蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

SF掌編『織田信長に捧ぐ』

織田信長に捧ぐ                          弓削部 濁


 「白田さん。タイム・マシーンがやっと完成しました。…約束通り、母を返して下さい」


 「待て、まだマシーンがまともに動くか、また、俺に復讐するために奇妙な細工が施されていないか、確認しなければならない」


 それまで皆勤賞も頂戴するほど真面目に勤めてきた、ほぼ意味のない職場も去り数年ぶらぶらする状態であった。いつのまにか腹もでてきて、もともと童顔であった顔はますます人から侮られやすいものにふやけてきていた。しかしこの時の白田のその眦だけは、獲物を見詰める猛禽に似た鋭さに光り、ひ弱な体格と細面の杉山博士を見据えていた。


 「試運転に、これから幕末の時代まで往復して来ようじゃないか。…お前ら二人を連れてな」


 「私と母を…」


 「そうだ。それともマシーンに乗りたくない理由でもあるのか」


 「いえ、マシーンは完璧です。それを最後に私たちを解放してくれるのなら同行しましょう」


 博士とその母には手錠を掛け、自分は寝間着を着て、幕末まで白田は試運転を開始した。


 博士の言葉に偽りはなかった。確かに前近代的な光景が白田の目の前に次々に展開していった。


 武蔵野の大森林地帯にマシーンを空間移動し、隠すと、白田一人が江戸の様子を見に行った。


 噂、いや、歴史の通り、人々はペリーの黒船の大砲の轟音に肝を潰しているていたらくであった。徳川幕府の鎖国政策の為に、たかが数隻の船に日本人も度肝を抜かれているありさまなのである。


 白田は北楚笑むと、急いでマシーンに戻った。


 現代に帰った白田は、約束通り二人を手錠から解いた。


 「杉山博士、良くやってくれた。もう帰ってもいいよ。お前の役目は済んだからな」


 白田はククックックと余裕のある含み笑いをしている。


 博士とその母親は不安になり顔を見合わせた。用意周到な白田が、タイム・マシーンの秘密を洩らしたり誘拐事件の極悪人として彼を訴えかねない二人を、このまま自由にするとは考えられなかった。


 「…どうしたね杉山博士。あんたらは自由だというのが分からないのかね。俺の事ならあんたらが何と吹聴しても結構だよ。誘拐犯人とでも危険な極右帝国主義者とでもなんとでも言ってくれ。現代の警察がいくら騒ぎたてても、俺がここにいなくなってはどうしょうもないだろう。…それにあんたらにそれだけの時間があるかどうか、甚だ疑問だがな。ふふふ」


 「きっ、君イ、君はいったい何をたくらんでいるんだ…」


 腕を引いて黙らせようとする小柄な老母を無視して、博士が挑戦的な眼差しを白田に向けた。


 「ふふふっ、あんたに教えてやっても良いが、あんたは学者だ。なら、あとで本を読んで俺のことを知るんだな」


 「君は歴史に干渉するつもりなのか」


 「ああ、そのとおりだ。もし、あんたやあんたのお袋が歴史の変わった後でも、まだ存在していればの話だがな。その時は、俺が織田信長の軍師として仕え、その後の日本の支配と拡大の及ぶ領域を全アジアやアフリカやヨーロッパそして南北アメリカに決定づけた日本民族の英雄として、俺の名は信長とともに永遠に歴史に遺るだろう。スペインやイギリスの植民地支配に代わって、信長の日本が太陽の没すること無き世界帝国を樹立するのだ。その時、日本史は世界史と同義語になる。そしておまえらの世代が俺と信長に感謝してやまないことだろう」


 「間違いだ。…君だって戦国時代末期の歴史を豹変させれば、その瞬間に私たちと同じく消えなければならないのだぞ」


 「ははは、俺はそれでも満足だよ。自分一個の心と体など、一民族の栄華の前には何でもないと俺は思っている。俺が消えなければならないとしても、その刹那にも歴史が確かに変えられて行くと言うこの上ない快楽を、俺は知り味わうことが出来るんだからな」


 そこまで言った白田は、黒光りのする機関銃を胸板に支えると二人に銃口を向けた。


 博士は母親に袖を引かれて、複雑な表情で山中に建つ白田の研究所を出ていった。


 母は不安な面持ちで訊ねた。


 「あの人は本当に、そんなだいそれた事をやる気なのかね」


 そこで息子は、無気味な笑いを顔に浮かべた。


 「彼はやるだろう。しかし歴史を溯ると言っても、せいぜい鎖国時代の徳川幕府だよ。排他的な体制だ、


 きっと彼の目論見は不成功に終わるだろう。南蛮人の一種として差別され、国から国へ追われるか、監獄落ちだ」


 杉山博士は、エネルギーの貯蔵された卵型バッテリーを二個母親に見せた。白田は現代に戻る意志はないようだが、これでは彼の崇拝する信長の時代にも辿り着けないことは確実だった。


 1945年、第二次世界大戦終焉の夏を迅速に遡行し始めると、白田は合掌し瞑目した。


 そして呟いた。


 「日本の命運を賭けて玉砕した英霊たちよ。この白田大五郎がこの手で、日本を根源から勝利に導いてやるから安心してくれ。合衆国を白人支配の英語圏でなくなり、日本人の日本語による日本の属州にさせてやるからな…」


 計器はちょうど1776年を示した。北アメリカでは合衆国の独立宣言の行われた年だった。続いて計器は1639年をゆっくりと指した。鎖国が家光によって布告された憎む可き年だった。


 それまでタイム・マシーンの目覚しいスピードの為に、窓からは何の影も形も識別できなかったが、急に


 昼と夜の明暗が一秒毎のテンポで見分けられるようになった。計器は年月の単位に変わり、日と時間の単位でカチリカチリと時を逆流している。


 どこか故障を起こしたらしかった。白田は慌てて各計器を点検した。そしてエネルギーのなくなっていることに気がついた。


 「杉山の仕業だな」


 しかし白田は落ち着いたもので、懐中をまさぐり、鶏卵ほどの大きさの白いバッテリーをひとつ取り出すと、空の物と難なく取り替えた。こういうこともあろうかと予備に持って来たものだった。


 そのマシーンも百年ほど更に遡行した後で、再びスピードを落としてきた。


 今度こそ白田は慌てた。空間的には名古屋、つまり尾張に位置していたが、このままでは信長の青年時代まで溯れない計算になって来た。


 彼の死に遅れても、また彼の滞在位置から遠く離れて、他の連中に妙な奴と思われ、とっ掴まってもいけないのだ。その際マシンガンを使って逃れることは可能だが、信長以外の者と拘わり合って、早くも歴史を掻き回したくないのだ。


 エネルギーの貯蔵量と信長の行動を追うと、信長最後の日、本能寺に間に合うことがやっとだと分かった。


 博士を臓腑の煮えくり返るほど憎んだが、まだ、明智光秀の裏切りから救うチャンスが白田には与えられていた。日本の後世の為にその貪欲な征服欲を発揮してくれるであろう信長を救い、積載して来たマシーンガンや爆弾、そして原爆や細菌爆弾の極秘文書を進呈するだけでも、白田が多大な影響を与え、貢献をすることは必至だった。


 本能寺の庭に着ているはずだ、と思い窓外を見ると、黒い瓦礫の山が見えた。信長の死と延焼後の本能寺の光景である。


 白田はのろのろ稼動する計器とマシーンに祈り始めた。


 マシーンの周囲にもうもうと煙が立ちこめ、黒いバラックから火がちろりと赤く噴き出した。


 やがて煙幕が僅かばかり引いたかと思うと、火炎に包まれた本能寺が眼前に現れ、騎兵や足軽の雄叫びや鍔迫り合いがあったが、軍馬もろとも後ろ肢で去っていった。


 明智光秀の襲撃に違いなかった。


 そして炎も煙も兵の屍骸も転がっていない、静寂そのものの本能寺が白田の視界に出現した。それは謀反軍の襲撃前に、とにかく漕ぎ着けたことを意味していた。


 そしてピタッと計器も周囲も停止した。次の瞬間には時間を示す数字の秒針がまともな方向に回り始めていた。


 だが喜ぶのも束の間のことだった。庭の異変を目撃したものと見え、護衛の侍が一人現れ叫び出したのだ。自然な方向に時間も流れているので、白田にはその意味も理解できた。


 そいつは何と


 「亡霊じゃ!」「妖怪じゃ!」


 と呼ばわっていたのだった。


 このマシーンがこの侍にとって不可解極まる物体であることは確かだが、無論その金属の光沢を照り返す形の為ばかりではなかった。マシーンはまだ空中に浮かんでいたのだった。しかも未来の数時間前から飛び火を貰ったらしく、背後と屋根の機部が燃えているのだった。白田もマシーン内部の異常な高温に今更ながら気づくと、慌ててドアを開けた。


 すると数人の寝間着を纏った侍どもが、白田の眼下十メートルほどに駆けつけるのが分かった。


 白田は彼らへ、朗らかな表情を作って呼びかけた。この時の為に何度も練習した台詞だった。


「御注進!拙者は武神、やっ…大和…たけ・る・の尊により、信長様に…はっ、派遣された…」


 これほど酷く紅潮し、あがったのは白田も産まれて初めてのことだった。なぜなら五、六メートルほど前の縁側に身構える、視線の鋭く剛毅な面構えの侍が、すぐに信長だと分かったからだ。才覚と整った容貌を併せ持って、世界の征服王に相応しい男だと一目で感じられた。


 「…使者にて…御座います。…日本の…とっ、統一と…せ、世界の…」


 白田は緊張している自分をどうすることもできなかった。


 それに光秀の攻撃の迫っている今、暗唱して来た演説をぶるよりも、危機と脱出を訴えることが先だという焦りにも駆られている。


 だが、白田は言葉を継ぐ前に、意識が遠ざかって行くのを覚えなければならなかった。織田信長の放った矢が、白田の胸板を見事に貫き徹していたからだ。


 怪物の口にあらわれた者に、勇敢に矢を射込んで挑戦したのではなく、まだるっこしい白田の口を信長は気短に封じたのだった。


 タイム・マシーンもまもなく地に墜落し、最新兵器も重要書類も猛爆発とともに燃え、消えた。


 偵察から戻った兵がその異変を連絡すると、明智光秀は心の動揺から解かれ全軍に号令した。


 「我が敵は本能寺にあり!」


                                    (完)





 このショートショートは私が三十歳のときに書いたものですが、人にみせるとすぐに『戦国自衛隊』という映画に似ていると言われ、あとでその映画をドイツで見たときにちょっと似ているかなと思い悔しい気持ちでしたが、この映画とは無関係に常々思っていたことをSFという形で書いたものでした。
 てにおはでおかしいと判断したところはあとになってさすがに訂正しましたが。当時は星新一の掌編を一冊読み、こういうものだったら自分だって書けると思って、もちろん手書きで書き上げたものでした。若い人からは理解されない掌編作品だと思います。