蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

私たちにはライカという名の愛犬がいた。来夏といつも書いていた。

私たちにはライカという名前がすでにつけられていたゴールデンレトリバーがいた。メスの犬で、家を空けるような仕事があるときには、愛妻よりも愛犬の姿がちらちら眼に浮かんだものだった。それは、妻はひとりでもほうっておいても大丈夫だけれども、子供のようにあどけない愛犬のことは気にかかってしょうがなかったのでした。時間が隙間のようにできた時、あるときには彼女の、私を何かを期待してじっと見詰める眼差しとか、尻尾を振って待機している忠実な姿が眼前に浮かんで、いまどうしているだろうかと胸が痛くなるほど気になったりしたものだった。


ライカには、まず最初に打ち込むたびに来夏とでてくるので、このことを愛妻に言うと、彼女も感激してくれた。それ以来私はいつも日記などには来夏と書いてきた。きたる夏、やってくる夏と解釈していた。


この日記村ではゴールデンレトリバーのメンバーにも自分を登録しているので、この日記を書いていますが、すでに来夏を中心にした文学作品の構想はわたしのなかに存在しています。
もしかしたらSF風になってしまうかもしれないとも考えていますが。
執筆をいかにしてスムーズに行うかということでは皆さんが苦労されてますね。しかし、仕事をしている以上、自分を社会的な周囲の世界から隔絶して自閉症的に精神集中させて執筆するというのはかなり困難なことですね。
ところでアインシュタインにしろベートーベンにして、成し遂げ成功した人の殆どが自閉症の気のある人だと断定する学者もいるぐらいです。