蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

救急車を呼ぶ

毎日買い物という目的を自分に持たせて散歩をするようにしむけていた。特に地下鉄駅の近くには、大きなエデカやレーヴェ、そして食料品は一切置いてないウオールウオースがあり、駅のさらに先を行くとそこにはデーエムなどもあった。道順も遠回りをしてみたり、工夫してみた。ところが徐々に五月に入ってからなのだろうか、どうしても歩き方がゆっくりになってきてしまっていて、本人の私は説明がつかなかった。それはさらにスローモーになってしまい、これは妻の最後に似ていると思い出させた。嘘のようにのろのろと妻は私と愛犬と歩くときにスピードが落ちていて、常にいつのまにかかなり後ろに姿をみせることになり、愛犬の革紐を引いて引き返したこともあった。
 そして今の私がかなり歩幅が短くなりのろくなってきて、これは私もかなり以上だ。なんか就寝中にあったに違いないと信じるようになった。3,4日も経過したあと、50メートルも散歩する自身がなくなったその夜、眠れもせず朝まで起きていた。それで消防署を通して112番に電話をして救急車を呼んだのだった。
 やってきた医者にも救急車の看護士からも罵られた。それはどうもわたしが重病人に十分見えないためらしかった。だが、わたしはそろそろこの医者ぎらいのわたしも病院にいくときがきたのにちがいないと判断して連絡したことに後悔はしてなかった。
 そして私の判断は正しかった。一体、どんなやりとりを電話でして、救急車が注文されたのか、それをできるだけ細かく話してくれと救急車の医者は面白くなさそうに言っていたが、わたしを診察した女医は、わたしからそのいきさつを聞くと、なんと言う医者なのか、とんでもないことだと名前を聞きたがった。だが、医者の名前などわtしはチェックしてない。彼女は一言いわなければ気がすまないという勢いだった。


 血糖値、脈拍、レントゲン、いろいろの検査があった。
 そしてカテータス、ステントのことを言われたのであった。