蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

あの女の子に、炙られるような苦しい恋心を抱いていた。時間を有意義なものに転化

私が高校生の時にほぼ三年間ずっと憧れ続けていた岩井出身の女の子がいた。その彼女との経緯を第二番目にすぐに書き残さなければならないものとして、手をつけて書き上げたのが2016年であった。およそ290枚の私としては最初の長編であった。ところが読み返してみて推敲の必要な部分が見出され、さらにあとになってまた推敲しなければならない部分が発見されるということを繰り返している。今は、モニターに映じるこの原稿をみるのも嫌になってしまっているぐらいである。
書き残しておきたい原稿なのに、いや、文字を使って作ったエッセンスの塊なのに、それを検討しなおす気持ちにもならない。これは躁鬱の気があるせいなのか? あるいは血液型がABというためなのか。
たぶん、こんなわたしのような人が世の中には多く、創り上げるという執念と根気にかけて、なにも満足のいくものを完成もさせえずに消えていく人ばかりなのではないかと思う。


わたしの創作意欲がこの上なく強くなるのは、仕事という強制的な、労働が迫ってきた時である。そんな時には、いつも後悔する。時間があるときになぜ自分は執筆に貴重な時間をわりあてなかったのだろうか、と。怠惰な性格なために、自分の意志とはあまり関係ない仕事をこれからやらなくちゃならない。ああ、なんてことだ、と。