蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

わたしのいいなずけ


彼女は今どうしているだろうか?
 中学三年生のときに母から町の駅前にある飲食店の父親から、娘の婿としてわたしを貰いたいという話があった。
 それが、この小学生のときからスポーツ万能で、学業成績は常にトップで美貌の娘F子であった。
わたしにはいかに父親が私を気に入ってくれたとしても、F子がそれで納得しているなどと想像もできなかった。
 わたしたち男子生徒にとってはずっと近づきがたい聖女というレベルが彼女だった。
 そのうちに朝の新聞配達のときに彼女の店の前を通過するのだが、わたしが自転車で通る時間に合わせて彼女が犬と一緒にドアをあけて飛び出てくることがあった。わたしは恥ずかしくて滅茶苦茶ペダルを踏んで、まさに逃走してしまったものだった。
 彼女とは駅ですれ違うようなことがあるとじっとこちらを見つめてくれているようなことがあった。微笑みさえ彼女は浮かべていた。
 きっと最初はなんの感情もわたしに抱いてなかったのに、父親の言葉に従っているうちに、私をすいてくれるようになったのに違いないとわたしは思った。彼女が最初から自発的に私を慕ってくれるなどとは考えられなかったからだった。
 でも、わたしはまだ中三、そして高一だった。自分の将来がこの街に釘付けにされたくはなかった。それに彼女の父親を一度だけ暗い夜に見たことがあるが、彼のもとで婿として店の手伝いと修行を行うなどと言うことはできないと思えた。私は彼を恐れてもいた。相手の娘が美貌の少女でも自分のこれから自由に羽ばたける将来には代えられない気持ちだった。わたしの鉄拳も振るい暴挙にもでる権威主義的な親の家から、次の抑圧感を感じさせられる家に移るだけのことで、それは耐えられないことだった。
 そしてわたしはF子から残念ながら逃走しまくるという態度を常にとるようになってしまった。
 その後ももちろんF子以上の良い性格で才媛の日本の女性と知り合うことはない感じだった……