蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

掌編小説『差別』

   「差別」


                                  弓削部 濁



 「エイッ、ヤッ!」
  僕の体は空中で、風を切って鮮やかに三回転し、揺るぎない堂々たる着地もやってのけた。
  段違い平行棒は、僕のもっとも得意とする種目なのだ。特に、着地には誰にも負けない自信があった。
  だけど、教師が
  「いいぞ! ツカハラと競い合えるほど決まってるぞ!」
  と誉めただけで、他の学生は、パラパラと気のない拍手をしただけだ。
  それも無理のないことかもしれない。
  ここは保守的で偏見も強い、アメリカ南部のとあるカレッジなのである。
 「ツカハラって何だい?」
 青い瞳に金髪の、白人代表みたいな容貌の学生が、隣りの栗毛の学生に訊ねた。
 「ああ、そいつは半世紀も前に、オリンピックのこういった種目で、いくつもの金メダルをかっさらった日本人だよ」
 「ふむ、何だい、やっぱりそういうことかい」
 「え?」
 「つまりこのスポーツは足の短い奴が上手く着地できて得点も稼げるんじゃないか。そんなのを一緒にやるなんて不公平だよ。いくら俺がやっても勝ち目がないのは当然さ」
 そこで四、五人の学生がドッと笑い出した。それは劣等生たちのいつもの愚かで軽薄な笑いだった。留学生の僕が、勉学そしてスポーツに成績優秀なので、せいぜい皮肉でも言って自
分たちを慰めているのだ。科学技術はいくら目覚しい発展を遂げても、人間自身はひとつも変わりはしなかったのだ。
 むしろ、その進歩の結果、世界の圧倒的な覇者の地位から失墜した白人たちは、他の連中がより優れた才能をみせると、僻んで応じるようになったのだ。ことにこのカレッジは低能で柄の悪い連中が多かった。それは僕が遥々故郷を離れて留学にやってきた当時、すでに体で感じ取っていたことだった。
 しかし嘲笑したのは白人ばかりではなかった。その中には黒人もいた。
 「畜生!」
 僕は胸の中で叫んでいた。裏切られた気がしたからだ。
 それは黒人たちの方に、僕はより親しみを覚えていたせいもある。なにしろ僕の恋人はキャサリンという黒人の女学生なのだから。
 …ただし、僕たちの関係はプラトニックなラヴにとどまってはいるけれど。


 午後、僕の胸の鬱屈を晴らしたくて、学生寮にキャサリンを訪ねた。突然で、しかもいつもより早い時間だけど、僕には悩みを聴いてくれる話相手が必要だったし、その相手は彼女以外には考えられなかった。
 ドアの前に立つと、備え付けのカメラが微妙に輝きだした。もちろん防犯用機器であり、訪問者の存在を告げているのだ。そしてドアを半開きにして、すぐにキャサリンが顔をみせた
 「あ、ごめん。入浴の最中だったのかな……」
 バスタオルを纏っただけの彼女の黒い肌を目にして、僕は慌てて謝った。
 「ううん。いいの…」
 キャサリンがそう否定した拍子に、ハラリとバスタオルが絨毯の床に落ちた。彼女は急いでそれを拾いあげたが、僕はすでに彼女の素晴らしい曲線美を見てしまっていた。
 「で、用はなに?」
 「用…?」
 僕はその反応に呆然として、彼女の言葉をエコーのように繰り返していた。僕の目には、まだありありと、彼女の野性的な美の滲んだふくよかな肢体が、悩ましく投影していたからだ
。そして彼女の言葉を、『部屋に入るか、この場から去るか、はっきりしなさい』という決断を迫る催促の意に解してしまった。僕は自分の心臓の鼓動をはっきりと聞いた。
 「せ、精神的なものは肉体的なものに優る、とは人のいつも言っていたことだけれども…いや、そんなことはどうでもいい」
 「え?」
 「キャサリン、僕はずっと前から、君が欲しかったんだ!」
 僕は思い切って、今まで押さえに抑えて来た恋心を吐露した。気持ちばかりでなく、僕の身体も、そのもっとも感じやすい部分が熱く昂ぶってきていた。
 僕はもう、自分がコントロールできない気がした。彼女だって、僕たちの関係がこのままで良いと思っているはずがなかった。
 「……」
 キャサリンは黒く大きな目を、いっそう大きくして僕を見詰めている。まるで気違いでも眼前にみるような驚愕の表情だ。
 僕の脳裏に一抹の疑惑が走った。
 『彼女も僕を差別しているのか? 僕をセックスの対象としてはみていないのか!』
 そこへ
 「なんだ、どうしたんだ?」
 と一人の男の野太い声が、部屋の奥から聞こえてきた。どこの国の人間かしらないが、とにかくアジア糸の若者だった。しかも彼は、すっ裸だった。ダブルパンチを食らったような衝
撃だ。
 そいつは僕をじっくり観察すると、こう言った。
 「こいつがあの火星の方から来たという留学生か。生理学を専攻するキャサリンにはもってこいだな。良い研究資料だ。でも、なんてえスタイルをしているんだ。頭はカボチャみたい
に馬鹿でかいし、足はダックスフンドのように短いし、しかも六本もあるじゃねえか。それに、もう一本妙なのがぶら下がってやがるじゃないか……」


                                  (終)



あとがき 
  古いようで、常に、残念ながら永遠に新しいテーマだとおもいます。そんな思い付きを書いて見ました。作者自身は好きでない題材ですが・・・