蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

愛妻の夢

心筋梗塞が突然わたしを襲ったように、夢もまったくわたしの意志どおりにはあらわれてはくれない。また事実ともまったく異なる世界が夢のなかではリアルに事実のごとく展開するのには驚かされる。


 実際には私の妻は9年前に亡くなってしまったのに、夢のなかでは、妻を残してわたしが東南アジアあたりに飛行機で遭難してしまい、4年後には妻は日本に私を捜索に飛び、そこで他の日本人男性と知り合い結婚し二人の子供までもうけている。妻は体が弱くしかもわたしより十歳年上なので、出産とかは考えられないことだが、夢のなかではそういうことになっているのである。しかもわたしは飛行機の操縦士でもあるこの妻の新しい夫のお世話になって、北海道や沖縄に私の親戚を廻って乗せてもらっている。また、妻と結婚したこの男は、私の愛妻の死後、夢のなかでも愛妻は亡くなってしまっていた。しかも二人の子供を他の男のものを産んでから。なにからなにまで信じがたい展開なのである。そしてこの愛妻の再婚相手は、ドイツ人とのハーフの女性とさらに再婚しているのである。そのあいだにも娘が二人、つまりクオーターだが、しかも私の妻ともまったく関係ない血筋になるのだが、その娘が看護婦で、わたしはグライダーのようなポンコツな飛行機に乗せて数箇所に親戚めぐりをしているみたいなのだが、いろいろ気遣ってもらっているのである。
 沖縄では白髪のかなり高齢のふたりとも80代なかばではないかと思えるような小柄で穂トンdフォ喋らない私の親のおば叔父にあたる人たちのようで、いつも飛行機の端っこの二階の穴倉のようにできているベットに横になっている。
 そういうわたしもこれだけは現実と全く同じで、背中を下にしてほとんど身動きもならず横や上方ばかり見つめていてとてもこの現状に不満なのだが、それは夢のなかでも同じなのであった。せめて自分の家のことだけでも訊ねられてメモをできればうれしいのだがと思うが、二人の高齢な夫婦はあまりにも離れたところに横になっていて話もできない。チャンスがくることを狙っているのだが、わたしも甲羅をしたにしてうごけない亀のようでもあるし、どうしょうもない状態なのである。