蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

グラスのブリキの太鼓

一昨日は正午あたりまで寝ていた。就寝が午前4時ごろだから丁度八時間ということになるが、そのために昨日はやはり全く眠れず、そのまま徹夜した状態で仕事に出て行った。こんなことがいつまで出来るのかとおもった。もう若くはないのだから不規則は禁物だとおもう。しかし、何かを作り出そうという人は思いついたら、その瞬間を後回しにはできないし、していたら完成できるものもできなくなるとおもう。したがって創作中心主義で、ほかは私自身の健康も考慮はできず、せず気持ちが乗ったときに遂行しなければならないとおもう。


午後五時ごろにまっすぐ帰宅して、興味ふかい王族、貴族のドキュメントが放映されていたので、そちらを見ながら寝入った。テレビの音声で起されたのが二時間後あたりだった。
ついているテレビを私はなかなか消せない。打ち切るために途中でスーパーに行った。帰宅すると23時にグラスのブリキの太鼓の監督版が放映されるということで、やはり深夜遅くまで視聴してしまった。
グラスの文体とか私には馴染めないが、ノーベル文学賞をそれで彼は獲得している。書きたいことはあるが、自分にそんなに時間的、寿命的余裕があるわけではないので、感情的に好き嫌いで裁断したことを書いても読者には得るものはたぶんないとおもうので、やめた。ちょっとふざけた話かもしれませんが、やはり日記というのは自分かってに書いてしまうものだとおもう。最初から日記文学を目指すのならば別であろうけれども。