蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

女医さんのウエップサイトに投稿、足の浮腫み、作品H推敲


歯医者のウエップサイトが諦め寸前で検索に成功し、そこに同じ写真を投稿した。そこにはオッフィシアルの紹介写真があった。考えれば当然のことだったかもしれない。歯医者は公益事業ではないし、だったとしても職員や担当者の写真とかが見られるのは21世紀では不思議でも何でもないことだろう。
 だったらと思い、私も写真を投稿したのだった。終えたあとでちょっとやりすぎたかなとも思ったが、要求されたら消去するまでのことだと思った。


 弟からはメールの返信がない。癌を患っている弟だが、酷く心配になる。聖人してからも弟とはメールで連絡が続いていた。だが、忽然と切れてしまったようなきがする。
 

 足は相変わらず浮腫んでしまっている。やはり医者にはいきたくないので、YTで視聴したものをもう一度ゆっくりとノートデモして実践してみたいと思っている。



 作品Hは読み直し始めている。同じモニター画面の左側にはテレビが流れ、右側にテキストを広げて通読している。これあdって立派な推敲だとわたしは思っている。他のやりかたでは、まったく推敲もできないし、つまり執筆もしないということになってしまうから、これしかないのだ。いまのところ。
 女医さんのことは忘れたい。妻になくなられて10年間、女の人に恋心を持つこともせず、一途に妻のことだけを思って余生と思って生きてきた。他の女性のことを考えなくなり、意識もしなくなったのだから、他の設定、もしわたしが他の女性に過去十年間触手をそそられていたとしたらというような仮定はなりたたない。そもそもそれが独りになってから消えうせていったのだから。



 足は浮腫んでいるのに、ふと廊下にある鏡を見てみたら、自分の顔が、主に目の形が合格点に達していた。写真にとって残しておくべきものと思った。だが、次の撮影予定は体重が67kgを割って下がったときと決めているし、わたしが自分の顔を見て、大調子いいぞ、魅力に溢れているとは言いがたいが見られる顔だ、今日はということだけで撮影するのはやめようと思った。