蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

使えないと思ったものが使えたという発見

安いターブレットを幾つももっている。もちろん日本語では書けないし、書けたとしても、ターブレットとかスマホで書くというのは日本語では非常に不便なので書かない。
日本語で書く場合にはノートブックだけにしている。それしかやりかたがないから。


ターブレットは、ほとんど無用の機器という感じで隅に放置しているのがこの土曜日までのことであった。
だが、YTをノートパソコンから移して移動中とか待ち時間に見てみようと考えて実行してみた。上手くいった。稼動がのろくて使い物にならないと想像していたのが、ちゃんと稼動してくれている。
やはり捨てて処理してしまおうと思っても、こういう発見があるから捨てられないと思った。

安いイチゴを買いこんでしまって

最近の二つの経験。
先週の土曜日の午後に歩行者天国を歩いていると、苺のあまくすっぱい香りに気がついた。掘っ立て小屋というか、出店というか、テントからはみ出るほどにフルーツを並べた八百屋の前で足がとまった。
もちろん、やすいということ、またもっとやすくしてあげるとかいわれて、そもそもこの八月の暑い季節にまだ苺が売っていることにこちらは驚かされていたが、進められて買ってしまった。しかも12箱ほど買ってしまい、袋がその重さで破れないかどうか、それだけ心配しながら家に持って帰った。
すぐにセルロイドといったらいいのか、透明の器に入った苺を三箱プラスチックの電子レンジ用の器にいれて、洗って食べ始めた。砂糖もミルクも用いずに食べた。さすが安もの苺の味は殆どしなかった。若い雑草の味を薄くしたような味覚だけがあった。もちろん、苺の味のするものも1割ぐらいはあったかとおもう。
たくさん食べてしまわないと腐ってしまうという気持ちもあり、さらに三箱を器にいれて水を注いで洗って食べようとおもったが、もう食欲はなくなっていた。


残りはフルーツ蝿とかにたかられるかもしれないとおもい、ビニール袋にいらたままにしておいた。
月曜日の今日、水に浸した苺をみると、幾つもすでにカビが白く水に使ってない部分に輪を作ったり、小さな帽子になっていてついていた。もちろん捨てた。
そしてビニールク袋をちょいっと嫌な予感を覚えながら開けてみると、まず中は生暖かく湿気が高く、蒸れているという状態を右手の指先や手首にまで感じた。生暖かい湿気に触れられたというほうが妥当な感触であった。
次々に外にだして台所にならべた。もうフルーツ蝿のことなどは頭になかった。白い黴がすでに私の目を射ていたからである。


黴が生えやすく、培養し易い状態においてしまっていたことを遅ればせながら知った。しかし、本当にもう遅かった。
入っていた六箱のうち、めぼしいものを途ってへたをナイフで切り取りながら、さすがに食べずに全部すてるのは悔しいし惜しいので分けていくと、およそ6分の1ほどの綺麗な苺を救い出せた。だが、そのなかのひとつを齧ってみると、かび臭い味がする以前に、やはり青草の淡い香りがするゴムみたいなものだった。


それでも卑しいので、砂糖をかけて、ミルクを注いでポータブルのジューサーでどぼどぼの液体を作って飲もうとした。底にぴたっとつけて猛回転で苺を細かく潰しているはずだが、中間にに浮かんでいるようなものはちゃんと細かく切り刻んでないのではと思い、ちょっと浮かせてスイッチをいれると、わたしの腹部にはもちろん、台所のまな板や包丁の部分にも白とピンク色、そして粒粒の苺や小さな胡麻のような種が飛び散った。


素人は買いも下手だし、保存も駄目。おまけにドリンク作りにも失敗をするありさま・・・
写真はやめた。美しい苺だったら載せてもいいけれども、グニャグニャで凹んで黴の生えている苺は興ざめに違いないから。




有名なイーストサイド・ギャラリーを見に行った。そして撮影。

そのなかでももっとも有名な二人の政治家のキスシーン
左がソ連のブレジネフ、右がホーネッカーです。

純文学と関係ないことばかりをここに載せている、自分です。
どうしょうもないということはわかってますが。

ドイツの街角で

あまり純文学に関係ないことをここに掲載させていただきます。
危険な喫煙の代わりに・・・・

いろいろ選べる・・・・

店の入り口

店の入り口に見られる看板




執筆環境と執筆機器

毎日暑い日が続きます。欧州全体が水不足という状態です。ヨーロッパにいて羨ましいと思う人もいらっしゃるでしょうけれども、お金がなくしかも遊ぶという気持ちも一切ないおたくっぽい私にはほとんどこちらにいても意味?がないことです。
病気にでもなったらせいぜい新米医者の実験体として手術台にのぼるようなものです。そのためにこちらの人が必要としているぐらいであとは肉体労働者として歓迎されるぐらいでしょうか。いえ、それさえも失業者や浮浪者、社会保障を受けている人の多い現状では必要とされていないのかもしれません。開口一番、また、愚痴っぽくなってしまった。


起床して、ラジオもテレビもついていないぼんやりした状態で思ったことは、そうだ、このまま執筆しようとして、あるいは執筆してそのままにしてある草稿に立ち向かうのはこの白紙にちかい状態だと思い出したことでした。
ラジオとかから新しいインフォなども入れずに、そのまま自分の脳裏に沈殿しているものを書き留めるには無風状態ででもなければ純粋培養できないと思ったことでした。
しばらくなにかを書くという作業、行為から離れてしまっています。・・・・と思っても、これから午後にある仕事のためにやはりそういうこともできないと再び諦め始めていますが。


スマホで執筆している人もいるといいます。わたしにはそういうことが、まずできたとしてもスマホやタブレットで執筆するという行為はひどく面倒くさいし、それだけでもうこういう書き方は失格という気持ちです。
叩き込むように夢中で書けなければ、そんな執筆環境でなければ・・・