蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

永遠の忠犬ハチ公

警察に三通、義理の父母の墓地に眠る権利を払うためにフランクフルトの銀行に一通の封書を作り終えた。創作とは無関係の非生産的な作業だが、やらなければやらないでずっと気にかかるし、そのままいつまでも片付かない。やむをえない非生産的作業だ。もっとも、私の創作の試みこそ、社会から判断して非生産そのものかもしれないが。でも、それは怠惰なわたしには賞が獲得できようができまいが一番重要な作業だ。
 死ぬ前にブログに全部アップロードしたいと思っている。ユーチューブが作れるのに、文章を立ち上げるということがまだできないでいる。一度は、7,8年ぐらい前にはできたのに。ジンドーとか提供されているが、どうしても私はそれが得られない。暗証番号とかEメールを入れるときに拒否されてしまうのである。


 昨日は、久しぶりに音楽とミックスしてYTを6本ほど作った。作ってみたが、著作権問題が生じたようだった。ということでおそらく日本の人にも多くの国のひとたちにも視聴できないものになっていると思う。半日以上時間をかけて夢中で作っていたのだったが。
 ラフマニノフ生誕150年記念ということで、それも私の朗読も交えて作ろうと思っていたが、著作権がひっかかるので、やはり多くの国々の人たちが視聴できないのだと思う。思えば、これらは、ユーチューブを作るということは回り道にしか過ぎないので、創作に戻るべきだと思った。
 まず頭に情景を思い浮かべる。浮かんでくると紙面というかモニター上に定着させたくなる。最後はブログに立ち上げるのだが、まだ死ぬ前に書きたい話はたくさんある。十以上はまだまだ纏まった形で作品に仕上げたいと思う。


 と良いながら夏目漱石のこころの朗読を聞いている。これじゃ自分の世界に沈潜するということはちょっと不可能だ。いつもこんな感じでふにゃふにゃしているのが私の実態だ。

私の愛する忠犬ハチ公 死後の解剖された胃の中に3,4本ほどの焼き鳥の串が発見されたということが私を怒らせる。酷い奴がいると怒り怒髪に達せさせる。