蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

気分転換しすぎの散歩

あまりにも素晴らしい雲ひとつないお天気だったので、午後二時から家をでて、帰宅してみると五時十分前でした。


気分転換の積もりの散歩でしたが、草稿はすでに大方仕上げてある作品に手を染めるという気持ちには程遠い気持ちになってました。


本屋にも入て物色し、花屋の店先の美しさに打たれ『躓きの石』に暫し立ち止まり、名前を判読し、やはり撮影したりして、長い散歩であり、気分転換となり、そうなるともうひとつの纏まった行為であり、その後では休むしかないという感じになってしまいました。

とくにどこにナチによって、あるいは東欧のナチ協力者によって大量殺戮されて、遺体の確認ができないで、かつて住んでいた住居の玄関前と歩道の部分に埋めこまれた一種の墓石には胸が痛く突かれます。