蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-18 日曜日

2024-02-18 日曜日


 起床。午前1時半。


 七時ごろに、プリパンにクルステ茹でハム五枚にバター、サラダ菜別名アイスベアグザラーとにアマニ油のサンドイッチ別名ベレークテスブロイチェンをロイボスティーで食べた。8錠の薬も嚥下した。昨日、飲むのを忘れていた。
 気温は5度薄曇りの空だが陽光も家屋を照らしている。
 林芙美子の1時間前後の作品を音を最小限に絞って録音している。寿司、月夜、暗い恋そして雨。このあと長風呂に浸かりたいと思う。入浴後にはいい加減、スベの犯した泥棒に対しての処置も考えたいと思っている。いつもなにもしないで計画倒れで終わって行く感じだが。諦めたわけではない。せめて懲らしめなければならないとは思っている。


 『22歳○○』のため、ただ一旗揚げたくてシリーズ第三弾のマレーネをリサーチしてみた。ここには纏まりつつある『ユ○○・マレーネ』という作品があった。ただし、未完成でお決まりの放置という状態だ。そこから、今は参考にして書き続けて幾しかないようだ。未完成の自作品を参考にして……
07:45 2024-02-18


 8時からおよそ1時間の風呂。相変わらずぬるいお湯しか出てこないので、思い切ってガス湯沸かし器のダイヤルを工夫して二度ほど調節してみた。水の流れの勢いを抑え、火力を最大限に拡げることによって、やっと待望の熱い湯をバスタブに注がせることができた。幸福な気分だった。


 それから1時間近く体温が平常のものになるのを待って、空き瓶を袋に入れて散歩にでた。途中でもちろん空き瓶をそのためのごみ収集用の球体のコンテナーに投げ込むためだった。なにか目的がないと相変わらず散歩ができないから。
 そして久しぶりに小学校の校庭の見える長細い植え込みの道を歩いた。まだ桜の花は影も形もない。いつだったか、桜の淡いピンクの花をスマホで撮影していたら、ほぼ同じ場所に、トルコ人らしい二十代半ばか後半の若者が、桜の花が綺麗についた枝をへし折ってもっていってしまったのを見たのを思いだした。かれらは5人ほどの男ばかりの集団だった。本当は注意するか証拠写真でもと思ったぐらいであったが、病気上がり、手術上がりのわたしには対抗するのは無理なことだった。それにあちらも私にきがついていたので、こっそり撮影して現場を押さえるようなことも不可能であった。
 二つか三つぐらいの子を乗せた乳母車を押して遊び半分に走る若い母親とすれ違った。あとは、老夫婦二組とすれ違った。男性は茶色っぽい顔に白髪の長い髪か耳まで伸びた白髪交じりの髪で、体形も普通だが、女性のほうはいずれも色が白く脂肪太りしているという感じだった。欧州人の劣化のことを日本の男性の添乗員が
言っていたのを思いだしたが、日本のニュースを見れば、それは高齢者の特徴であり別に白人だからということでもないと思った。ただ、肥満にならなければあれほど劣化しているという印象にはならないのではないかと思った。日本でも松本清張、山本周五郎と高齢で肥満になり、顔がやはりたっぷり脂肪で起伏のあるものになってしまっていた。吉川英治は最後でもまだ良い表情をしていた。太らなかったからだろう。


 フライパンで烏賊、キムチ味餃子を焼いてr醤油と酢で食べた。


 Nさんが電話で言った、
 「まあ、無理でしょ」
 という言葉が愛の鞭っぽい感じで思いだされる。ちょっとしたプレッシャーにあの言葉がなってくれている気がした。頑張ろうと思った。
19:07 2024-02-18


 アストリッドの自伝的な映画をちょっと見た。執筆に喜び落胆する作家としての肖像ではなく、子供と親との桎梏、作家になる前の家庭的な事情に材をとった作品だった。


 あとは、林芙美子の作品の朗読を録音している。
 19:10 2024-02-18


 午後九時前から午前1時頃まで『22歳○○』の田舎貴族の章をレリクトを傍見しながら書けた。書いているテーマが鮮明に浮かんで来て、餅が絶えなかったのデ書けたと言える。約四時間だ。
 その前は林芙美子の作品を録音しながら書いていた。創作、実現可能なのをしった。
01:24 2024-02-19


 午前2時41分まで『22歳○○』を書き継いだ。結果から見ると思わぬ頑張り方であった。書いているうちに大事と思われる部分が脳裏に浮遊し書き留めざるをえなかったのだった。それがずっと続いて、こういう時刻になった。
 これから寝ようと思う。
 02:44 2024-02