蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

思いつき、書き始めたその時の自分が、そのままほぼ完成作品として執筆し終えなければならない

17日の夜半から早朝にかけてひとつの短編を仕上げることが出来た。題名をHとしておこう。
カフカにも一晩で執筆できた作品があるが、わたしはこれまで粗筋を忘れないように書くのが精一杯であり、翌日かそれよりもあとに読み返してみていつもやや絶望気味、落胆気味という結果であった。
その意味は、到底これをエッセンスにして飲めるドリンク、読み物にするのは不可能ではという疑問が、翌日のわたしはもう夢中で書いた私ではないので、批判的であり、ひとつも情熱を抱けないになってしまっているのである。
ある作家の言に、あたくしの作品の書き方は原稿用紙1枚1枚の勝負だとおもっていますというのがあったが、まさにそれだとおもった。
思いつき、書着始めたその時の自分は、そのままほぼ完成作品として執筆しなければならない。そうおもった。あとになっては私が私ではないので、それを書き継ぐには大変苦労を難儀を感じていて、なかなか手をつけないし、極端過ぎる言い方かもしれないが、粗筋執筆中の情熱はもうどこにもなくなっている。
そういうことを念じていたので、最後まで丁寧に執筆した。翌日には仕事も入っているので、やはりもう一度このHという短編を取り上げてみるという気持ちにはなれなかった。仕事がはいってなくても、取り上げる気持ちにはならなかったとおもう。
これはAB型の特徴なのかもしれない。だから、粗筋を一応書き終わったあとでも、やはり同じ態度を自作品に対して抱くので、酷評する側に私は立っていて、もちろんこの粗筋というねたをつかってさらに具体的に作品にしようとか、そこまでいけないのである。批判的な自分が拒否している。
したがって、思いついたらそのまま完成させなければならない。
じゃ、お前は長編は書けないな、と呆れる人もいるかもしれない。私は自分の長編は短編の連作みたいな構成にしようとおもう。


また、執筆できたのは、ネットもできない、外国製のノートパソコンを使ったお蔭であった。駄目な機種なので壊れてもいいという態度で二日間もオンの状態でほうっておけるこころの余裕がもてるところが良い。