蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-18 木曜日

2024-01-18 木曜日


 十一時起床。外気温は三度。薄明るい曇天。積雪風景が持続している。
 起床後にはいつも足を動かしたい歩きたいと言う欲求があるのだが、まずはすぐに創作と決め込んでいるので、下半身スクワットだけすることにしている。二〇回だが。


 今朝、深夜の就寝は二時頃だったかなとも思ったが、創作が午後九時前に終わっていたので、もっと早いうちに寝たのかもしれなかった。だが、ベットインしたときに見た時計は四時二五分ぐらいだったのをきおくしているから、タブレットに録画していたものを幾度も視聴し聴いていたりしていたのデ、案外五時頃であったかもしれなかった。ということは睡眠は六時間ぐらいということになってしまうが。
11:34 2024-01-18


 わたしも若い時には華麗な文章がいつも念頭にあったが、寿命も殆どない現在は個人的な事実を書き残したいということに頭は完全に集中している。ファンタジーっぽくなるような短編、例えば『僕相思』なんかは、愛のテーマをさらに強めるためにファンタジーっぽい終焉、終章が重要になる。まだ執筆してはいないけれども。断片はどこかに行ってしまった。見つけることは可能だと信じているが。
11:43 2024-01-18


 14時頃まで『22才』を書いていた。もっと書き続けられそうなきもしたが、食事もしたくなった。
 それで半納豆ご飯、そして9錠を嚥下した。
 そのあと15時過ぎまで『22歳』を書いていた。まだ、初稿であり、草稿段階だが、書けるだけでも自分に対して天晴と言いたい気持ちだった。満足感が残った。わたしはノーバディ―ではなく、サムバディーだという感慨がちゅおっとあった。


 それから、やはりビールを買いにNPに赤い旅行鞄を持ってでかけた。特に夜など何か口にしたいときに、ビールをのむと食欲がある程度抑えられるような体験をしているから、欠かせなくなった。
 あのイロケーゼの髪型のちょっと怖い中年になりかけている男が再びその髪型に戻って、頭の真ん中の髪を透き通ったような金髪に染めて伸ばして固めているようだった。彼の普通の髪の色は茶色で目立たないものだが、また、戻っていた。
 わたしはあえて彼を見ないようにしていた。この前、彼の髪型について言葉に出して、彼の注意をひいてしまったと思うし、それでなくてもアジア人ということで目に留まっているはずだった。笑顔なんてつくってないのに、嗤っていると思われて、中学生の時には校長の末っ子の肥満な豊という漢字だったか?いきなりよられて倒され胸の上にのっかかれてしまい、「嗤うか、まだこれでも嗤うか」とやられたことがある。まったくの濡れ衣であり、わけが分からなかった。わたしが恐い性格で懼れられるような生徒だったら、そんな主観的な猜疑からそういう暴力を振るうようなことはなかった、おこらなかったと思うが、大人しかったからやむをえないことだったのかもしれない。あの義春という色が黒く目がぎょろっとしているアフロ日本人ではないかと思えるような私よりも小柄な奴も、バルコニーにでていったわたしをみて、
 「ん、なんだ?」
 と睨み付けると、鳩尾に殴りを入れてきたものだった。大した起爆力ではなかったが、それも豊田と同じで、勝手にこの義春がわたしの笑顔で歩いてくるのを見て、自分を嗤ってやがると看做した冤罪であった。
 あとは、下などがしょっちゅうわたしをみんなの前で蔑み、虐めるような、侮辱を繰り返し、凸でも江や、市がいつも大人しいわたしをこき下ろして威張る相手にしていた。
 あんなときに、わたしは、「うるせえ」とか「ほっといてくれ」とかの一言も言えないのだった。人とのやりとりがそれまでにもなかったので、寄られて、いろいろ貶されても撥ねのける術、言わせない、非難させない雰囲気などもつことはわたしにはなかった。


 そして今では、川とかフェとか、数年前にはシ東条などに煩く寄られては罵りを受けていた。あとがやっかいなので、撃退方法がわからないまま、悪口雑言を流布され今日に至っている。ノもわたしを正義の使者を自認した感じで、I村に載せられて、「悪いと思いませんか」とわたしを詰ったことがあった。とにかく、人を折あるごとに批判することが自分の正義、偉さだと思ているような性格である。古さんにも大いに問題がある。病的な独裁者、この一言が該当すると思う。
10:20 2024-01-19


 石下町の鬼怒川のドブから水を救い上げて酒を醸造している山直のおばたちがわたしの客になってしまい、わたしも不用心に石下の学校に通ったことなどを話してしまい、写真をとられてしまったことがあった。肥満体そのもののときの容姿の時だった。帰国してわたしに空中膝蹴りを喰らわせた都や、デブの豊などにもヤ直はその写真を見せひろげたのに違いなかったろう。それどころか、学年一位の才媛で、わたしの中高校生の時の許嫁だった富美子さんの眼にも触れたかもしれなかった。そう思うと、一本作っただけで放っている、わたしの実名を入れた、YT、観光ガイド用だが、できのよい私の写真も入れてさらにつくりつづけていかなければならないような気もしている。
 創作のほうが圧倒的に大事なのだが。もshかしたらわたしのYTを彼らが見る機会が発生するかもしれないから。
10:28 2024-01-19