蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

姫野カオルコ『昭和の犬』読了

6月23日読了。
私が予想していたよりも真面目に、というと失礼にあたるでしょうけれども、執筆してありました。
コンスタントに執筆は続けていらしたということで、わたしなどは自分がいかに怠惰であったかということを再び思い知らされた思いでした。


この本についての感想文に世に言う愛犬を書いたものとは違う距離とかがあって、とあったが、それがどういうことなのか、読書量の少ない私には良くはわからなかったが、要するに愛犬のことを書くことからべたべたした感傷的なものがそれほど多くはなかったということなのでしょう。


でも、ペーとマロンが極度に似ているエピソードがでてくるが、あの章は読者を感傷的であるがゆえに感動させるのではないのでしょうか。わたしにもそんな経験がある。
それらを私も書きたい。


犬については椎名誠なども『犬の系譜』という、ちょっと距離をおいた作品を書いている。『昭和の犬』も年代記のようなタイトル、イメージであると思う。


犬に触れた感覚とか、もっとそのへんが読めるのかなと思っていたが、それほど多くは描述されなかった。しかし、それをよしとする評論家もいるのだと思う。