蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-24 土曜日 ロシアのウクライナ侵攻日

2024-02-24 土曜日 ロシアのウクライナ侵攻日 


 昨夜、Nさんにメールを書き送った。返信はまだない。ああいう強い人にはわたしのような弱者、センズィーブルナな種類の者は理解の外にあるのかもしれない。


 1時頃に就寝し、7時半には起床した。十時ごろまでにスーパーのNPに行き、茹でハムとレバーのパステーテをつけて黒パンにルコラをのせて二枚食べた。それで結構空腹感は満たされた。
12:04 2024-02-24


 今日は2月24日ということで、ロシアのウクライナ侵攻二年目ということをまず最初に思った。それだけ最近は博物館の予習や対策について気をもんでいたわけだが、次に、あれっと思った。
 「昨日は23日じゃなかったか」
 と。
 それは、わたしのそして今上天皇、なるひと様の誕生日でもあった。このことをすっかり忘れていた。私は2022年の5月に二回死亡していたのに、享年66歳でなにも残すこともなく終わっていたという感じだったのに、昨日、68歳になったわけだった。Nさんに言わせれば運が良かったということだった。
 私が自身で救急車を呼んでクリニックに搬送して貰う手続きに踏み切ったこと。
 一個のステント留置手術を受けた後、二日後には退院であったが、タクシーも止まるようなシステムにはなってなくて、クリニックの玄関でさあどうやって帰ろうかと考えているうちに、痛みもなにもなくすーっと魂が抜けるような感じで意識を失い、死んでしまっていたらしかったのだった。だが、二度のエレクトロショックの蘇生処置で再スタートがわたしには許されたわけだった。
 それからは、なんとか創作の癖、生活習慣を根付かせようとする努力と工夫が一応なされた。
 今はでも、慣れていない博物館の予習で創作どころではないという状態になってしまっているが。
 12:43 2024-02-24

2024-02-21、22、23 金曜日

2024-02-21、22、23 金曜日


 N大学の生徒が旧とボーデ博物館を29日には訪ねるということで、しかも誰も館内からはコラトアーがあらわれずにぶっつけ本番でわたしが担当しご案内をすることになっているので緊張している。
 若い母親のKさんや、お客の食べ残しをいつも持ち帰る老婆のN.H.さんなどはA4版の書類を携えて、それを見ながら平気でガイディングをやっていて私を多少驚かせるが、それも見ようによっては、今、きちんと調べて準備してきている、それがガイド自身の不慣れで、記憶もしてないし、博物館の内容を自家薬籠中のものとしてないことが暴露されるだけ、馬脚を露わすだけではないかと、思ってしまい一所懸命暗唱し、ポイントが経験豊かそうに噛んで含めるように説明しようと思うのはわたしだけなのか?とも考えてしまったりする。が、ギリシアやローマ、トスカナ彫刻に興味がほとんどもてない。キリスト今日の多くのエピソードはやはり文学的でもあるし、絵画作品にはかかせない背景でもあるので、もう喜んで興味もそそられるし関連することには聞き耳もたてている。が、彫刻は、ミケランジェロのピエタ像のような素晴らしいものならいざ知らず、未曾有に展示されている彫刻、古代のそれとなると……でも、やらなければならない。
 それで、緊張している。
 でも、いまは、ドイツ語の説明を借りて、それをもとにして学生にハイライトを説明したいと思っている。一種の居直りだが、そのほうが自信のなさそうなわたしの説明よりも、ちゃんとやってくれているという印象をもってくれるかもしれない。そんな気がするから。それがベストな気がする。
 暗唱できるのは数回訪問してからのことだ。それは自然に身に付くものだ。と思う。


 21日の水曜日には午前中にキムチ餃子を焼いて食べて、ペニーラントに散歩した。そこでシャブローネを買った。
 午後YTで北九州の文化のために作成している人がいて、そのなかから松本清張と火野葦兵の小伝記を録画視聴した。清張の作品は短編集を一作読んだだけだが、デビューの頃の『ある小倉日記伝』とか『西郷札』などもぜひいずれは読んでみたいと思う。
10:37 2024-02-24


 22日金曜日
 午前六時起床。石原慎太郎は享年91歳だったことを知る。森村誠一も長生きしたが、彼も凄いものだと思った。もちろん、問題は、重要なことはいかに充実したものにしたかということだと思う。作品、創作的にはあまり芳しいものではなかったと思う。膵臓癌。息子が四人いたと言うのは凄い。苦労したとは思うが。奥さんが。
 私が似ていると言う有名人? 陣内孝則、田中康夫、高橋克典・・・・・・
 6時、体が重くて起きられなかった。9時半に起床。やはり十分な睡眠時間はこの時刻までまたなければとれなかったらしい。でも、覚醒した時には、さすがにこの時間には体が軽く感じられた。
 午後三時、ローラ風の、スライスしたリンゴをココナッツ油で焼いてシナモンをぱらぱらかけて食べた。やっとリンゴの食べ方がひとつ開発された感じだ。日本人の家庭だったら、絶対にこういう林檎の食べ方は生まれなかったと思う。とくにシナモン、昔はニッキといったが、をつけて食べるということは。
 夜中にインサイド・マンを視聴した。
 この日は、博物館についてのYTを一切視聴しなかった。あいかわらずわたしにはムラがある。
 もちろん、ボーデと旧博物館の仕事が近づいているので、創作もできない。でも、だからこそ今は執筆したいなぁという気持ちになっている。困った性格だ。
10:51 2024-02-24


 金曜日 
 午前3時ごろにベットイン。起床は八時半。
 コーヒーと緑茶を飲む。起き掛けにはカフェインのあるということで、食後には飲むのがタブーのこのドリンクを飲むことに決めている。それからできるなら二時間後に昼食を兼ねた朝食でブランチと言うことになる。
 午後2時半ごろに散歩も兼ねてウオールウオースに行った。ほぼ普通に歩けた。
 この日は一日中、博物館関係のYTを視聴録画し、以前い録音していた旧博物館のMp3を横になった状態で聞いていた。あたまにはいりつつあるのが分かった。それでも、どこのなんの説明か分からないので、実地ではオーディオガイドを使って案内しようと思う。生徒たちには最初から英語を配るか、あとにするかまだ分からないが。


 ナタリードロン主演の『個人教授』の片鱗をYTで視聴した。いつか全体を視聴したいものだと思う。
11:55 2024-02-24

2024-02-20 火曜日

2024-02-20 火曜日


 昨夜は午後11時半辺りから、随分遅いスタートだが、午前二時半ごろまで『22歳○○』の執筆ができた。約3時間の創作活動だった。
 02:57 2024-02-20


 午前4時。まだ頭は透明で、クリーンだ。まだ創作も続けられそうな気gル。欠伸は出てくるが、今、ベットインしたら眠れずに無駄に三時間とかもんどりうつだけで、眠れない気がする。
 映画のランクを発表するYTがあった。フランス映画だったか、驢馬が中心となった作品も紹介されていたが、わたしにはずっと前からゴールデンレトリバー来夏が軍用犬として人間に悪用され辛い思いを重ね、でも、最後はイギリス軍に捕まり捕虜となった日本人の犬好きの青年との再会で泣かせる?作品が再び脳裏に浮かんだ。
 03:54 2024-02-20 


 今、思いだしたが、一昨日の深夜、ヘアツ・シュリット・マッハーからビーンと言う何かが動く響きと音がした。稼働しているという証拠ならば良いのだが、壊れた音だったら、と考えてしまう。思考したってしょうがないことで、クリニックに行って調べて貰うべきだが。
03:58 2024-02-20



04:19 2024-02-20

2024-02-19 月曜日 『愛は輝いて』

2024-02-19 月曜日


 午前三時にはベットイン朝まで眠れなかった。徹夜をしてしまった。それは、前日の午後に睡眠をとっていたから眠れなくなったとかいうことではなく、簡単に言って、久しぶりに緑茶をTバック二個を使ってだが、晩になってから飲んだからに違いなかった。抗癌性もあるのでやはりわたしとしては飲まなければいけない飲み物だった。ただ、鉄分吸収を緑茶のカフェインが阻止するということでここ数日間控えていたのだった。だが、久しぶりに飲んだことが功を奏してまったく眠れなかったのだった。
 ビールを数日間控え、久しぶりに二本飲んだら体に良いと二日酔いっぽい体調の悪さを翌日に感じた物だったが、それと同じ反応のようだった。
 あんまり頭も体もはっきりしているので、NPに買い物に散歩をかねて行った。通しで休憩も必要なく歩けた。この様子なら完全に月末の公共機関を使っての学生貧乏ツアーにも体は耐えてくれると確信できた。
 グレープフルーツ、リンゴ一袋、ビーフの肉、黒パン、鯖缶二個などを買った。ヨーグルトを買うのを忘れていた。最近視聴した本要約チャンネルで腎臓のためには上記のものが良いことをしってかいもとめたのであった。もちろんビーフは久しぶりにステーキを食べたくて、値下げしていたのを発見し買ったのだったが。


 最後に記憶した時刻は正午過ぎ、12時15分ぐらいだった。
 そして午後5時に起床した。五時間の睡眠だ。
 貧血のための鉄剤も、朝一番の、起床後だったら良いのではないのかと勝手に思い、今、コーヒーと緑茶を作っている。
17:43 2024-02-19


 1週間分の小箱に薬を仕分けして入れた。やく15分かんかかった。その間厨房でドイッチュランドホンクを聞いていた。日本のウクライナとリトアニアだったろうか、援助と貿易に関して契約が新たにむすばれたことが報道されていた。日本の24ニュースでは昨日の報道だったが、一日遅れで、それでもニュースとなっていたのが嬉しい。
 欧米はウクライナ支援について、支援疲れなどという言葉がでてきているが、じゃ、ロシアに侵攻されているウクライナの一般市民や、弾丸が不足していると訴える兵隊にとってはどうなんだと言いたくなる。抵抗に疲れたら、国の防衛に疲れたらそれでおわりになってしまうじゃないかと言いたい。支援疲れだ?、ふざけるなとと言いたくなる。じゃ、そういうあんたは何をやっているのか、と聞かれたら金も若さも体力もないので、ちっちゃくなっているしかないのか……いや、言いたいことはそれでも発言しても良いと思う。それこそ言論の自由だ。じゃなければ裏金脱税とか好き放題なことを暴かれもせずにやられてしまうことは日本でだって露呈している。


 午後五時起床で、もうベットには戻らずに少ない寿命を有効に使おうと思う。
 老人にできることは過去の経験を伝えることだ。もちろん、読みたくないもの、耳をかしたくない若者はかさなくても強制はできないし、しない。
 不安症なので、月末の学生ツアーが気になりだしている。
 18:14 2024-02-19


 i村が神に殊更に愛されている。ソシアルアムトなどで生活保護を受けていて、健康保険料金も国から払って貰っているという僥倖を満喫している人物。もうゴットリープとしか言いようがない。それはアマデウスという言い方もできる。
 それで確認の意味で調べ始めているうちに、今度はナタリー・ドロン主演の個人教授がいきなりモニターにあらわれた。エマニュエルは神と共に、ゴットリープ、アマデウスが神に愛されるという意味で調べていたのだったが、高1か2の時に、一人っ子のGが、わたしが太陽が一杯のことを感激して話していたら、そして個人教授の映画音楽が模倣ではないかと容疑を離していたら、Gは圧倒的にナタリー・ドロン主演の個人教授を絶賛していて止まらなかったのだった。をれを思いだして創作の寄り道だが、検索せずにはいられなかった。
 フランシス・レイの音楽も最高で、わたしの創作の意志はまたインターネットのなかで見失われていく。
 19:31 2024-02-19


 『美は壊れやすく』なんていうタイトルが頭にふと浮かんだ。高1の旅行で鎌倉に行った帰りの列車のなかで、凄く美しい女性を混雑した列車のなかで、1mも離れていない位置に見た経験がわたしにあった。ただ、彼女はなぜか片目を瞑っていたのだった。だが、わたしが盗み見ているあいだ、気が緩んだのか、頑なに閉じていた目を彼女は開いて見せてしまう瞬間があった。そのときに、高2のわたしは鶯の緑の糞のように濁ったものを眼球のあるべき位置に目撃してしまった。わたしがハッと驚くと、その気配を彼女は感じたのであろう、同じようにわたしをほんの一瞬見つめると顔を赤らませ俯きに伏せてしまった。わたしは視てはいけないものを見てしまったと済まない気持ちになった。
 なんだろうこの世の中は、神がいるとしたらなんてことをするんだろうと、あきらかに彼女の眼が後天的に潰れてしまったことを思って怒りと驚きを覚えていた。ほぼ硬直状態に私は陥っていた。
 だが、次の瞬間、込んだ列車の人の下半身より低い位置から明るくなにかを訴える子供の声があがり、みるとおそらく三歳にもならない幼児の姿があった。彼女の表情は慈愛に満ちた笑顔に豹変し幼児を抱き上げるのであった。この時の彼女は自分の隻眼のことはまったく意に介しないようであった。それはその時の彼女にとっては問題ですらないようであった。そしてそれまで彼女とわたしの間に広い背中を向けた男、その男の首と肩が額縁のようにわたしの視界の左側を遮断し、それまで彼女の綺麗な肌と形の良い鼻筋や豊かな唇、そして眉や優しそうな開いているほうの眼差しの顔を特に際立たせていたのだが、急に動き出し、彼女になにか低い声で話しかけたりするのであった。その感情のあまり籠っていない声音は、あきらかに彼女に話しかけ慣れたものだけに許されるものだった。
 「彼女の夫だ……」
 と僕は思った。そして彼女のことを思って、
 「良かった。良かった」
 と思った。だが、次の瞬間、もしかしたら彼女の眼を潰したりしたのはこの夫かもしれないとふと思った。もちろんたとえ碧眼でも彼女の美しさにすでに魅了されているわたしの過剰な猜疑であった。
 わたしは、もし自分が高校生でなかったら、もっと彼女の年齢に近かったら、自分が彼女の一生を、面倒見てあげたい。こんな女性と一緒に生涯暮らしたいと熱く思った。
 やがてわたしたち水海道一校の生徒は乗り換えのために慌ただしく列車を降りなければならなかった。振り返ろうとしても、降りるわたし達生徒や乗り込むサラリーマンや労働者、大人たちに紛れて彼女たちの姿をもう一度見ることは不可能であった。
 わたしはプラットホームに他の生徒たちと並び、帰りの列車を待つ群衆のなかにいた。でもわたしの脳裏には今見たばかりの光景が幾度も絶えることなく反芻されやむことがなかった。わたしの胸の中にはどこか淡い桜のような香気の滲んだ穏やかで優しい風が通って行った気がした。
 「どうぞ、幸せになってください」
 そんな言葉が彼女たちの姿を追うようにしてわたしの胸奥から流れ出た。


 この掌編が高2のときのわたしの最初の創作の試みだった。この時の印象を忘れたくないという一心で書いたものだったが、匿名で投稿したのだったが、高校の公紙には掲載されなかった。
 20:34 2024-02-19
 思いだしてこの私の中での処女作のタイトルを考えてみると、『美は壊れやすく』というのは、あたらないと思った。もっと、少年であったわたしの彼女へ、彼女たちへの気持ちを朧に暗示できるようなものにしなければならないと思った。
20:46 2024-02-19
『愛は輝いて』『鎌倉帰りの美しい女性』分からない。どういうタイトルを付けたら良いのか。
 20:53 2024-02-19


 午後十時半。午後五時に起床して五時間半経過した。その間、口にしたのはコーヒー一杯に緑茶二杯半だけだった。さすがに空腹を覚える。
 野菜スムージーを混ぜた米とカレーで晩飯をとろかと思う。
 久しぶりにミッション・イムポッシブルが民間でないチャンネルでジョインで見られるので、視聴している。テレビがあるが、引っ越ししてから一度もみていない。そのように誓ったから。
 22:26 2024-02-19


 黒パンを一枚半、レバーパステーテとチキンのハムにアイスベァクザラートにバターを塗って食べた。本のオードブルの積りだったが、腹がそれである程度満たされてしまった。メインのライスとカレーには食欲がもう無くなってしまった。
 23:12 2024-02-19
 午前二時半近くまでフランス映画についてのYTを視聴しながら『22歳○○』の執筆を続けられた。
 02:41 2024-02-20

2024-02-18 日曜日

2024-02-18 日曜日


 起床。午前1時半。


 七時ごろに、プリパンにクルステ茹でハム五枚にバター、サラダ菜別名アイスベアグザラーとにアマニ油のサンドイッチ別名ベレークテスブロイチェンをロイボスティーで食べた。8錠の薬も嚥下した。昨日、飲むのを忘れていた。
 気温は5度薄曇りの空だが陽光も家屋を照らしている。
 林芙美子の1時間前後の作品を音を最小限に絞って録音している。寿司、月夜、暗い恋そして雨。このあと長風呂に浸かりたいと思う。入浴後にはいい加減、スベの犯した泥棒に対しての処置も考えたいと思っている。いつもなにもしないで計画倒れで終わって行く感じだが。諦めたわけではない。せめて懲らしめなければならないとは思っている。


 『22歳○○』のため、ただ一旗揚げたくてシリーズ第三弾のマレーネをリサーチしてみた。ここには纏まりつつある『ユ○○・マレーネ』という作品があった。ただし、未完成でお決まりの放置という状態だ。そこから、今は参考にして書き続けて幾しかないようだ。未完成の自作品を参考にして……
07:45 2024-02-18


 8時からおよそ1時間の風呂。相変わらずぬるいお湯しか出てこないので、思い切ってガス湯沸かし器のダイヤルを工夫して二度ほど調節してみた。水の流れの勢いを抑え、火力を最大限に拡げることによって、やっと待望の熱い湯をバスタブに注がせることができた。幸福な気分だった。


 それから1時間近く体温が平常のものになるのを待って、空き瓶を袋に入れて散歩にでた。途中でもちろん空き瓶をそのためのごみ収集用の球体のコンテナーに投げ込むためだった。なにか目的がないと相変わらず散歩ができないから。
 そして久しぶりに小学校の校庭の見える長細い植え込みの道を歩いた。まだ桜の花は影も形もない。いつだったか、桜の淡いピンクの花をスマホで撮影していたら、ほぼ同じ場所に、トルコ人らしい二十代半ばか後半の若者が、桜の花が綺麗についた枝をへし折ってもっていってしまったのを見たのを思いだした。かれらは5人ほどの男ばかりの集団だった。本当は注意するか証拠写真でもと思ったぐらいであったが、病気上がり、手術上がりのわたしには対抗するのは無理なことだった。それにあちらも私にきがついていたので、こっそり撮影して現場を押さえるようなことも不可能であった。
 二つか三つぐらいの子を乗せた乳母車を押して遊び半分に走る若い母親とすれ違った。あとは、老夫婦二組とすれ違った。男性は茶色っぽい顔に白髪の長い髪か耳まで伸びた白髪交じりの髪で、体形も普通だが、女性のほうはいずれも色が白く脂肪太りしているという感じだった。欧州人の劣化のことを日本の男性の添乗員が
言っていたのを思いだしたが、日本のニュースを見れば、それは高齢者の特徴であり別に白人だからということでもないと思った。ただ、肥満にならなければあれほど劣化しているという印象にはならないのではないかと思った。日本でも松本清張、山本周五郎と高齢で肥満になり、顔がやはりたっぷり脂肪で起伏のあるものになってしまっていた。吉川英治は最後でもまだ良い表情をしていた。太らなかったからだろう。


 フライパンで烏賊、キムチ味餃子を焼いてr醤油と酢で食べた。


 Nさんが電話で言った、
 「まあ、無理でしょ」
 という言葉が愛の鞭っぽい感じで思いだされる。ちょっとしたプレッシャーにあの言葉がなってくれている気がした。頑張ろうと思った。
19:07 2024-02-18


 アストリッドの自伝的な映画をちょっと見た。執筆に喜び落胆する作家としての肖像ではなく、子供と親との桎梏、作家になる前の家庭的な事情に材をとった作品だった。


 あとは、林芙美子の作品の朗読を録音している。
 19:10 2024-02-18


 午後九時前から午前1時頃まで『22歳○○』の田舎貴族の章をレリクトを傍見しながら書けた。書いているテーマが鮮明に浮かんで来て、餅が絶えなかったのデ書けたと言える。約四時間だ。
 その前は林芙美子の作品を録音しながら書いていた。創作、実現可能なのをしった。
01:24 2024-02-19


 午前2時41分まで『22歳○○』を書き継いだ。結果から見ると思わぬ頑張り方であった。書いているうちに大事と思われる部分が脳裏に浮遊し書き留めざるをえなかったのだった。それがずっと続いて、こういう時刻になった。
 これから寝ようと思う。
 02:44 2024-02