蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-15 月曜日

2024-01-15 月曜日


 起床は、最終的には12時半体重は83,7kg
外気温は3度。風が強い。


 インスタントラーメンをノイ狐狸のチキンの肉とシャンピニオンを入れて茹でて食べた。美味くはなかった。でもキノコは食べれた。肉は相変わらず苦手だが。
 創作をする気持ちになれない。ター面を食べ乍ら日本の歴史関係のYTを視聴した。ソニーでろくがしたいほど面白い。興味深い。
 鬱屈した気分でモニタに向かっているよりも興奮も感激もできるYTを見る方がわたしの時間は充実していると思う。だが、それでは永遠の受け身、受信者、視聴者で終わってしまうこともたしかだ。
 やはりう自分の世界に浸ることも大いに重油だといえよう。
 それでも、二本市場に登場する闘争、権謀術数をみていると、『ガ合戦』を書いてみたいと
再びやる気になれる。やはり助力として関係するものを読んだりみたりするのも必要だと思った。
『日本レ』のためには、辛い修行の話とかが参考になると思うが、そんな小説などみあたらないし、どこにもないという気がする。なにもわたしには参考になるとは思えない。そう、わたしのこの体験はやはり私だけしか経験してないという気がする。
 『母』だって、そうだ。
 林扶実子の『放浪記』の一部に耳を傾けてみると、わたしのオランダからパリに職を、生きるために職を探していたころの自分の姿が思いだされたが、これだって、日本の国内を放浪する彼女とはかなり立場が違ってくると思う。
02:12 2024-01-16


 『日本レストラン』が停滞している。最後に筆をおいてから10日間はすでに空白状態が続いている。もちろん、ソシアルアムトとかの書類作成なども邪魔な障害物としてあったこともあるが。小野寺君子さんの部分がまったく進まない。
 だったら、『22歳の放浪記』とか、それこそ『ガイド合戦』に立ち向かっても良いよういなきがしている。なにも書けないよりは全然ましなはずだ。


 厨房から書斎へ廊下をゆっくり歩いていたら、背中が貼りついて全く動けないで同じ姿勢で横たわっている自分、その時に見た長い長い夢を思いだした。雪が積もる北海道の森の中を走る列車の屋根に体を仰向けに結わえられているわたし。わたしは明らかに体を冷やされていた。度の夢も寒かったように思う。また、カメのように横にも俯きにもなれず、ずっと仰向け状態で横になっていた。そのこともやはり書きたいと思った。『生と死の狭間で』
 02:24 2024-01-16


 『放浪記』第二部を聞いているうちに、私自身の『2XXの放浪記』を執筆する餅が盛り上がってくるような気がしてきた。彼女の作品で本当に読みたいのはオリジナルの放浪記のほうだが。読まれているかもしれない。ぜひ聴いてみたい。聴けたらあの高校ラジオ講座現代文以来になる。あのラジオで伊藤整の『若き詩人の肖像』も知ったのだったが。のちには読破している。
02:41 2024-01-16


 朗読、林扶実子の放浪記、第二部を聞きながら創作しようと思ったが、やはり無理だった。音楽でさえ創作中には聞かないと言う作家、西村賢太のような人もいるのに、このわたしの態度はなってない。
書けるはずもない。
03:27 2024-01-16


02:18 2024-01-16