蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2022-04-30 土曜日


2022-04-30 土曜日 


モーパッサンの映画を視聴と録画しながら日記をかくとすると、それはソニーはそのためにつかっているので、アソスでやるしかない。やはりそういう役割分担になっていくと思う。


 お天気は良い。まだ花粉症の薬をのんでない。もう午後五時だ。納豆いご飯を食べたが烏賊を回答しただけで、切っていれるのをわすれていた。烏賊だけを醤油をかけてガムのように神田。もしかしたら酢に漬けて食べるのも良いかと思った。
 一度は散歩にでると決めているので、あと40分もしてMaupassantが終わったら出かけようと思う。
 実は、創作を続けてみようと思ったのだが、初めて東ベルリンをバスで回った時のことを書こうと思ったのだが、陽光の射している時にやはり散歩はしたいし、と思ったので……17:04 2022-04-30


 部屋の中を歩いている限りは体は全く問題もないのだが、1時間半はおそらく散歩したと思う。今日は違う場所を、道を選んで歩いて行った。スマホをてにして季節の花を撮影したかったこともある。柘植の木の道に入り、マルゲリータリングを通り、左手にクラインガルテンと思える、半分車の赤と白で通行止めになっている柵があったので、そこに入った。小さな家付きの芝生の庭に植木がたつ贅沢な自然地域だった。こちらにはトランポリンも見えたし、子供の遊び場もあった。ルードー風スイスよりももっと贅沢な広さと華やかさがあった。逐一撮影してきた。少年時代に走ると胸をぜいぜいさせ呼吸が苦しかった。が、今は散歩するだけで胸も腕も走った後のように筋か神経に痛みが走る。ワインを飲むべきなのかもしれないと思ったりした。それにしても鳩尾の痛みはなんなんだろうと思う。再び強くはないが痛みを感じる。やはり膵臓が機能不全ということで痛みが生じるのだろうかと原因を考えたりする。
 広く長い豊かな小庭園の中をあるいて普通の道にでてきたが、その道も車の量はすくなく、愛妻と愛犬来夏と散歩したい道だと思った。空気が美味しいし、あちらこちらの植えこまれた灌木の花に気を取られる。目を奪われる。連翹は終わった感じだったが、場所によっては黄色い花が満開という場所もあった。それはマグノーリエ、木蓮も同じだった。ほとんど散り終わって枝のしたに茶色くなった花が落ちた状態の庭があるかとおもうと、今咲き出したばかりという勢いの生き生きとした若々しい木蓮、紫色の味の添えられた花がひとつも根元に落ちてないのもあった。陽光の当たり具合や風の吹きつけ具合などが関係してくるのだとわたしは思った。種類がそれほど異なるとは思えなかったから。
 ライラックも咲き出している。もう四月も終わりだ。通常だったらドレスデンやマイセンなどに観光バスで向かっている時期だった。そして自転車でやってきて、堂々と挟みや手力で枝を折ってライラックを盗んでいくものも多い時期でもある。残念ながら。日本人の抱いているドイツ人のイメージとはまったく異なる態度をとる奴が大勢いる。スベンもシュタインもそうだ。20:29 2022-04-30


半分以上残ってゐた納豆ご飯を食べた。そして1週間かそれ以上ぶりにワインを100cc飲んだ。不安なので胃薬のタルチードを今舐めている。


 市内に住んでいた時には、自分の体調はまずまずだと看做していた。だが良く考えてみると、スーパーは今よりももっと近い場所にあって、今のように片道800mとか850mを一息であるくようなことはなかった。それから地下鉄の階段をあがるのにも辛いと感じていたのだが、スクワットもするようになったこともあり、二階の自分の住居まであがるのに、それほど辛くは感じなくなった。わたしの体力はこうしてみると数か月前よりは良くなっていると考えなければならない。私が知らなかっただけで、実は現在よりももっと体のコンデションは悪かったのだ。
 散歩していて胸も上腕も手首にも痛みを感じるが、それも慣れてくれるかもしれないと思う。今日は午後五時半には外に当てもなく出て行って、そして二時間後には帰ってきたと思う。稼働する腕時計がひとつもないので、時間をいちいち確認することはできないが、鳩尾の痛み以外は順調に向かっていると思う。医者に診て貰わないのですべて自己判断だが。
 モーパッサンの『ある田舎娘の話』の映画をYTで視聴している。ストーリーを知っているので、フランス語を学んでこなくても理解できる。挿絵にあったようなダサい娘ではなかったのが良い。だいたいわたしが妻の次に生涯愛してやまない岩本れいこさんだって茨城県の田園地帯の出身であり、どこにも田舎娘というイメージはない。逆にフランス風のエレガンス一杯の魅力を湛えた、なにもしなくても振りまいている少女だった。フランス風というのも厳密には正しいイメージではない。フランス人だったらみんな魅惑的、蠱惑的で美しいかというと、そんなことはまったくない。だいたいB.B.は化粧をどぎつくし過ぎで本当はどんな顔をしているのかわたしには若いころは別にしてあとではわからなくなっている。またドヌーブもあの眼差しは、わたしには生気があまり感じられない、魚の目のようにしか感じたことがなかった。逆にドイツ人のほうにいやチェコやポーランド人のほうこそ日本人が圧倒されそうな美女があふれているという気がする。
 それはクリスチャンだから共産党員だからと一緒くたにまとめられないのと同じことだ。教師にもクリスチャンにもひどい者はいて、良心的な人もいる。このことを私は実感している。22:27 2022-04-30


 納豆ご飯、昔は大好物だった。その話になった時にI邨(むら)が笑いながら「俺の糞みたいな臭いがする」といいはなったものだった。そのせいか、大好物の納豆を食べる時には、私は必ず奴が言った言葉が思いだされてならないのだった。まさに条件反射みたいなのだ。あるいは齢を重ねると味覚も変わってくるのかもしれないとも思った。あるいは病気になっているのかもしれないとも考える。とにかく、以前のように美味いと思えなくなってしまっている。I邨によって催眠術でもかけられたようでもある。彼は私の亡くなった妻に関しても嘲笑しながらこういったものだった。「綺麗かどうか、証拠がないから俺にはわからねえ」と。そんなことが良く愛妻を亡くした者に対して吐けるものだとわたしは耳を疑ったものだった。義理の息子に金庫にいれておいた全財産をまるごと盗まれてしまい、今日でも盗まれたままの状態だ。だからかなり切り詰めて生活している。家賃と健康保険を支払うだけでも大変なやりくりなのだ。だが、そんな私の苦労も知らずに、I邨は、どこかから金がはいってくるのにちがあねえ、と再びあざ笑うのである。こういう悪人がいることを、人が良いために、人間を信頼し過ぎたために困窮している私の実体験、それを若者たちに伝えたい、なんて考えている22:44 2022-04-30