蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

イタリア人の詐欺師。信頼の危険さ

昨日の午後、請求書を徹夜で書いたものをいち早く送りたくて、そのための郵便箱を求めて地下鉄で1区間先まで散歩した。
帰りに地下鉄のアンティークの店に行ったが、開店時間であったのにもかかわらず店内は暗かった。もしかしたら拾い物があるかなと期待していたのであったが。


地下鉄駅構内で髪の高くちょうど厚い折り紙でも被ったような髪型の65歳は確実に過ぎている婦人に声をかけられた。彼女はエレベーターを探していた。しばらくこの駅にきたこともないので、また、ガラスの壁だけにおおわれた空っぽの店などが目に飛び込み、駅内の記憶がちょっと心もとなかった。誤った方向に婦人を誘導し、再び戻って、ちょうど公園への出口であり、またエスカレーターを全部銀色の長短さまざまな板をずっと階段にそうようにして脇に並べて作業をしているオレンジ色の服の60台ほどの男二人のほうに二度間違って戻ってやっと案内できた。
50台前後だろうか、灰色の光沢をもつ人口石版の壁の間に入っていく姿があり、そこだったと思い出したのであった。
間違って歩かせたことを婦人に謝ったが、彼女はとにかくエレベーターに乗れたことで私に感謝してくれていた。
よく、外国人の私に尋ねたものだと、聞かれたときには妙な気持ちになったものだった。みんなが外国人に不安と嫌悪を抱くものでもないのだとしみじみと思った。


もとの場所に戻り、ベトナム人の花屋で妻が好きだった向日葵の植木を三本かった。袋はと要求すると、かなり年をいった70近い顔が皺だらけの男が殆どなにも返事もせず、むしろ自分のやっている仕事を中断されるのがむっとするという表情であったが、薄い緑色のポリエチレン袋をもってきた。


わたしはゴミ袋のようなものをさげて帰宅の途に向かっていたが、狭い道を行く車から声をかけるものがあり、道におそらく迷っているのであろうと思いもし、よく今日は他人から頼られる日だと思いながら近づくと、そいつは結論から言うと詐欺師であった。