蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

デュラスの『愛人』

純文学のランクで11位に達した。私がこの日記村に参加してから最高のランクです。それほど意味をそこにみなくても、やはりなんとなく嬉しいものです。


DVDも持っているのにテレビで深夜に放映されるので『愛人』を再び視聴する。テレビに関しての評価は通信簿で言うならば上から二つ目の色なので、4と言うところでしょう。同じ番組雑誌で5の最高点であったこともある。
もちろん、わたしの中では常に最高点です。この映画作品について旧東側出身の日本語のできるPさんと話をすると、彼女はポルノグラフィック過ぎると酷評をくだしていて、わたしは驚くばかりでした。
たしかに、裸体と愛欲のシーンはありますが、それはアヌー監督の目的でもないことは視聴していても明らかで、むしろ車の窓ガラスのなかから去っていく少女の姿を見詰める中国人の彼の表情とか、船出のシーン。ましてやショパンの曲の流れの中で否定していた自分の彼への愛が本物だったことを心底から感じる少女の情景、また親兄弟の愛人への態度などなど各情景が細やかに映像で表現されていて、何度もみる理由にもなっています。


作品はと言えば、最初に手にとって読んだときには変な作品だと思ったものでしたが、それから性懲りもなく手に取り拾い読みをしてみて、この新しい手法で書かれた原作も好きになってきたものです。