蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

凡人の夕べ クロアチアーアルゼンチン戦をみてしまう。


小柄なのにドイツやスペインを打破した侍ブルーが残念にもPKで負けたのだったが、PKでは実力で負けたという感じは私にはしなかった。あれはしょうがないとだけしか感慨はない。とにかく決定したいから考えられた決め方なのだから、もともと。


 でも、クロアチアが勝つと私は信じていたし、ドイツ人のコメンタトアーもクロアチアのほうが良いチームで選手団たちと試合終了後も話していたぐらいだった。


 ということで、普通の男性でこの夜も終わってしまった。必ず毎日何かがある。それで、創作などはどこかに置き去りにされてしまう。
 もっとも、スポーツとかがなくても、昔録画していたユーチューブから、西村賢太がゲスト出演したNHKのスタジオパークからこんにちはを視聴していた。そして続けて貴明氏のスタジオ内の屋台での宝焼酎の水割りに霜降り肉に舌鼓を打つ会話なども見ていた。すこしでも賢太から彼の執筆姿勢を学ぶためだった。


 「小説を読むのも好きだし、書くのも好きなんですよ」


 そんな彼の要った言葉が残った。ここが私と土台違うところだ。文字を読むことが彼が言うほどわたしはたぶん好きではない。そして書くことになると感情の垂れ流しの日記ぐらいしか書けず、あとは意志的に纏め上げてみるとかは、それこそ努力ができなくて叶わないことという感じなのだ。


 賢太は布団の中で大学ノートに書き込んで、しかも自分の字をあとで面倒臭がらずに推敲もし清書もしているところがやはり偉い。
 わたしは自分の走り書きの字など、到底判読できないし、それを清書するなどということになると手書きは最初から問題外な執筆方法となる。
 それで一案として始めた?のが昨日からの同じソニーのモニターを二つのタブに分けて書くというものであったが、やはりそんな器用な人間ではなかった。でも、まだこの方法以外に他のやり方をしらないので続行するしかない。
日記だから書けるのだが、この瞬間もモニター内はこの日記なのだが、机の脇に置いたラジカセではニュース専門のラジオを傍聴している。
 でも、創作はこんな書き方では成立しない・・・・・・


 今日の起床は夜中にはまともに眠れて、朝六時、そのときの寝室の室内気温はプラス8度、窓外の気温がマイナス5度。
 緑紅茶を作りに厨房に行くとその室内気温は十度。


 今日は正午ごろに歯医者の予定がある。