蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-27 土曜日 モーツァルトの誕生日とアウシュヴィッツ解放

2024-01-27 土曜日 モーツァルトの誕生日とアウシュヴィッツ解放 Tag Befreiung von Auschwitz Mozart誕生日


八時と11時に起床。外気温は7度。珍しい! 陽光が横からという感じで部屋にも注ぎ込んできている。


 月末と2月の初旬にトランスフェアーの仕事が入っている。あまり収益にはならないが、やるしかない。今回も酷い肉体労働かなと危ぶまれたが、空港ではポーターが雇われているらしい。ホテルでは30ッ個以上の重いスーツケースを運ばなければならないが、心臓の手術をし、入院の事後経過から筋肉が消滅し、足腰も弱いです、なんて言えない。だから頑張って見せるしかないだろう。他の男性ガイドと話をすると、ホテルにもポーターがいるのだし、ガイドの仕事ではないと言うことで初めからやらないそうだけれども。添乗員とかお客の視線がきになり、肉体労働を心臓に鞭打ってやってしまう。ここでまた同僚から言われるかもしれないが。
 「なんだ、みんな手前が悪いんじゃねえか。心臓麻痺か、心筋梗塞で死ぬんだったら自業自得と言うもんだよ」
 と。
 卵もなくなってきたし、近くのスーパーにこれから行こうと思う。
 14:30 2024-01-27


 やはりこれまでの経験もあり、土曜日の午後ではもいう終末のために値段を下げた肉などはすでに売り切れとなっていた。土曜の午前中にはいかないと遅いのだ。家庭の主婦はみんな午前中に行くのに違いなかった。でも、ワンパックだけ、明日の日曜日に賞味期限がきれるということで値段の下がった牛とポークの細切れ肉があった。
 クリスマスのチョコレートはたくさん残ってゐて、みんな半額になっている。品もリント社のとても質の良いものだ。だが、闘病病のわたしはその場はいつも通り過ぎる。肉はこれまであまり手に取らなかったが、やはり動物性たんぱく質はとらなければならないと勧めるYTをよく目にするから、工夫して食べようとおもっている。


 今日と言う日がアウシュヴィッツ解放の日なのでどんな映画がネットでみられるかなとチェックした。おかげで、深夜まで視聴録画していた。唯一録画できる素晴らしいソニーを使って録画していたが、流石にストライキでもされたのか、録画出来てなかった強制収容所、いや、イタリアの屋敷に住み、最後はイスラエルにいくということで、スイスに入れて貰ったユダヤの子供たちの映画があったが、録画できてなかった。また、明日にでもどこかで放映されるのではと思うが、見たからいいかと言う気持ちでもある。


 気になるのは、NPスーパーへの往復の道で、わたしのなにが原因なのか、息切れはするし、ゆっくりしかまたあるけなくなった。40mもあるけば止まって休憩しなければならない始末だ。もう死ぬのかもしれないと思ったりもする。だから、最近の大晦日からの日記を全部蝦夷栗鼠日記に移して公開するようなこともした。
 だが、死期が近づいているとしたらおかしいことがある。それは、誰もわたしを亡霊として迎えにくるような訪問をまだしていないということだ。上階のやーさんの居間にも見知らぬ?影が椅子にじっとすわっているとか、日本ではあるお婆ちゃんが死ぬ前に家の庭の前で子供とか見知らぬ?人たちの影が遊んでいたり座っていたりするのが見えたとかいう話をきいていた。わたしは、というか、愛犬のゴールデンレトリバーが死の三日後にわたしの妻、愛妻が住居に訪れてきてくれて、愛犬の来夏があたかも眼前にあらわれてくれているのをリアルにみてでもいるように、なにかはなしかけられてでもいるように毛足の長い尻尾をビュンびゅうんふって恋い焦がれるような吠え声を中空に向かって投げていたのを経験した。わたしには認める能力がなかったが、愛犬がリアルに捉えて反応してくれた。
 そんなわたしでも死ぬ時にはやーさんとか日本のそのお婆ちゃんのように黒い影でしかなかったとしてもお迎えに来る、来た人をみるのだと思ったりする。
午前3時半にはベットインした。
05:57 2024-01-28