蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

長塚節の家

二日ほど前にLevelBookさんの旅の記憶で紹介された、長塚節の家の訪問記を拝読させて頂きました。ただ、感心するばかりでした。
茨城県から千葉のほうに引越しということが決まった時に、地元の小中学校、そして当時は水海道一高といわれたいた常総市に思春期の時期を過ごしていたのでしたが、行ってみようと思い立って自転車をこいで行ったのでした。
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高校三年生のときに、わたしも長塚節の家を訪ねてます。そのときには節の姪とお
っしゃる方があらわれて、たったひとりの高校生のためにいろいろ話をしてくださ
って大変恐縮したものでした。
節も美男子ですが、彼女も美しく気品のある人でした。子供のときからすでに文学
作品を節が暗誦できたとか、そういう説明をされた記憶がありますが、聞いている
高校生のわたしはやっぱりこういう人は違うんだという思いに沈み、感銘とともに
物凄いジェラシーを覚えたことがあります。
石下町のほうでは節の旅装姿がブロンズになっているのですね。Uploie adを本
当に有難う御座います。
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コメントを投稿しようとしながら技術的なことが苦手であきらめ、自分のこの場所に書いているという変なことをすることになりました。

短期決戦も三日間になろうとしていて……

純文学系の他のかたがたのサイトをみた。皆さん、随筆やエッセイ、そして作品の発表の場所としてすごく誠実に真面目に作っていらっしゃるな、という感慨を覚えました。ちょっと反省。わたしのほうはやはり日記の書きなぐり風になっていますので。でも、それでも良いつもりで始めたのではありましたが。


ずっと晴れ続きで花粉が猛威を振るっています。花粉症の薬を二回服用した日もありましたが、効き目が怪しいと思われるほど、くしゃみと鼻水に苦しんでいます。眼を擦るところまではいかないので助かりますが。


やはりその日の気分を書くことが多くなっちゃいます。
ところで、仕事のある日にも執筆していた作品、始めたらその日に丁寧に書き終えるべきであると私自身が主張していたことですが、やはり体力の関係もあり、睡眠時間は必要なだけとらないと頭が稼動しないので、もう書き始めてから三日間は経過してしまっています。
仮題は「17時と7時のノーショー」ですが。
13時45分の現在、外気温はそれでも24度程度。室内は21度。

17時と7時のノーショー

朝方、ほんの昨日の残りの解かした冷凍野菜にスライスされたチーズを二枚のせて電子レンジで調理した。濃いコーヒーを喫み、それだけを食べて予定時間の45分前に家をでた。楽勝のはずだった。……と日記を書き始めていくうちに、短編みたいなものが徐々に纏まってきた。
 有り難いことである。この現象は、私が自分のためだけにのみ書いていた日記でも自然発生的に醸造され芳醇な酒にもなったこともあるが、公開日記として執筆をしているうちに、書き方に(これでも)より気を使っているのでより拾える作品ができる温床にもなってくれるようだ。


アリエンⅢをテレビを点けっぱなしで傍聴、傍観しながら簡単に日記をかいてみよう、ほんとうに今日は疲れたと思いながらはじめた事であった。
最近打ち立てたスローガンを念頭において頑張りたいと思う。
やる気のあるときには、のっているときにはアリエンが放映されいても滞ることもない。すこしは邪魔だが。


思いつき、書き始めたその時の自分が、そのままほぼ完成作品として執筆し終えなければならない

17日の夜半から早朝にかけてひとつの短編を仕上げることが出来た。題名をHとしておこう。
カフカにも一晩で執筆できた作品があるが、わたしはこれまで粗筋を忘れないように書くのが精一杯であり、翌日かそれよりもあとに読み返してみていつもやや絶望気味、落胆気味という結果であった。
その意味は、到底これをエッセンスにして飲めるドリンク、読み物にするのは不可能ではという疑問が、翌日のわたしはもう夢中で書いた私ではないので、批判的であり、ひとつも情熱を抱けないになってしまっているのである。
ある作家の言に、あたくしの作品の書き方は原稿用紙1枚1枚の勝負だとおもっていますというのがあったが、まさにそれだとおもった。
思いつき、書着始めたその時の自分は、そのままほぼ完成作品として執筆しなければならない。そうおもった。あとになっては私が私ではないので、それを書き継ぐには大変苦労を難儀を感じていて、なかなか手をつけないし、極端過ぎる言い方かもしれないが、粗筋執筆中の情熱はもうどこにもなくなっている。
そういうことを念じていたので、最後まで丁寧に執筆した。翌日には仕事も入っているので、やはりもう一度このHという短編を取り上げてみるという気持ちにはなれなかった。仕事がはいってなくても、取り上げる気持ちにはならなかったとおもう。
これはAB型の特徴なのかもしれない。だから、粗筋を一応書き終わったあとでも、やはり同じ態度を自作品に対して抱くので、酷評する側に私は立っていて、もちろんこの粗筋というねたをつかってさらに具体的に作品にしようとか、そこまでいけないのである。批判的な自分が拒否している。
したがって、思いついたらそのまま完成させなければならない。
じゃ、お前は長編は書けないな、と呆れる人もいるかもしれない。私は自分の長編は短編の連作みたいな構成にしようとおもう。


また、執筆できたのは、ネットもできない、外国製のノートパソコンを使ったお蔭であった。駄目な機種なので壊れてもいいという態度で二日間もオンの状態でほうっておけるこころの余裕がもてるところが良い。