蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

大根の輪切り

午後リュードー地下鉄駅付近のエデカに入った。別になにを買うという目的はなかった。だが、最初にチェックしたのは、韓国製の日本のお握りが値下げしているかどうかということだった。もうこれは本能的なチェックだった。
そして野菜のコーナーを見て、値下げしていたウィーンナーソーセージを籠に入れ、パプリカ、ジャガイモをとった。カレーのルーがあるので、この前しかもジャガイモ梨でカレーを作っていたので、今度はジャガイモをいれて作ってみようと思ったからだった。あとは、鳥ハムを二本、これは簡単に言って安いたんぱく質だからだった。
 そしてカリフォルニアワインのガロは安くはなってないので、やむなく、グレーブルゴーニュのワインが3,5ユーロ以下であったのでそれを手に取った。そして中国製の日清の出前一丁のラーメンを四つと小エビの入ったカップヌードルを買った。
 レジでは太り目のでも若いトルコ人女性が働いていたが、わたしがベルトコンベアーに並べていた白い大根をみると、縦に薄いA4の数名のほんのように立てかけてある値段表を捲っていたが、よく分からなかったようで、この白い大根がなんていうのか私に訊ねるのであった。最初、その意味がわたしには分からなかった。レジで働くものが野菜の名前を知らないということがぴんと来なかったのだった。わたしはレッティッヒと答えた。すると厚いビニールで覆われ幾枚も綴じた値段表をみて、値段を理解した彼女はレジに打ち込んで無事大根が買えた。
 運転手がパンを食べるときに輪切りにして塩をぱさぱさかけた大根を一緒に小皿において食べていたことに、温かい親近感をいだいたことがあったが、それは私の妻も同じようなことをしていたからだった。日本だったらおしんことして、あるいは沢庵として大根はたべたであろうところを私のつまと運転手はただ輪切りにして添え物として食べていたのだった。それを思い出して買い込んだのだった。
 帰宅すると、グレイ・ブルゴーニュという白ワイン、3,5ユーロの廉価のワインともいえないものをあけて飲んだ。ほぼ750CCのボトルを独りで開けてしまった。まさに自棄酒だ。
 漱石のこころの朗読を引き続き録音と傾聴していれる。文体に魅力を感じないのでたびたび厨房に行ってしまったり、ベットに横になったりもした。