蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-19 金曜日

2024-01-19 金曜日


 一度見始めるともう止まらなくて、次々に見まくって、いつの間にか深夜の4時になってしまっていた。まさに河童海老煎、炭水化物だ。昨晩からマルコ・ポーロからデューラー、オデッセウス、ベーアヴルフと切が本当になかった。こういうドキュメントが面白すぎてやめられないのである。だが、やめなくてはいけない。やめられないのであれば、始めなければ良いのであった。まさに、それだ。始めないということだ。
 だから、天才と言われる人たちは、最初から起床後に仕事を始める。創作を始めると、それがそのあと一日中頭に引っかかっている。つまり、仕事中心の一日になれるということが断定できるのだ。


 ドキュメントは素晴らしいが、創作中心主義でなければならない。けっしてメインに炭水化物をおいてはいけない。屑のような時間にあてがう、それで良いのだと思う。


 今朝の就寝は午前5時半だった。そして起床が白い明かりで起こされた感じで午前9時だった。
 東側の外気温は厨房の窓の温度計でマイナス1度。西側ではマイナス2度だった。
 室内気温は西部屋、つまり書斎の窓際で14度。佇立した時の頭の位置にある温度計で18度だった。
 コーヒーを作って飲み、暖房のダイヤルを捻る。触って熱くない程度におさえて使用。だから、やはり体はちょっと震え気味だ。ジャケットを下着、パーカーというのかジャージというのかを二枚の上に着衣してなんとか凌いでいる始末だ。


 そうだった、実は昨日晩にも創作は続ける積りであった。だが、アソスはストライキを起こすまで休憩、エネルギー節約と言う状態にはしてあげるが、ずっと幾週間もつけっぱなしで使用している。それで、たまーに動きが鈍くなったり、なかなかモニターに文字もなにもあらわれなくなってしまったりすることがある。それはそうだ、酷使しまくっているのだから。
 昨晩というか、昨夕がそんな周期の到来した瞬間だった。やむなくスイッチを押しっぱなしにして切ってあげた。ちゃんとアソスを休ませてあげた。
 書いていた、モニター上にひろげていた日記も、創作も二つのシュパイヒャー、貯蔵庫にいれてあるから、消え失せてしまうことはないと信じて切ったものだった。結果はちゃんと成功し、またあらわれてくれた。
 10:47 2024-01-19


 日記は創作のためのウオーミングアップとして良いと思っているのだが、もう二時間近くも書いている。そのために、気分転換のようなものの必要性が感じられ、飯でも炊こうかとか、考え始めている。
 つまり、創作に向かうべき時間とエネルギーが日記によって大分とられてしまったという結果なのだと思う。すこしでも精神的な集中力をと考えて、クラッシックラジオでさえもスイッチをいれてない。時計の音、どこやらか響いてくるダンプカーの音ぐらいしか音声はない状態にしているのだが、日記が主体ではない。創作が主役だから、これも、日記を書くということも考え直さなければならないだろうか?
 私自身にも分からない。
 ご飯も炊いて食べたあとの自分と今の自分とは体も心も違ってしまう。まったく不自由な奴としか言いようがないかもしれない。


 ところで昨日の日本のニュースで、二人の男女を殺した後で証拠隠滅のために放火したという、当時19歳の男?少年が裁判長から、検事がわの要求通りに死刑を宣告している。たしかにやったことは酷いことだが、特定の少年であるということが引っかかる。死刑にしなくても良いのではないのかとドイツに長く住む私などは思ってしまう。つまり無期懲役で良いのではと。しかも、裁判官は自分のやったことを考えてくださいと言ったそうだった。考えろと言うのもおかしな話だ。もう死刑の判決を下していて、更生もなにもこの青年に期待してないのだから。反省に一番良いのは命を長らえさせることではないのかとわたしは思うのだが。しかも特定の少年ということなのだから、これは冷酷な判決ではないかとさえ感じられる。
11:16 2024-01-19


 曇天には違いないが、天空は薄青い、微かに青いし、陽光も南西から弱いが空中に滲み込んでいるという感じだ。いずれにしても今は三度、部屋のなかも寒い。
11:18 2024-01-19


 フィッシュシュテープヒェンと衣つきの大きめの同じようなものをオリーブオイルで炒めて、ニンジン、生玉ねぎ、アイスベアグザラーと食べた。それぞれ、4本と3本で、いま倦怠感に襲われている。食べ過ぎなのだろう。美味かったので全部食べてしまった。もっとも衣が美味しかったので、白身魚自体はフライパンにのこしたままのものもあるが。
 そして9錠の嚥下だ。 いや、昨日は9錠だったが、今日は8錠だった。
12:12 2024-01-19


 昨日の日記に、イロケーゼが、わたしのカートンの中を露骨に覗いたこと、ビールの箱の蔭に払う積りもないものが隠れてはしていまいか、逃さないぞと言うジェスチャーにも見える表示があったが、ほかに、コッファーはと普通どのキャッシャーも聞かないことを訪ねたりした。
 訊ねられたわたしは、その時、全く不快な気分にはならず、むしろやっと一人が聞いてくれた。これで、たまにわたしが持ち込む赤い旅行鞄が空っぽ状態であり、ビールを入れるためのものだということがやっと言えると喜んだほどだった。また、こういう質問をキャッシャーがするのはベレヒティヒトなことだとも思った。当然のことだと。本当に聞かれて嬉しいぐらいだった。猜疑らしいいものがあったとしたら完全にそれを今、払拭できるのだとさえ思った。
 胸の上に持ち上げて蓋をあけて彼に向けた。彼は目をくりくりさせて本気で中を覗いている感じだった。
 そして支払いが終わったあとで、通常、スー;アーの外でカートンの中のビールをスーツケースに入れ替えるのだが、迷惑だと注意されても良いと判断というか、心の準備をして、瓶返却のオートマートの手前で入れ替えた。もちろん、入ってくる者、ビンを返しにオートマートに近づくものがいても邪魔にならないだけの領域は十分にあけるようにして入れ替えた。入れ替えながら、上からビールを二本づつ下のコッファーに入れ乍ら、望むらくはイロけーぜがレジからわたしのやっていること、どのように入れているのか、コッファーをつかっているのか見えますようにと祈ったぐらいだった。
 そんなことが今思いだされた。
 ただ、数時間もすると、やはりスーツケースはと私に訊ねたイロケーゼの態度は差別的ではなかったかと不愉快に膨れ上がってきていた。
 13:24 2024-01-19
  五時までは白んだ明るさが残る時期になったので、それまでにNP]に行こうと思った。金曜日の午後からすでに肉などが値下げになるのではないかと予測できたからだった。
 だが、下がっていたものはあったが、多くはなかった。七面鳥の肉が三つだけだった。あとは、よく見ると、賞味期限が23日となっていた。今日はまだ19日である。火曜日が23なので、その日の午前中二行かなければならないということだ。
 厨房の流し台の配管が詰まっているのでまた針金の入った赤い管を入れた。が、この前よりももっと深く入ったのにも関わらず流れ出て行かない。いったいどういうことなのか、上階と下階を繋ぐ配管が詰まっているということなのだろうか。でも、まだ時間を置いてごしごし押してみる積りだが。回転させていたら、その首根っこから捻って切れてしまった。もっと高い金額の太い針金を買わなければならないということか?
 買い物の時間はもちろん1時間はかかった。配管の作業は不成功に終わっているが三十分かかっていて、もう午後6時近くなってしまった。その間ずっと久しぶりに因幡晃の歌声を聴いていた。
17:47 2024-01-19


 約一時間ほど私たち三人のことを中心に執筆していた。五感を生かした書き方にはなってない、とにかく話の筋が中心という感じ、まさに草稿、初稿という状態だが、ロッテルダムを次の章では書くと言うところまできたが、どしどし書くべきなのかもしれないがやはりここで休憩で、あるいは本日は終了、やめということで、ビールを飲み始めた。電子レンジで茹でた大きな七面鳥の肉は、味付けとかがまったくわからないので食べる気にはならない。フライパンで両サイドに焦げ目をちょっとつけてステーキとしてたべるというのも考えられるが、いずれにしても今日はもう食べない。
 味噌汁も数か月ぶりに作ってたべても良いが。実をいうとそれほど食べたくもない。食べ始めると好きだったことをおもいだして全部のんでしまうほどだが。
 作るとしたら玉ねぎとニンジン入り、七面鳥の肉入りになるかと思う。
19:09 2024-01-19


 信州みそで食べた。素晴らしかった。本物の日本の味だと思った。これで、間違いなく楽しめる和食の味がもうひとつ増えたと思えたぐらいだった。納豆の他にこの信州味噌汁ということで。
 眠気がそのあとで指してしまっていた。以前にもおもったことがあるが、味噌にはおそらく自然な睡眠を誘うマグネシウムが豊富に含まれているのではないのかと思う。横にならざるを得なかった。
 はちじちょっと過ぎに寝入ったと思う。起床はもう真夜中を過ぎていた。優秀なソニーのラップトップももう十年前に買ったものだし、高いものではなかった。だからスイッチをいれても、すぐにモニターにネットがあらわれてジョインでチャンネルが開けて映画が見られるわけでもなかった。ナオミ・ワット主演のペンギンと言う名がつけられた鳥、つまりペットとの交流みたいなものがテーマであるのだが、それをまた録画したいと思っていたが、0時半に始まるのデ到底無理な話だった。それにすでに録画はしているのだから、一か月前ぐらいだったか、だから厳密には録画も必要なかったのだった。
 わたしの頭には雄猫のサッシャのことはもちろんだが、真っ暗で黄色い眼で最初はちょっと抵抗があったカスパーヒェンのことが頭にあった。来夏のことは愛妻ダークマーと一緒に描いたばかりだ。でも、キャラクターを持つ二匹の雄猫たちのことも書きたいと最近おもっているので、それで、ペンギンをまた見たい、録画したいと思ったのだ。
 それから、もう6,7度以上は視聴し、録画も3度はしたマージン・コールだ。こちらは午前二時以降に見られるのデ、それほど見る気もなかったが、やはり優れた映画なのでまた新アソスで視聴してしまっていた。その間、ソニーで林扶美子の放浪記を録音していた。
 もちろん、こんなことをしているので、アソスを使っての創作などは停止したままだった。
 マージン・コールのあとで、すぐにはスイッチを切ることは不可能であった。スマスマをシュパイヒャーから開いて視聴していた。それで、また、味噌汁を温めて食べていた。やはり良い味がでている、まさに日本の懐かしい極上の味だと感じ乍ら食べた。
 NPで買った七面鳥は短期間では肉が苦手の私には食べきれないのデ、冷凍庫に入れた。その中には牛の生のハンバーグや生の七面鳥が入っているのが目についてちょっと参った。当分、肉などは買ってはいけないと思った。安くなっても結局食べないのであるから。
 牛肉のミニステーキとかソーセージなどはそれでも食べれるが、生のものはタレとかソースが良くなければ喉を通らないから。
 やはり味噌汁にはマグネシウムが入っているのに違いなかった。午前四時には眠気に負けてベットインした。
 それから、真夜中過ぎに目が覚めたのは、腹水のせいだったと思う。胸苦しくなりそれで横になっていられなかったのだ。
 10:46 2024-01-20