蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

歪んだ在外日本人のコンプレックス  1991年10月9日

日記たぶん1991年
 十月九日。火曜日。六月から既に仕事のある時には幾つもの
仕事が同時に押し寄せて着てはいた。そこで私は私の親しい
人たちに仕事を回してやったりして来て、恩を貰ったものを返し
たりしてきた。これは一種の友好の印であるし親しさを保持する
ことでもある。最近私はKmさんに仕事が続けてワゴン・リーとド
イツ旅行代理店から同時にしかもまた私の仕事の既にある日に
来たので彼女に回してあげようと電話を掛けたのだった。すると
男の声でハローと言うのが電話の向こうから聞こえた来た。私は
直感的にこれはKmさんのドイツ人の夫であろうと思い、ハロー
、ヘア・Kmと尋ねたのだった。すると向こうは、はいとヤー
をチャランポランに答えてくる。私は相手が本当にKmさんなの
かどうか疑問にも思う一方で、確認をし、ああ、Kmさんの御主
人でしたかといってにっこり出来ると勝手に考えていた。そして
相手がどうも御主人だと確認を取れたら、駄目だと思っていたと
ころだったから、と言うのも先程三十分も前に電話を掛けてみた
時には誰もいなかったからだ。そこで反応があったので嬉しくな
り立て続けに私はまくし立ててしまった。「奥様、十月の何日空い
ていらっしゃるでしょうか」と。Km氏はそれには答えず、起爆剤
に点火するような一瞬の間があったかと思うと、いかにもいらだた
しげに
 「あんたね、失礼な人だね。人に電話するなら、名前をまず言いなさい。名前を言わない何て失礼だよ」
 私は「あっ、申し訳ありませんでした」
 と畏まった上、見ず知らずの人間からいきなり怒鳴られて、怒鳴る方が無礼であ

ると思う一方、誤らなくても良いのに誤り、あたかもKmが私にとって重要なお得意
先ででもあるかのように詫びて私の名前も言った。すると奥にいるらしい奥さんに
向かって大声で怒鳴る声が続いた