読むに値しない、保管のためだけの無価値日記です
●20061222 Eine Präventivbehandlung
Naさんについて今回の仕事を一緒にしていろいろと違いが分かった。いや、他のおばさんGuとおなじようであること、ちがわないことが分かったというほうが正確だろうか。
5冊あるトラー、タルムート、ハラハ(Gesetz des Lehrers)
ラビもラブアップ(アラブ語源でマイスター)から派生している。
信仰であり外見ではない。
国民意識と宗教が一緒がオーソドックス派
存在の神
トラー・ミナシャマイン
二人で探索し、良い結果が出た場合には、その成果はNaさんに攫われてしまうのであった。
あの若くプライドの高そうな男の先生がわたしにあたってきた感じから、そしてNaさんの話をすこし噛み締めてみるとすぐに彼女が隠している真相が浮き出てくるのであった。それも彼女の普段からの行動の方程式を知っているから憶測できるのであるが。
JRUdに前日行ったそうだが、Naさんは探るように
「YugさんがJRUdを薦めたんですか。昨日JRUdに行って食べてきたそうですけど、二つの部屋しかないあまり良くないところだったと言ってたんだけど」
それは明らかにKaとおりのほうの汚い雰囲気で味と言うか、作り方やメニュウーなどはあまりお薦めできないほうであるが、そちらに行ってしまったようだった。
Naはその責任を私になすりつけようとしているのだ。いや、言われた段階で、そんなひどいほうをたぶんYugさんが間違ったほうを、もしくははっきり二つもあるのにそれをいわなかったのじゃないかとか、いろいろNaさんの通例の反応の仕方、そして意外と人を勘繰り、また悪いほうに決め付ける彼女の言質を思い出せば、わたしも言われてしまったかもしれないと思った。いや、そう見なさなければならないだろう。
「そんな、ねえ、二つもあることを知っていながらちゃんとそれを言わないなんて落ち度だわね」
あるいは「とても無責任なことだと思います」
とか頷いてしまったかもしれない。
勝気な性格であるということも、このように一緒に仕事をしてみてはじめて相手のことがはっきりでてくるのであるが、このときがまさにそうだった。
いつのまにか悪者に、されてしまっているようなきがする
拍手喝采はNaさんが要領よく浴びて、なにか失敗した時にはいつのまにかわたしのせいになっているような気がした。
ホテル付近のレストランに関してもそうだ。Naさんにもう思いつくことはなく、それでわたしの方を助けを求めるようにホスピタリティー・デスクでみたのだが、わたしはNi地域のMuとか、その先のGeBなどはなしだしたら、それをおい被せるようにしておおきな声で、自分がそこに食べに言ったことがあるかのような言い方で、ビールが美味しいし、食事も良いようなことをわたしがその方向を手でさして話し掛けた直後に長いさんがわたしの顔すれすれに腕を伸ばして同じジェスチャーでしかもより大きな声を出して適当な誰でもいえるような美味しいとかなんとか言って自分の発見というかお薦め風に言う。思いつきもしなかった癖にである。
それで思わずわたしはじゃ、Naさんが言ってくださいといって下がったが、そのときに気がつかなかったのか、どうかえっとちょっとつかえたような一呼吸おき、しかしそのあとはまた、ひとつも具体性のない一般的な誉め言葉を言っただけだった。ただしそれでもこの人はよく知っているという印象を与えることには成功したであろう。しかもわたしは後ろに引いたので更にそうなったかもしれない。もう一人のGuが譲るところをみるとやはりNaさんを認めているからだろう、と。
運が悪いことにDadaのオーナーが遅れてきた。30分間もだ。それに就いても腹を実際にはたてていたようだった。わたしが通訳に集中していて気がつかなくても一緒にいた和食専門の高橋先生が彼の態度をわたしに謝ってくれたりした。わたしは逆にこういうふうになって申し訳ありませんと高橋先生には謝罪したのであったが、三度もシュテファン・ダダルスキー氏は誤ってくれて、それを和にかけるようにして私も訳したが、いや、まったくそんなことはという反応がその若い先生にはあった。
問題はトランスファーの時に、朝方打ち合わせをTlとしておいたのに、結局長いさんが勝手にこちらに何の連絡もせずに勝手にいくつか変更してしまったのだった。
スマップの音楽室を見て緊張感を覚えた。少年時代の学習の雰囲気を思い出したからだろう。
彼らはいずれにしても、わたしが同年齢の時に果たせなかったことを成し遂げているので傍目からみていて声援したいと言う気持ちにわたしをさせるのであろう。
●●2007年Jan28
ブラームスの「愛の歌・ワルツ」を聞いていて、やはりどこか懐かしさを覚えた。To時代にとにかく手当たり次第に廉価版のクラッシック音楽、ショパンのすべてとかブラームスのすべてなどというタイトルのレコード盤であったと思うが、写真や絵が綺麗で、デザインがいかにも文化の香気が漂うという二枚組みのそれであった。未知の、どこかの大学の校舎を通り過ぎるときに耳にするような合唱なのだ。まさにそんなふうに通りすがりに風に乗ってきたのを聞くのに相応しい歌声なのだ。
ひとりひとりの声はたいしたことないのに、合唱となると荘厳ささえ覚えさせる、見直させる。それが合唱だが、この愛の歌でもそうだ。とくに第一番の『話してごらん、素敵なことを』と6番の『きれいな小鳥』が不思議で美しい曲であり、このブラームスの作品は二十三,四年間は全く耳にすることもなかったのに、すぐに懐かしく思い出せた。妙なしかし美しい不思議さ一杯のメロディーを。
昨日はAuschwitzが解放された日であった。それでBayern放送局ではDer PianistやそのあとにHeldWiederWillenというフランス映画が放映された。例によって身振りととぼけの多い俳優たちがでてきて三ツ星がテレビ雑誌でついているわりには、このほうの感激はなかった。
コーゼル伯爵夫人について執筆を始めた。
シュテファン・ツヴァイクについて、その生涯と作品に興味をもった。
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