蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

悪夢 無価値日記

今日の日記は読まれなくても良い、ただの感情の垂れ流しの、収拾のつかない、もちろん推敲などもしていない雑文なので小さな文字にして公開しています。無価値日記になります。でも、いつかは死後に姪に送りたいということではかわりありませんが。


‎2018‎年‎04‎月‎06‎日 ‎金曜日 14/18


 夜中の1時半ごろからSで再放送されたジョッブスを、DVDをもっているのに、最初から見て、しかし途中でさすがに寝入った。テレビは点けっぱなしであるし、枕もとの灯りもそのままであった。
 ジャロジーネの隙間から漏れる黄色い朝の光で目が覚め、車道と歩道にコの字型に切られた6畳ほどの大きさの庭に面した窓とバルコニーを臨む居間の二箇所のそれをあげた。この二箇所だけはいつも降ろしている。
 しかし、睡眠は十分に取れていないので、再び寝椅子に横になった。再び目覚めたときには午前11時だった。悪夢で起されていた。
 Nからすでに夢のなかでは明け渡しがなっていた乱暴な男の添乗員の仕事を私も了解して引き受けていたという夢なのである。ところが私自身にもトランスファーが入っていて、しかもそれがあのM先生のツアーのときのように結構楽しいものでその明るい婦人たちの声も耳に残っていたが、もう一本の仕事を思い出したが、もう30分近くも遅れていて、完全なる手遅れだというショックであった。そのホテルは飛行場の近くということがわたしの救いとなり、まだ合流できるかもしれないと思うのであるが、夜遅く、ホテルの前の車道に停まるタクシーはまったくいなくて、降りてきた客のあとのタクシーを、それがこちらのタクシーと同じでクリーム色、シャンパンカラーで上にも小さいが空車になったばあいには灯りがつくような仕掛けになっている、車内もクリーム色に明るいタクシーなのであった。ひとつに乗れて空港に行ってみると、そこは昼間のように明るく、白い雲と薄青い空が交互に混じるアルプス北半分の欧州の空であった。みたこともない飛行場で、建物が二部屋か三部屋ぐらい外に突き出ていて、しかもそれが四階建てほどにもなっている白い奇怪な消しゴムか幼虫のような建物であった。ただ、そのしたにはTと似たようなつくりになっていて、その突き出た頭の下に、考えればそれは巨体からにょっこり突き出たたくさんの眼を持つ首から下のない亀頭部のようなものであったが、地面と同じ場所にあるバスや車の駐車場がしたというよりはある程度眼にすぐに入る高みにあり、そこにわたしは走っていっていた。他の日本人らしいグループがあったが、そこには女性の添乗員らしきひとがしかも美人で小柄な体をお腹で折り曲げて子供に笑顔で話しかける横顔がみえるだけで、きていないガイドを探しているという気配は一切なく、空港に着てから思ったが、でてくるのに30分はかかるから合流できるかもしれないという思いであった。おかしいのは、そんなにわたしが遅れてきたのであるならば、バスに乗り込むかどうかという時間でもあるので、バスを探せば良いものを夢のなかのわたしはそれをしていない。お客かもしれないと思って年寄りの日本人らしい人に話しかけていると、脇からみるみる膨れ上がって近づく姿を感じ取り、そちらをみると若い、まさに髪も二つに分けたものが長く顔を切っていて、目じりも細く切れ長で、ちょうど背中に長い剣でも抱えていれば似合うような、青いロールオーバーというのか、胸元が大きくあいて白いワイシャツが見え、両肩から下がった部分がズボンになっている添乗員が着衣するはずもない服装で、むしろアニメか、この前に放映されていて一切見なかった、あのルロウニケンシンの主役のような顔をしていた。そしてわたしを切り殺そうとしているように見えた。その瞬間に目が覚めた。
 さめてから一所懸命に眼の底にストローでもはいってしまったような痒みと痛みがあるので一所懸命に擦っていた。そんなものが入っているわけがないのに、そんな気がしていた。擦りながら夢でよかったと思った。それはわたしがその若者に切り殺されるからではなく、遅刻していなかったし、そんな仕事も入ってなかったという点で助かったと思った。
もしかしたら部屋の空気にはゴミが入っていたのかもしれない。七時にバルコニーへのガラスドアをあけた記憶があったが、そのままになっていた。すぐにでていって外気温を手にとって確認すると16であった。室内気温も同じで、これは初めて内外の気温がイッチした記念すべきことであるとか、そんなくだらないことに関心していた。要するに七時から11時までの4時間厨房とこのバルコニーへのガラス戸を開けっ放しにしていたのでそれで同じになったのに過ぎない。いつでも開けっ放しにしていれば外気温に内部はなる。
それだけのことなのであるが。こんなことも日記には書けるからおもろい。公開日記になると、そんなの読ませるなということになるだろうけれども。
 したがって日記文学は現時点での読者を想定した表向けの公開日記であり、わたしのような日記は死後にただ保管して欲しいだけの、そしていつか親戚の誰かが興味をもって開いてもらいたいと思っているだけの私的な日記というふうに分けられるだろう。もちろんカフカの創作のための助走という意味もある。



 早速コーラライトを一昨日買ったものがあるので、あけて花粉症とビタミン剤を飲んだ。それからコーヒー-ミルク入り-を飲もうと思った。


 丁度正午にTさんから大人しい気な静かな声でD市の近くの世界遺産の庭園をわたしが知っているかどうか、入ったことがあるかどうかという質問がきた。
‎2018/‎04/‎06 12:30:50
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