蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

50枚の短編が仕上げられない、情けなさ……

ネットでTVが見られ、アラン・ドロン主演のレオパルドを半分見た。まともに視聴したことがないので見よういと思ってしまったのだが、今晩も結局真剣にはみてない。
ウィキで調べたら、ドロンはもう87歳になり、元俳優と説明されていた。元俳優かと驚かされた。そして脳卒中に襲われたということも知った。
 
 そんなこんなで年末までに短編を仕上げたいのだが、『短編 H』はいっこうに進まない。賢太のようにベットの布団のなかでネットもテレビも水に大学ノートに書き込むという方法が一番よいのだろうかとも考え直す。読み直すのに一苦労の自分の文字も丁寧に書くように、あとで読めるように、やればよいことだとも思う。
 ジョージ・オーウェルの作品はひとつも読んだことがない。青空に6作品が提供されているので、いつか読むかもしれない。彼のことで一番感心したことは、46歳で亡くなっているが、その数年前に結核に罹患してしまっている。死期が自分に迫っていることを自覚しながら、あの有名な『1984年』とかを書き上げていることだ。凄いと思う。


 紙と鉛筆の技術……どこかでこんな一行を読んだことがあった。試してみようか。書ければどんな執筆環境でも大歓迎だ。ひとつ断定しなければならないのは、わたしに自己克己という膂力がないこと。努力ができないこと。
 一度は、思いついた案は、そのままほぼ初稿の完成まで一挙に書き上げる。それまでは机を離れないと決めたことがあった。これはかなりのパワーが必要だった。でも、脳裏がこの思いついた案、ストーリーが脳裏の中に篭もり続けているので、悪くない製作、執筆態度だとあの時も思ったものだった。精神力に体力がついていけずにやがて崩壊した創作態度だった。だが、この体力が長続きするのを工夫し調整していけば成功するとはいまでも思う。