蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-03 土曜日 節分 恵方巻 東方超市

2024-02-03 土曜日 節分 恵方巻 東方超市


 朝八時半に鼻血がでた。止血するのに20分はかかった。チリ紙を小さく割いて左の鼻の穴に差し込んだが、すぐに白い紙が暗赤色に重く濡れそぼった。それを三、四回繰り返した。久しぶりの鼻血だった。鉄剤の服用が多すぎたのかとも思ったが、昨日は三錠で普通の量だ。
 でもこの鼻血のあとで横になっても呼吸が楽になったような気がした。


 二本のニュースをネットでみるようになり、初めて今日が節分だということや恵方巻という巻き寿司があることも知った。


 ヴィルマ―スドルフに出かける前に、食べておかないと危険だと思うのデ、半パック納豆ご飯を食べた。そして8錠の薬を嚥下した。9時45分だった。
 十時半ごろには家をでて、15時には帰った。abゾーンの切符二枚使用した。
 最初にラートハウスノイケルンでbcbで誤って100ユーロ下した。自動機種が別なものがその位置に置き換えられてあったので、口座状況を知りたいだけだったので、二か月前のようにやってみたらそんなドキュメントを印字するための言葉がモニターには全く出て来なくて、まぁいいかと思って100だけ下ろしたのだった。
他の機種で口座状況を印字で来た。
 そして再びu7号線でヴィルマ―スドルフ駅に向かって揺られていった。もうこの時にビスマルク通りは諦めていた。そこまで行くと一駅徒歩で戻らなければならないからだ。ちょっと前までは何でもない距離だったのだが、今は、それさえも気になる。
 最初にフーゲンドーベルに行き、ドイツ語で二階にあがる。すると、三島の仮面の告白はあったが、送り返したと言うのであった。メールで2月3日までとちゃんと確認も受けているのに、だれかが送り返してしまったということだった。
 また、来月の第一土曜日にくるということを話し、今度は感熱紙のレシートも貰って東方超市に向かった。
 烏賊二袋、納豆4パック16セットほど、黒ごま一袋、焼きのりと醤油を買って帰った。75ユーロぐらいはする量だった。一割引かれるが。それでも高いと思ってレシートをみると、烏賊が一袋9ユーロ近い値段だった。


 ルードーに戻ると地下鉄駅からでている372号線がちょうど去るところだった。20分に一本なので、雨もよいのなか、ハッキッキというケバブ屋が近くにあり、一つ買って帰ろうかと思って近づくと、値段が7ユーロになっていた。この前も6,5で驚かされたばかりだった。たしかコロナ前は3,5か4ユーロだった。ちょっと呆れ腹立たしくもあり、やめた。和食の食材も仕入れて来たところでもあるから、いいや要らないと思ったのだった。カレールーも大を二箱ほど買っていた。
 19時半と1時にアイゼン剤を飲んだ。
16:37 2024-02-04
                         なんとなく、という感じで頭に浮かんだことを書いた。片鱗、断片創作方法だ。すでにこの片鱗だけでも執筆するという考えは実行にも移されある程度の促進に成果を上げているということが分かっているのに、wの仕事をi村に回すとか、sYさんにわたしの健康状態とか、その顛末をドイツ語で書いてメールするとかやっているうちにわたしは執筆モードではなくなってしまっていた。十日間以上も創作はできなかったかと思う。
 今日は、日本レストラン『ウメ』をなんでも良いからと言うラフな姿勢で、頭に浮かんできたものから書き記し始め、お蔭でちょっと書けた。嬉しい成功感覚だ。eRFOLGSGEFUEHLというやつだ。ただ、怠惰すぎる性格から、ジョインで映画は視聴録画したりしているので、ぽっと浮かんだ情景も文書に書き表す前に胡散霧消してしまう。
 努力が僕はできないという西村賢太なんかは、午前1時から朝の5,6時まで創作を布団のなかでしているという話なのだが、とても立派な態度と言わなければならない。
 いつか、もっと数年前には午後11時から朝の五時までとか彼は執筆時間について語っていたが、良いことだ。書ければ深夜から早朝でもなんでも良いのだ。そう思う。
01:36 2024-02-11