蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

普通の日記の記述…でも自分への叱咤勉励にやはりなった

起床は午前8時だった。室内気温は14,5度。起きたばかりの体には熱が篭っているので、そんなに室内気温が低いとは感じなかった。それでどころかすぐにバルコニーのドアを開けて外気を入れた。外気温は零下五度であった。
風が強い。


友達に送るための英語の教材をダウンロードしている。そのうちに時間も10時45分を回ったので、テレビのスイッチをいれた。久しぶりに『仮題・文学四重奏』が放映されているからである。相変わらず文芸評論家たちの意見が合致しないところが興味深い。それは日本の芥川賞選考委員会などで評価が齟齬し差が生じてくるのと同じだ。


ただ、肝心なことは自分で執筆することだ。
私と同じような病気を持っていて、その人はあと3ヶ月で死亡すると宣告をうけた患者が、娘の花嫁姿をみたいというので、娘が結婚する相手もいないのに、結婚披露宴を行い、父とおそらくは最後のダンスをしたという、ラヴコメにできそうな事実が早朝にテレビで紹介されていたが、そこまで行かなくてもやっておかなければならないことはしておかなければならない。でなければ手遅れになってしまう。それだけは避けなければならない。