんで紺目に合わなけれg場ならないんだと髪を恨む気持ちになった。頭痛薬のアスピリンが良いと、普通の痛みにも良いときいたことがある。それで、水道の生水で飲んだ。でも、効き目は30フンしても、1時間しても現れなかった容易な気がする。
 さい なぜなんだ。原因が知りたかった。散歩していて胸と上腕がいたくなったのが最初に痛みの経験だった。ただ上腕を降って早歩きしようとしただけなのに、それで腕の筋肉が痛み出すなんてことがありうるのだろうかと不可思議だった。
14:40 2022-05-01


 起床は午後1時だった。小尿のあとで、もちろんのことでちいち断るまでもないのだが、たまには書いておいた方が老老後の自分にはいいかなとおもってだが、1.1で75.7kgだった。75kg代だからとりあえず満足。上腕の痛みは大人しくなっていた。
 けるとんとしては、筋肉は成長する時に細かくぶち切れになるとか、青の修復と発展のために菌にk寿賀いたくなるとか、そんな話を思いだした。納得のできるところだ。一応。でも、そうに違いないと思える。差塩gの時間の記憶は午前7時だった。6時かンほど眠れたことになる。15:11 2022-05-01


ケペニッカーStr.からブックスバア有無の道に曲がろうかと思ったが、yはり、昨日歩いたばかりの場所でもあるので、ルードーのスイスにはいった。そこで良いウイしてきたスマホでほうぼうの草花を撮影して回った。それからさらに、1月13ニ伊からすんでいて、むが月にはいったのに、一度も足をふみいれたことのない、地下鉄駅までの一種の大通りより東側には一歩も足を踏み入れたことがなかったが、教委はそちらにいってみた。6,7階建ての高層のビルアパートがあり、そのむねの間には大きな子供の遊び場とか公園が余裕をもってもうけられていた。しかも戦争のがれきが捨てられて丘でもつくられたのか、緑の小山があちらこちらにあった。ぐーとそちらを撮影しながら散歩して、鼻の開花期になったらまた同じ場所で同じ花木を撮影しようと思った。ライラックもほとんどまだつぼみの状態だったし、新緑はすべて萌黄色、浅い緑いろで、やわらかで優し色彩だった。緑に恵まれた地域だと改めて感心した。来夏とダークマーと散歩をさぞかし楽しめた地域だと思った。一瞬、Fr.Z.さんと家賃を分け合って住むことなどをかんがえたりした。でも、すぐにうちけした。あれだけ綺麗好きな人とすむことは、喧嘩がたえないことになるだろうから、やはりわたしのようなものは一人が向いているのだと思うのだった。ましてや昼夜関係なく執筆をしたいというものなのだから。そして観光が始まったら、また生活にも経済的にも気持ちにも余裕がでてくると思い、自分を慰めることもできた。
 帰宅して時計と録画状態をみると、1時かンと15分間ほどの散歩だった。
 今日は上腕も胸にも痛みを感じなかった。筋肉ができているということだろうか。もちろん、腕を振り回して歩くようなことは今朝の痛みの思い出があるのでしなかった。早歩きもしてない。スクワットのお蔭だろう、二階の自分の部屋までの階段も楽に上がれた。すべては自分の肉体作り、そして創作ができるように精神つくりだ。それが肝心だと思った。でも、少しづつ成功していると思える。今朝の筋肉の痛みは過渡期の症状だと看做せる。21:25 2022-05-01


 ハードボイルドワンダーランドのドイツ語朗読を聞きながら録画している。だが、そのためになにもできない。なにもというのは正確ではなくて、創作ができないということだ。スマホからソニーに奢侈なhコピーできた。だが、それを小さくする作業は録画しながらでは、二と負うものはになってしまうので、できない。それ、それでベットによこになり、ヘッセの車輪の下をペラペラ捲る。この作品がわたしにとっては文学的な小今日だろうかなどと思ってみたりする。そして思いヘッセの写真版などを探して、しかも探し当ててベットに持って行って眺める。なんか、再び両腕の上腕が痛くなってきた。それで、思い本は見るのをやめた。でも、彼の生い立ちとか作品の解説とか、熟知のことなので、先を読み直す気持ちにはならないのでやめる。
 アソスは今大変不調だ。今朝スイッチをオフにしたはずなのだが、自動的にノートブックがなにかをダウンロードしていたらしく、それがずっと8時かン硫黄も終わってなくて、つまりアソスは休憩を取ってない状態で再び私からスイッチを恩にされてしまって、つかわれてきたのであった。今度はちゃんと睡眠をとらせてあげたい。今、緑茶を水でせんじている。
02:35 2022-05-02