蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

他者に依存する生涯。決定権があっても敗北続きの生涯

外気温は2度。室内は14,5度。八時に電話で起されそのあとで窓外をみると雪が降っていた。いまは霙のような状態で降り続けている。傘をさして歩く人の姿が見える。


今朝はカフカの日記を紐解きながら、読みながら寝入った。そのせいだろう、酷い夢をみた。わたしが仕事に遅刻しているという悪夢である。このことはメモして日記に書こうとおもったが、でも今は公開している日記です。読む人の目に耐えうる内容かとおもい始め、すると、何もせずにしてしまった。この辺に私の日記の内容の変化が発生してしまっている。自分のためだけだったら、こういうつまらないことでも書き記したんだという事実である。悪夢をそれほど見た経験もない。秘蔵の日記だったら書いていただろう。だが、読む人がいると思うと、くだらな過ぎて書けなくなってきたのである。


年表をみると、あらためてカフカとドイツの関係は深いと思った。彼はヴァイマールにもライプチヒやベルリンにも旅している。フェリーチェとのこともあるし。
ここにカフカの写真がたっぷりついた高価な本のことでもいち枚、添付したいと思ったが、今から外出を考えていて、このノートパソコンのスイッチを切るべきだと思うし、やらなければどんどん時は過ぎていってしまう。


104人のアフリカの女の子たちが帰還できた。自分の意志とは無関係に誘拐されて他者の気分に左右されてしまうという命というのは、まさにカフカの審判を思い出させ、恐ろしいことである。
なんとか自分で選択できても、どうにも出来ない、うまくいかない生涯であるのに。