蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

カテータスの手術


カテータス手術専門の医者がいるようすで、彼にまかせれば大丈夫と看護婦なども私にささやいたものだった。カテータスの手術をユーチューブで私もみたことがあった。また立ち会って通訳をしたことがあるので、恐れては居なかった。ユーチューブでは、右手の血管に管を通しそのまま心臓の冠状脈の詰まっているところまでステントを押し込んでいき、その場所で広げる、網のようなものをそこで放つものとわたしは視聴していた。ウエストエンドでは臍の右の腹のなかに通していたが、といろいろなやり方があるのかもしれないとも思った。私の場合は、まったくあのウエストエンドと同じやりかただった。お客は手術中にまったく差し込むときに痛みを感じなかったとドイツ人の医者を褒めていたが、私の場合は、なんか硬い金蔵のようなものを臍の右のほうに押し付けて、どこか乱暴という感じだった。麻酔はしなかったような気がする。ステントを入れて膨らませた後で、それを押し込んだ管を抜き取ったはずなのだが、それはまったく感じなかった。
 そして1週間も病院にいただろうか、わたしからも早く退院したい旨を幾度か言ったからか、比較的早く退院できた気がする。


 手術を一つ終えて、もう大丈夫という気持ちで、ノイケルンのクリニックの出入り口に向かい、あまり人の行き交いのないインフォメーションのカウンターのあるひとつの皮革のベンチに座った。タクシーで帰るか、あるいは近くに地下鉄でもあるだろうかと考えていた。スマホも持ってきてないし、調べることも、距離を測ることもできない。そのうちに気を失ってしまったらしかった。意識がその先ないのである。