蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

ドイツ北東部はからっからの乾燥状態

 毎日が雨が降らず、この写真はバルコニーから臨む西側の風景ですが、東側は誰も水を撒布する人がいないのか、管理人はなにをしているのか晩い秋のような枯れ葉状態になってしまっているマロニエもある。玄関脇に蛇口があるので捻ってみたが、水がでないように元栓がしめられているようだった。
ドイツ人って、日本人もそうですが、自然が、緑、樹木が好きなのではなかったのですか!?

最初は、この建物が目障りに感じましたが、風景の一部として受け入れるようになりました。

学問のススメと石田衣良さんの文学談話

学問のススメに東山彰良さんが出演しているのを知った。そして『流』を僅か三ヶ月で執筆したというエピソードを聞いた。仕事をしながら一日の最後にあたる深夜にこつこつと書いていったということなのであった。すごい、とてもわたしには真似できないと深いため息がでた。


 仕事していたら、その仕事体験が尾をひいてしまい、創作などする心の余裕は一切ないからだ。それを東山氏は克服していったわけだ。
 書ける人はもちろんテレビは見ないし、パソコンもやらなかったり、ユーチューブを視聴するようなこともないという感じだ。
 西村賢太さんは寝床で手書きだった。ノートパソコンで書く場合には布団のなかでは無理という感じ出し、ついついユーチューブをみてしまう。
 今年の一月十三日に引っ越しを余儀なくされてから、テレビはみないことに決めたのだが、ユーチューブをネットで見てしまっている。少しはTVよりもましだが、やはり執筆などはできない。我ながらどうしょうもないと思う。
 文学賞の締め切りなども怠惰な自分への鞭として念頭に置いたりもするが、選考委員の顔ぶれや受賞作傾向をみると、自分が応募できそうな文学賞はさらに少なくなる。


 ここで、学問のススメのほかに、最初は生理的拒否反応を覚えていた石田衣良さんの文学講座をご紹介したい。三人の鼎談という形をとっていて、書こうとしているわたしたちにとっては参考になる、励ましになるといえます。

漫画を描く少年 28 再会


 再会


 卒業して就職先も厳密に選びもせずに、教師に勧められた職場に入って二ヶ月経った。最初はヘッセのように近くの町の本屋で仕事をしようと思っていたのであったが、将来性がないとすぐに教師に否定されて東京の製本会社に入れられた。
 左翼関係の出版社に入った大林とたまに手紙のやりとりがあったが、その彼から巌清水出身の高橋や眞鍋も来るからということで集まって気楽に食事でもしようではないかと誘いがかかった。
 高橋も眞鍋も浪人中であるということだった。
 小柄で坊主頭に黒縁眼鏡をかけた大林が口数はいつものように少ないが、一番やりがいのある人生を送っているという意気込みに満ちていた。背の高い眞鍋も相変わらず大人しかったが、二人とも、社会にでて仕事をし始めている茂樹や大林に、引け目を感じているようなところがあった。自分たちは親の脛をまだ齧っていて、しかも浪人していてだらしがないと自己批判をしきりに繰り返していた。茂樹にはそれが良くはわからなかった。
 高橋は、そんな自己の甲斐性のなさを喉仏を動かして訴える一方、同級生で同郷の鼻の長い感じの女の子の名前をだし、なんとか性的な関係をもてないかと、そんな悩みを話していて、茂樹たちを笑わせ驚かせた。


 彼らが住む巌清水市から海棠市に住む大林の家にその晩は一泊する予定であった。彼らは巌清水三叉路まで見送りに来てくれて、海棠市行きのバスを待つことになった。
 彼にとっては僅か二ヶ月ほどではあったが、そこはある種懐かしさと切なさの籠もる通学用の分岐点であった。
 夕日が濃く赤く完熟した物体に凝固し、その周囲の山々や針葉樹の多い樹木に崩れながら沈んでいき、白雲を忽ちのうちにピンクとうす青に染め上げていくなか、懐かしく和ましい気持ちに茂樹は解けだしていた。
 三叉路で彼らはみんな降りて、たちまち垂れこんだ夕闇のなか、黄色く闇に滲み出す街灯の下で次の乗り換えのバスをまっていた。すると、二人の小柄な影が向かい側のバス停にちょっと動くのが見えた。
 彼女たちの姿を朧にバス停近くの街灯が浮き上がらせていた。家屋の背丈のある垣根や植え込まれた樹木で周辺が暗闇に包まれていて、二人の姿がちょうどあの岩窟の聖母のようであった。手前に佇み瞼を伏せていた女の子に、茂樹の注意力が激しく吸い寄せられる。
 「イワモトだ」
 高橋が小声で咽喉仏を動かして呟いた。茂樹は自分の耳の能力を疑った。まさかと思った。彼女は田舎風の赤と緑とピンク色のチャンチャンコみたいなものを羽織っているようだった。
 「今は、姉さんの洋服店の手伝いをしているんだ」
 再び情報通の高橋が補足した。茂樹は、ただ、彼女が自分と同じで進学しなかったんだということを理解した。
 茂樹はスーツを着ていたが、ちょっと自分が都会風にみえるかなと自信が少しもてていたせいだろう、彼女のほうに視線を投げやった。好奇心と懐かしさと、それから自分の中に抑えられていた長い間の憧れ、思慕がもう抑え切れなかった。
 玲子も茂樹のほうを見やっていて自然な微笑みを浮かべていた。在学中と違って、抑圧から解かれたような和やかな微笑みだった。
 玲子が自分のほうに求めて視線を送ってきたのはこれで二度目ではなかったかと思った。胸が内部から温かくなってきた。頬が熱くなってくるような気がした。
 漫画を捨ててはいない。でも今は玲子のほうが大切であった。
 今度はこのままで黙ってしまうような、去ってしまうようなことはしないと自分に言い聞かせた。今度こそはこの微笑まれたチャンスを逸しはしないと決意した。
 友人たちのちょっと揺れる気配をよそに、茂樹の足が一歩彼女の立つバス停に向かって踏み出していた。

漫画を描く少年 27 卒業

 
 卒業


 三月下旬。あっけなくひとりの落第生も出さず全員が卒業となった。
 辛い思い出ばかりの校舎を後にして、抱きかかえた卒業アルバムを帰りの列車の中で大判の茶封筒からそっと出してみた。その封書のなかには他に学校のパンフレットや、学校の雑誌『優美』なども入っていた。でも茂樹がどうしてももう一度見たかったのは玲子の姿だった。これまで彼女の写真を見たこともなかった。
 彼女のクラスの三年A組の写真を彼は開き、その右半分に女性たちが並んでいたが、その最前列に玲子がいつもの彼女らしい表情でカメラに顔を向けていた。
 整ったしかし微笑みもない近づきがたい表情で他の女生徒の間に佇んでいた。


 その晩、思いあぐねた末に彼は手紙を玲子に書いた。アルバムの一番後ろに名簿が住所つきで記録してあったのだ。最後の、この完全に別れとなった今、どうしても彼女に知らせたいことがあった。
 もちろん、彼女を愛していることだった。ずっと美術室で見たときから彼女に恋焦がれていた。そのほかの言い方がないほどいつも彼女のことを気にしていて忘れたことがなかった。
 この気持ちを、下手な文字で、情けない言葉で、五行も書いて封筒に入れてその日の内に投函した。迷ったが、自分の名前も住所もとうとう書けなかった。それでも奇跡が発生して自分が送ったことを彼女には理解できて、しかも返事が来ることを期待する気持であった。
 もちろん返事はいつまでたっても来なかった……

漫画を描く少年 26 学年送別会

学年送別会


 高校最後の冬休みが開けてそうそう、高校生たちは全員体育館に集められた。一種の高校三年生へのお別れの学芸会であった。一二年生はともかく、高三生たちには、受験でそんな気分ではなく迷惑げな雰囲気が漂っているようだった。茂樹と一緒にいた四妻町出身の好川もポケットに忍び込ませた英語の単語帳をちらちら他の生徒にみられないように覗いて
 「こんなことしてる暇はねえのによ」
 と舌打ちをしていた。
 一二年生がそれぞれ送別の辞を述べ、吹奏楽などをおこなった。それから高三の代表ということで、何人かがギターなどの楽器を胸に抱いて演壇に登場した。そのなかに玲子を見出して茂樹は目を瞠った。
 女好きの好川がどんな反応をしていたのかは全く記憶にはない。ただ、茂樹は憑かれたように、シューベルト歌曲のひとつをドイツ語で歌っている玲子の声と変化する表情、そして学生服姿を見つめていた。彼女の顔や姿を、そして声をこんなに堂々と聞くチャンスに恵まれたのはそれが最初であった。
 白い壁だけを背景にして、両サイドが濃緑の緞帳で仕切られた、茶色い光沢のある木造のステージに学生服姿で登場すると、銀色のマイクに唇を近づけ、顔は茂樹たちの頭の上のほうを見つめて歌っていた。
 「ご苦労なことだよ。受験課目にないのによくあそこまでドイツ語を覚えたよな」
 好川がコメントした。茂樹に耳打ちする好川の近づけた口から悪臭が漏れた。胃がやられてしまっているらしかった。
 もう一曲こんどはシューマンの歌曲が続いた。
 茂樹はある種の焦慮を覚えていた。自分だけのものと密かに思っていた玲子が、その姿を今、全校の男子生徒に晒してしまい、ほしいままに見られてしまっているということにだった。どこか裏切られたような気もした。自分だけが極秘裏に彼女を愛するということがこの場では無効で不可能になってしまっていた。これでは彼女に憧れる生徒が増えてしまうという焦りが込み上げてくるのであった。そしてこの不安は更に悪化し、茫然自失の状態に豹変する。
 「れいこちゃん、いよ、素敵」
 彼の背後から髪を伸ばしたロッカー風の童顔の生徒が小さな声をだした。それにたいして、やはり隣に座るあの鼻めどを開閉して大きく呼吸する原始人風のロッカー宮田が、その不潔っぽい長髪をたくし上げて、声にならない声をあげていなしたようだった。つづけて
 「ちょっと足が太いかな」
 という同じ声が続き、ほんの僅かな瞬間だが茂樹は憤りを覚えた。完璧に美しさを持つ彼女にどうしてそんな馬鹿なけちをこいつはつけるのかと反射的に怒りを感じた。が、次の瞬間、照れくさげに発せられた言葉を聞いてショックを受けた。
 「うるせえな」
 鼻めどの大きな生徒が笑いながら満更でもないように応じているのだった。
 それを聞いている茂樹の頬から項にかけて鳥肌が漣のように立った。彼はこのロッカーたちのことをすっかり忘れていたのを再び思い出した。そして不快な気分に襲われ急速に落ち込んで行くのを感じた。                                     
 二人のロッカーたちの短い会話は、玲子の公然のボーイフレンドと認められている者にたいして、冷やかしを入れていて、また、野次をいれられて多少照れている者のやりとりであった。……それ以外のものではなかった。そして茂樹はこの鼻めどのでかい不良少年が自分の後頭部をちらりと一瞥したような気がした。
     
 「最低の奴らがよりによって綺麗で最高の女の子を攫うんだ」
 「不真面目で下種な奴が、女の子にモーションをかけるのだけは得意で、そしてそんな奴に美少女はひっかかってしまうんだ」
 帰りの駅への途上、悔しい気持ちを吐き出した。だが、なにもこれも、一歩も先に進めなかった自分が悪いのであって、あとは後の祭りだということも分ってはいたが。
 珍しく自分から恋愛関係のことを話し出す茂樹に対して、
 「手の早い奴が勝ちさ」
 と好川は憎まれ口を叩き
 「もうまもなく、俺たちゃ卒業だな」
 とあらためて近未来のことに触れた。
 「ああ、別々の道に進むことになるな」
 茂樹の頭にはもちろん、どこへ行くかも分らない就職先のことが漠然と浮かんだ。
 茂樹の反応が演劇にでも使われる手垢のついた言葉の羅列に聞こえでもしたのか、好川はもうおかしくて堪え切れないという感じで急に声を立てて笑った。
 「おまえは口が堅かったよな。たとえば女の子のこととかさ」
 「……別に、堅いわけじゃないさ。ただ、他人のことなんかにあまり興味がないだけさ」
 その言葉の後ろに、特におまえのペッティングの話しとかな、と付け加えたかった。
 「誰にも言うなよ。もう卒業してばらばらになるんだから言ってやろう」
 「……なにを?」
 なにか禁忌にあたることを好川が話そうとしている気配があった。しかも、半分話したくてしょうがないという動機と興奮もあるようだった。
 「俺な、中学生の時には梨衣子とやったんだ。…参ったよ、自分で脱いでくるんだぜ」
 あらためて茂樹は聞きなおした。
 「あの梨衣子さんと?」
 更に好川は面白おかしくってしょうがないという口吻で
 「瀬川ともやったよ」
 と言うのであった。
 「奴の姉さんのほうが綺麗なんだよ。だからそれを言ったら泣いちゃってしがみ付いて来てな」
 それで、それぞれの女の子の視線が茂樹と偶然ぶつかったときに、こんな風に好川からセックスのことを自分が聞き知っているものと勘違いして真っ赤になっていたのだと遅ればせに茂樹は理解した。ただ、そこまで聞いても自分の実体験の外の話しであるし、茂樹にはほとんど反応らしい反応はできないのであった。また、嫉妬も生じなかった。先を越されたという気持もなかった。