蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

生と死の境を彷徨う

「あなたは生と死の境を彷徨っていたんですよ」
 四十前ぐらいの若いドイツ人の医者が興味津々という笑顔でベットに横たわる私の顔を覗き込んでそう訊ねた。
 そういう質問をされても私にはなにも答えられない。そんな大変な記憶も経験も全く覚えががないからだった。ただ、医者の顔をみあげるだけだった。
 「今日がいつか分かりますか」
 続けてそんな質問があった。あたかもわたしがタイムマシーンでどこかまったく異なる世界からやってきて、今起きだしてきたとでも言うようだった。


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五月七日のことだったろうか、前日に、NPにルードーのスイスを通って買い物に散歩もかねて行こうとした。しかし、50mも行かないうちに、そのさきNPにいき、ちゃんと帰宅する自信がなくなっていた。それで、入り口を入ったところでまさに踵をかえしたのだった。もちろんこれはあきらかに以上だった。散歩する時の歩くスピードも極力のろくなってきていたことも不可思議なことだった。そして今度は50mも歩いたところで、さらに数メートル歩くのも自信がもてなくなった。あきらかに以上だ。寝るときには口をあきっぱなしにしないと呼吸も出来ない感じだった。
 それで翌日には消防署を通してKrankenwagenを呼ぶことにしたのだった。
 電話口の男は、ドローゲンを服用しているかどうかたずねた。わたsっは自分の体調が悪いことしか言えなかった。それでとにかく呼んでくれたが。
 やってきた消防署員も緊急医も不服面を示した。具合のわるくなったのは、四日ぐらい前だとわたしが発言したことも、これは緊急事態ではないとかれらに怒らせた。Hausarztにまず連絡して処理するべきではなかったかというのである。わたしにはそういう者はいないといい、四日ぐらい前からかなり体調が悪くなったと繰り返すしかなかった。
 こっちは朝、交通の厳しい中を焦って、危険をおかして駆けつけてきたんだと二人とも怒っている。
 医者がご立腹のようだったというと、消防員も、自分も腹がたっていると付け加えるのだった。そしてNeukoellnのKlinikumに搬送されることになった。医者は、どういう会話が担当のものと具体的に交わされたのか行ってみてくれと、どこで軽い症状の者が救急車を呼ぶところまでになったのか、それを言ってみてくれということだった。
 救急病院では、大事な病状と診断して、消防隊員と医者の態度に怒りさえ示していた。
  02:19 2022-07-09
 その女医は小柄で色が黒く農作業にでも日の当たるところで毎日十時しているような感じの人だった。ヨーロッパでは色がくろいのは、夏季休暇などで甲羅干しをして肌を焼いているから黒いのであり、裕福の証拠であった。
 かれらに苦情をいうつもりであることをこの女医は言っていた。
 そしてわたしの体をいろいろ検査しはじめた。レントゲンもとった。
 あなたはHerzinfarktを二度は受けているとも医者は言った。もう問答無用でカテーターの手術をする旨を医者は話していた。そんなのはまだ遠い先のことだとおもっていたのに、今私に現実の話として襲い掛かって来ていた。でも、拒否もできそうにないことをすぐに思った。
 これまで放っておいたことも災いして、ふくざつな状態だということだった。
 一度だけステントを入れ、カテータスの手術をしたようだった。
 そして病院から解放され、出入り口の簡単な皮椅子にすわっていて、タクシーとかは読んで貰えないとこないのかなと人のすくない出入り口、受付カウンターを見つめながら考えていたが、そこでわたしの記憶は途切れる。どうも気を失ったらしかった。ステントの手術を一か所ちゃんとしたあとなのに、気絶するというのは、ちょっと考えられないことだった。でも、気を失ったらしかった。
 あとで、Auf der Strasse ungefallenとか勝手なことも看護師の中年の女性がみたような言い方をしていた。それはないと思う。
 二度目の入院になったが、そのときにはまた他の部分にもカテータスを入れることになったらしかった。腹を金属のなにかでぐっと上からおすような、ちょっと乱暴なことがされて、ステントは入れられたらしかった。合計3っつ。
 そしてペースメーカーもなれた医者だと褒めが続く中、やってもらうことになった。いつ心臓がとまるかわたしも不安になったから、承諾した。そのときには、鼻というよりは、口に管をかぶせるようにして、Schlafeと呪文ように女看護師が唱え、わたしはすぐに正体を失った。麻酔だったのだろう。
 02:55 2022-07-09 


 本当にうろ覚えだが、三週間はKuenstliche Comma状態にされていたと思う。二人の男性の医者から同じ質問があった。
 今日何日かわかりますかという質問があり、わたしは23年と一年間間違えて言ったり、5月でなく3月と行ったかもしれない。月日の感覚はぼんやりしていた。
 Tod und Lebenの間を私が彷徨っていたことに覚えがありますかとひとりの医者は訊ねた。本当に危ないところだったみたいだ。たぶん出入り口で気が遠くなって記憶もなにも薄らぎ、気を失った後のことなのだろうと思う。生死の境を彷徨したのは。03:15 2022-07-09


 わたしがどんな回答をだすのか興味津々という感じの悪戯っぽい笑顔さえうかべて訊ねるのだった。03:24 2022-07-09


 亀とかテントウムシが背中をしたに、上向きに救いもなくちょっとうごかすような状態がずっと夢、妄想の間は続いていた。本当にヘルプレス状態だった。
 すごいのは、ドイツの国会議事堂に私も横になっていて、私の右側には、美智子上皇皇后さまの静かに眠る様な遺体。同じくなぜかその奥には昭和天皇が遺体として横たわっていた。美智子上皇皇后の孫にあたるような学生服のユニホーム、セーラー服ではない、着衣してまだ息のあるような女の子がすぐ私の右隣に横になっていた。
 国会の添乗に到着したのに、誰も外から開けようとはしない。わたしにも上体を起こす腕、肘の力もなく、左手でヘリコプターの壁を叩くのだが、まったく外には聞こえないようで、声もたてるのだが、聞こえてないようだった。
 その情景はとてもリアルで、わたしにとってはどうみても本物の現実だった。
 騒いでも誰も開けてくれないし、様子をみようとさえしない。
 そのうちにそとでは国会の上に川鍋とフェルト郁代みたいな日本人がカメラをあちらこちらにむけて撮影しまくっている。天皇陛下がヘリコプターで国会に来るということを知っていて、それで派遣されて撮影記事の仕事をやっているみたいだった。
 ヘリコプターの中を撮影されないように、それだけわたしは中で気にしていた。こんな病人姿を撮影されては困ると思うし、天皇裕仁と美智子皇后の遺体を、彼らにこの特集記事級のものを撮影されてはたまらないと思っている。
 それにしても、だれも彼らの遺体に関知しない。せめても少女の容態を診察して欲しいのに、それも誰もしようとしない。
 次の場面では、ヘリコプターのパイロットの奥さんが、がめつい者というか、ビジネスに徹していて、黄色く汚れた水の中に4分の1ほど沈んでいるビニール袋のなかの私のワープロを加kじゅほしたいのだが、知らん顔をみんなしている。わたしは立ち上がる力もまったくない。お駄賃をだしてあとで確保してkじゅれるように頼む金もない。
 ヘリはベルリンから十セルに飛ぶという話だが、天皇陛下が息を引いてしまっているので、向かう理由もなくなったという。じゃ、このベルリンで自分も降ろしてもらおうと考えるのだが、その私の意思もヘリの夫婦によって簡単に無視されるという勢いだった。彼らの横暴にさらされてしまっている。20:31 2022-07-09


 三度も同じ状況に陥れられたのが、パリの19世紀のブロカードの分厚い衣類を着た大きな人形劇舞台。しかも三、四階の構造になっていて、どれかの舞台に背中をしたにしてわたしは嵌って、やはり動けない状態が何時間も続き、どやったらこの状態から逃げられるのか、一体どうしてこんな状態になってしまったのか、一所懸命考え続けるシーンだ。それが幾度も続く。
 体は肘をついて上半身をたてるとか、体の向きを変えるとか全くできない。
 夢のなかでも退院というか、脱出を目指している。や¥っとにげっられると思った、屋敷から下の芝生への階段を下りたところで、わたしは倒れたようだった。21:02 2022-07-09
 もしかしたら私の体も冷やされていたのかもしれない。コマ状態で、生死の境を彷徨っていたということなのだから。パリの人形劇の中なども冬のように隙間風が感じられ寒かった。始終寒かったから。21:06 2022-07-09


 病院の出入り口で気を失ってなければ、早く発見されることもなく、もしかしたら酸欠で、ダークマーのように視力が壊滅したり、記憶もなくなり、思考力もなくなったりしていたのかもしれない。かえってラッキーだったといえる。おなじ緊急病院に再び収容され、二度、三度目のステント、カテータスを入れられ、おまけにペースメーカーを手術して入れられた。そのときに、シュラーフェと魔術みたいなことを女性に言われたことを覚えている。21:20 2022-07-09


 なによりも一番印象的な夢のひとつが◎◎家の兄や弟の家族とか孫に沖縄、北海道などでグライダーのような飛行機に乗せられて飛んで、知り合ったことだった。また、ダークマーが二本に移住し、日本人の新しい彼氏と知り合い子供も二人持ったという話もリアルな事実として夢のなかでは展開していた。わたしは仕方ないと思い、ただ周りの足跡を辿っているという姿だった。21:24 2022-07-09


 ひとつだけでもカテータスの手術をしているので、もう万全だとわたしは思い信じた。だが、そのあとで出入り口で気を失ったということで、逆戻りして良かったということになる。でも、すぐには次の手術には取り掛からなかった。いろいろ検査が行われて、それから腹をぐっと金属の棒の頭を横にして押し付けるようなしかたの手術。21:56 2022-07-09の手術が行われた。21:33 2022-07-09


私は夢のなかで架空の身近な親戚巡りをなりゆきでしていた。
 なぜか、結婚後四年にして放浪癖と外泊の仕事のあったわたしは任地先で事故か病気を併発し、ダークマーのもとに帰らないことになってしまったという前提だった。
 ダークマーは私の行方を追ってもう日本までやってきたが、私を探し求めることはできなくて、代わりにひとりの眼鏡をかけ髭をつけた細長の、顔も学生風に長い日本人男性と知り合い、二人の子供さえつくったことになっている。しかもダークマーはやがてなくなり、この男はドイツ人とのハーフの女性と再婚している。
 その男とわたしはダークマーの行方を追いながらあうことになるが、わたしが行方をくらました感じなのだからしかたないと諦めて、ダークマーが幸せだったのならばそれでいいんだと自分に言い聞かせている。ダークマーのことは一切その男にはきかない。かれも喋ろうとはしない。かれはグライダー操縦のパイロットで、わたしは体の自由がきかず背中を甲羅でもしたにしたように身動きならずによこになったまま、そんな状態だ。この男とは親戚でもなんでもないが、矢作家と関係があるらしく、交流をたもっているようだった。
 ブリキでつくったようなもろそうなでもとても軽い材質の部屋があり、その部屋をグライダーの後部が挟み込むようにして接続されると、もう旅客機の出来上がりで、沖縄から名古屋のほう、そして東京、北海道の矢作家まで飛んで私を運んでくれる。
 部屋の末尾の二階には見事な白髪の小柄な80、あるいは90にはもう届いているような老夫婦が寝ていて私を眺めている。かれらは私の叔父と叔母なのだろうかとわたしは推定している。沖縄にいる矢作家の私の甥にあたる夫婦のもとに養ってもらっているようだった。13:20 2022-07-13


 4分の1ドイツ人の遺伝子が入っているはずなのに、まったくそれが感じられない30代の黒髪の濃い女性がなんか私の面倒などをみてくれている。布団をかけてくれたり、様子を見に来てくれたり。オシメとかそこまではいかないが。そんな場面はでこなかった。
 わたしは沖縄のなかにある那覇市の病院に送り届けられ、迎えられることもこのグライダーで行ってもらえたりした。ほんとうに人の世話になりっぱなしという感じだった。一旗揚げたくて日本をでたのに、日本に住んでいる甥や姪の世話になる立場に落ちてしまっている。それを夢のなかではとっても無念に感じている。だいたい夢のなかだとはまったく思いも感じもしない。完全にリアルな現実感のある世界なのである。13:31 2022-07-13
しかも、その姪はダークマーの血は分けていない。二度目のハーフとの結婚した相手との間にできた女性だった。ダークマーとの間の子は夢にでてくることはなかった。


 また、最初の空港では、兄の孫にあたる子が幼児から性的虐待を受けていて、もうそれに染まっていて、自分から大人の男に勧誘をするために空港の中も歩き回り、それを防ぐために親戚のものが彼を探し、捕まえるというシーンも見た。空港の中にプレハブサッシのような小部屋があり、そこに乗客は寝泊りしていた。
 そしてフィリッピンかタイで、沼地にプレハブサッシの小屋がたち、そこが少年たちの売春を兼ねた釣り場ということになっていて、わたしも不自由に体を横たえてそこにいた。
 警察の船が来るということで、にわかに焦燥をみせる陽に灼けた小屋のオーナーたちの姿があった。
 それから大阪か名古屋かわからないが、下水が路肩に流れる道をゆく甥の姿があった。
 北海道は北半球を中心、いや、北極を中心に飛行を考えるととも近いということになっていて、沖縄から飛んで連れて行ってくれた。
 北海道にダークマーが私を探しに行ったという形跡があるということから、いくことになったのだった。相変わらず体の自由はきかない。肘をついて上半身を起こすことさえできない。横たわったままのわたしだ。親戚のやっかいものになるしかないわたしが始終夢の中にいた。13:49 2022-07-13


 妻のダークマーがなぜ北海道にいったのか皆目見当もつかなかった。日本の最北端から私を探そうとしたのかとも思えた。
 わたしはダークマーがいたというプールに行った。もちろん、なんの手がかりもない。
 どうせ北海道に来たんだということもあったし、夜の街を歩いた。外国人ということで、彼女が仕事を獲得するとしたら夜の歓楽街しかないだろうともおもったからだ。ダークマーは日本人の夫を探して日本に来たということで週刊誌の表紙にも写真が掲載されたということで、その写真もわたしは見たことになっている。
 バーか、よくわからないモダンな内装の建物のなかにはいり、相変わらず背中をしたにして身動きならない状態にそのなかでもわたしはいる。ばかに原色のあかるい照明のなか、家具などもセルロイドでできているようなそれ自体が明るい色に光る仕切りがあり、皮のソファーもあるが、わたしは座って周りを観察しているだけだ。ドリンクさえも注文せず、することも強要されてない。ただ、場違いで、ダークマーとは無関係な場所だとまもなく知ることになるが、そこから容易にでられる状態ではない。まさに動けない状態。
 間を忘れたが、次には、再び、今度は列車の屋根の上にしばりつけられたような恰好で横たわり、東北地方に向かっていた。東北のどこかで降ろされ、小屋をあてがわれ、いや、北海道かもしれないが、そこに住むことになった。やはり背中をしたにして横になっていてとても不自由を感じる。今度入居するときにはまず最初に天井からたくさんの紐をつるしてそれをつかんで体を起こせるようにしなければならないと固く決意した。腕には力があるので、体さえ起こし得ればと思ったのだ。
 地方の人たちはとても親切で近所の人たちが来てくれて酒とか食べ物を持ってきて入居お祝いに来てくれた。ここに永住してもいいとさえ私は思ったぐらいだった。15:04 2022-07-13
 丸太を組み合わせて作られたような小屋、素朴で純真な生活という感じだった。だが、ひと眠り夢のなかですると、わたしはまた別な場所にいた。
 再び、沖縄行きのグライダーのブリキの箱のなかに横になっていた。
 姪の家族に負担をかけて申し訳ないという気持ちで、上によこになって私を見つめている老夫婦を見上げている。会話は一切していない。
 姪の息子だろうか、反抗期の年齢の息子がいて、話し方は粗暴だが、彼は本音を平気で述べる。邪魔な時には、私の両足もその足で押し戻したりする。話し方も乱暴だ。でも、わたしはお世話になるほうなのでなにも言えないし、初めて見る親戚でもあるから。
 夢のなかの私はいろいろ話したい、確認したいと思っている。どのような続柄なのか、誰が誰の子なのか、ダークマーのこともできるならもっとしりたい。15:18 2022-07-13
 大姪という立場なのだろうか、まったく普通の日本人女性で、髪は耳までしかなく顔も別に魅力的でもなかった。でも、いきいきと看護師ふうに動いていた。彼女に女性としての魅力をさえわたしはそのうちに感じ始めたぐらいだった。だが、どんな血筋なのか解明されないままで過ぎて行った。16:11 2022-07-13


イスラエル人の21歳の女性と白い顔の黒人のカップルとドレスデンのユダヤ人のシナゴーグ兼キリスト教会の地下での一泊と、ミルク主ぴなーとによる腹下し。しかも、その腹下しを動けない私の体を拭いてくれて、気が得さえしてくれた二人の看護師女性はノイケルンの救急病院でも働いていて、わたしは彼女、ポーランド人の金髪の女性に中華のバイキングを招待すると約束している。いま、思うと彼女たちもあのイスラエルの女性やイエメン出身の、いわゆる監視係と言われた学生たちと同じように夢の世界の人物ではなかったのかと思う。だいたいわたしがドレスデンにここ二年間行ったことがない。ポーランドの看護師は約束だけで実行しないのはいやよと私に言ったものだった。絶対にそれぐらいは実行するとわたしは決心したものだったが。実在の人物かどうか自信がなくなってきた。薬のせいか、あまりにも明確でリアルな夢で、夢とは到底思えない世界だったから。
 そしてそこに、ドレスデンということになるが、住む日本人たちの態度。
 亡くなった日本人老人の家に他の日本人婦人と入り、二段ベットに不自由な状態で横になっている私。やはり自由には身動きならない。
 いろいろ分け前をとることをその日本の中高年婦人は話している。19:23 2022-07-13


 その他にも、これこそ夢のなかですでに夢だとわかっても不思議ではないだろうというような人物があらわれたのを見た。
 病院、精神科みたいなところで、体のたくましい感じの男がいて、私が同じ部屋に寝ているのだが、ほかにも寝ている患者がいるが、看護婦がこれで、とは私の存在を言っているみたいなのだが、良い方に向かってくれればいいがとつぶやくのである。
 男は、アラブ系で、こりこりと筋肉質で、浅黒くて、どうも同性愛者で、それが悩みになっていて、それもそのはずでかれはエジプト王国の皇太子と言う話で、極秘裏にふるまわなければならないという話なのである。わたしは、彼を励まし始めて、寛大な国王として歴史的な転機を示したことになり、なんでもないようなことであることを話して聞かせた。かれは少しは気分も快復していくようだった。
 だが、寝姿の私のボクサーショーツの下半身を必ず眺めて通るとか、しているので、それにはわたしが注意した。
 そしてヘリでエジプトに到着し、彼がわたしの励ましもあり、やっとそとにでていく。歓迎されている。
 そしてパキスタンだったか、どこかの王国のもうひとりの王子が鬘を被って草刈正雄風になり、男遊びと商売の可能性を狙ってドイツにきた夢だ。すし屋に私が連れて行って、コネを作る手助けをしている。
 それから、フランスのアパートメントにある青年を訪ね、窓外を眺め、植物で一杯の部屋が私の部屋になっている。
 夢のなかではカミュの堀辰雄が模倣した?短編集を読みたいという欲求を抱いているがついに手にすることができないでいる。
 20:53 2022-07-13


  遊園地の切符売り小屋みたいな狭いところに背中をやはりしたにしてわたしはもがいている。全然体の向きをかえられない。寝がえりとかできない。そして孤独だ。わたしは死にたいと思う。こんなことなら死んだ方がましだと思う。ただ、ヒルフェと声にだしてみる。あまり大きな声はでない。随分と時間がたったかと思う、やがてドアがそとからあけられ、中国人の小柄で痩せぎすの老婆があらわれ、
 「また、かい」
 と呆れたように上から話しかけてくる。こんなことって初めてではなかったのかと私は驚く。しかもすでにこの老婆はこれで二度目だということもその言葉で同時に知った。
 それで、この夢が一応終わった感じになる。
 いくつも夢を私はコマ状態の時にみたようだった。まだ思いだす夢があるかもしれない。中南米で盗賊に襲われる夢もあったし、XX家関係の生きている誰かを拝みに行く夢も見ている。22:36 2022-07-13


若い医者、40前後ぐらいか、私について一番この中で若くて一番の重症だと言っていた。それは貧血のことをいったあとで言った言葉なので、貧血はイコール重症だと言う感じになっていた。
 00:39 2022-07-15