蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

初夢を一応見た。

 廉いそしてもう旧いタブレットで石橋貴明と西村賢太の屋台での会話を見て、もう4,5度も見ているけれども、それなりに学ぶところもある。ところで、今、ネット上で同じものを探しても出てこない。見られない。それは矢部とマツコデラックスがお相手の西村賢太の45分間ほどのYTも同じで、こちらは録画をしておいたはずだが、それもどこなのかわからなくなり、また、幾ら探してもユーチューブにはもうあらわれてこない。著作権問題で消されたのか?
 そして横になって寝ようとした。


 タブレットには移してないのに、わたしはモニターに触れて木村拓哉がボーカルで歌う「夜空の向こう」をタブレットで視聴しようとしている。だが、すぐにタブレットのスイッチを実際に押してないから、触れたって稼動するはずがないということに気がつく。そしてこの全く同じ夢があとでまた繰り返された。
 目が覚めて、これも初夢だから忘れないようにと復習し、また横になった。それでも2,3時間は眠れたのだと思う。足の浮腫みが大分ひいたようだった。くるぶしがあらわれ、アキレス腱が摘めた。これはどうしたことだろうかと思いあぐねてみた。たぶん、スクワップににたことを下半身だけで昨夜やっていたからだろうと思った。
 
 わたしは自分が見た初夢を次のように解釈した。ひとつのことに達成したいと思った。だが、肝腎の実際上重要、必要な基本をやってなかった。だから、一歩も進まなかった、と。


 天才たちのルティーネ、ルーティンでは、起床後にニュース、新聞も読まず、すぐに行うべき仕事を始め、昼食後に長い散歩。そして午後になって初めて新聞とか音楽を聴くとかしている。これは中田敦彦氏が言う前にどこかで視聴してわたしはしってはいたが、参考にもできずにそのまま忘れ去っていた。
 今もネットのスイッチを入れたときに日本のニュースをすぐに自動的に聞きたくなった。だが、これをやるとかっぱ海老煎ではないが、あとがとまらず、つぎつぎに他の番組に飛び移って、純粋な受け身人間で終わってしまうというお決まりのコースに入ってしまうことになる。
 今書いているのは日記で、これは雑音があろうとネットで映画が流れていようと書ける類のものだが、創作は、なにか見ながら聞きながらではやはりできない。でも、なにか音声がないと世の中から取り残されているようで寂しさも感じてしまう。もちろん、この孤独からの逃亡がいけないのだと思う。


 昨日、もち米の粉をかき混ぜて合計4分でレンジで作ってみた餅、それをフライパンで焼いてたべようかと思う。


 今日は風が強い。外気温は今、午前十時45分で13度だ。


 初夢になぜキムタクが出てきたのだろうと考えてみた。
 日本からきた知己の家に、帰国したときに訊ねたことがあった。そのときに、無理して私が一度しか食べてみたことのない回転寿司というものを驕ってあげて食べたのだが、日本のかってをしらなかったので、高い料金となってしまった。そのあとで紅茶を飲みながら、だと思うけれどもいろいろ話もはずむところなのだが、その人はふと時間になったという感じでテレビのスイッチをいれ、ビストロ・スマップを見始めた。わたしもキムタクに憧れている人たちとドイツであったことが稀ではなかったので、興味しんしんとみていた。そこで初めて動いているキムタクをみた。もしかして随分色がくろいんじゃない?と思ったが、ネットもYTももちろんなかった時代だったので、ただ珍しかった。


 現在はYTで幾らでも見られるので、自分が食事などをするときには、ひとりで寂しいこともあるので、ネットでビストロスマップの料理番組を見ながら食べているありさま。苦笑。たぶん、それで初夢も彼らの姿がちらりとあらわれたのかもしれなかった。