蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

20250518,19 当日キャンセル午後の3hrs月曜日,20 火曜日

蝦夷リスー岩本れい子大ファン

18日の仕事はありがたいことにFDであった。だが、肉体的に結構疲労していた。厳密には下半身が駄目だった。17日からなんとか添乗員と連絡を取って、スタート時間を8時ではなく九時にと思っていたが、ホテルに連絡を入れたところ、それも初めて聞くホテルだったが、日本人グループは午後八時半以降に来るとフロントの女性は行ってくれた。そんな到着時間までよく知っているものと感心しながら、次に電話を入れると、八時過ぎにすでに到着してNさんは外出してしまっているという返事だった。そのあと、返ってくる頃と思い午後10時頃に連絡を入れたが、今度はいきなり、本当に唐突に私の固定電話も、スマートホーンもインターネットも停止してしまった。できなくなった。こういうことが以前にも一度だけあった。そのときにはでも一時間後にはまた回復していたが、今度は違っていた。メールができないとこれからの仕事が全くわからなくなる。少なくともスマートホーンだけでもと願うのだがこちらも全く回復の兆しがない。ワイファイを入れたり消したりしてみたが駄目であった。せっかくフロントに言伝を頼んだのに、これではTCさんからの連絡も期待はできないことになる。危機であった。だがこれだけはどうしょうもなかった。翌日も駄目なようだったら、どこかインターネットキャフェーでも探してそこから仕事関係の事柄をクリヤーしなければならないという更に面倒なことになるだろう。そんな気持ちで翌日の18日の朝を迎え、ルーターはすでに切って様子をみていたが、そのせいなのか、スマホのネットが稼働していた。10時看護に帰宅してそれがルーターとは無関係であることそ知ったが、・・・・


 18日にTcと7時ちょっと過ぎに玄関口のドアが開いたときにほぼぶつかるような感じで名前を呼ばれ挨拶され、あまりにも驚き悲鳴を上げてしまった。みっともない太く低い悲鳴をあげてTCも目を大きく見開いてわたしの顔をまじまじとみていた。彼女はわたしのスマホに連絡を入れていて、そのときにわたしの顔の入ったロゴマークを見ているので、わたしがどんな顔をしているのか知っていた、既知なのであった。だが、わたしにとっては未知の見覚えもない初老の女性であったのだ。

 彼女が言ったように、わたしのsNSには八時十分発と書いてあった。旅行の手引書のような小冊子にすでに八時出発と印字して配ってあるのでそれを9陣にはしたくてもできないということだった。12時の食事までどの博物館にも美術館にも入らないのに4時間もある。これは前回のStC氏のときと同じように時間を潰すという方向で気持ちでやっていかなければならないのであった。前回はベルリン最大のショッピングモールに入れた、今回は日曜日なので中央駅に行くしかなかった。

 R23ではアイスバインとありながらシュヴァイネハクセが出された。こちらのほうがわたしは好きだが、皮が固くて無理なことは見た瞬間にわかった。運転手の分がないので、そしてTcが自分もそれほど食べられないというので、彼女の分を二人で分けて食べ、ポーランド出身のドライバーにはまるまる1人分の豚足の丸焼きを皿ごと持っていってあげた。それでなくてもグラチスでコーヒーを運転手用に出してほしいとレストランに要求して彼にはわたしが運んであげている。それはメインも同じだった。彼は凄い速さで食べていたようだった。ホテルもお客と同じで朝食も食べてきたのに、凄い勢いだ。体は中肉中背なのに。日本人からすると肥満体で一回り大きいが。

 午後からは簡単なプログラムだった。というか、定石通りだった。SanssouchiとCecilienhofだった。しかもバスはポツダム中央駅の近くを通ったので近くで降りることができた。

 レギオに乗ったが午後4時半頃に来るべきものがアオスファレンというアナウンスがあったにも拘らず定刻通りそのレギオはやってきてくれ乗れた。一体何のためのアナウンスだったのかと呆れた。いつも同じ場所で降りるのでは新しい体験とか、新しいことを学ぶのはできないので、この日は東十字駅で乗り換えようと思った。レギオがそこにもいってくれるから。だが、この駅の構内は表示が不十分でそこの駅からどのプラットホームに行けば右回り回転のSバーンに乗れるのか良くは分からなかった。疲労困憊しているので上下左右に渡されているこの駅の複雑なプラットホームをあるき回るわけにも行かない。そこからどうやって地下鉄七号線に乗り換えたのかもう記憶にない。


 そして早めに眠りほうけて翌日19日の午後の3hrsの徒歩と一般交通機関の観光のためにベットに寝転がった。翌日の午前10時半ごろまで寝ていた。

 ネットを見ている気持ちの余裕もなにもなく、そんなチェックを考えることもなく、支度をしてバスの時間を気にし、地下鉄駅ルードーでは小グループ用のABチケットも買って準備完了できた。あとは地下鉄でメーリングダムに向かっていた。地下鉄の中で初めてメールをチェックして驚かされた。キャンセルになった詫びがJ社のHさんから着ていたからだった。信じがたいことだった。

 彼女にメールを書き、スマホに電話がHさんから着て、久しぶりに彼女の声を聞かせてもらった。いつもながら可愛らしい声だった。キャンセルというのは残念だがその電話では新鮮な気分になれた。なにしろ彼女の声を聞くことができたからだった。ちょっとした会話もできた。二十数年はあったこともなかったろう。

 ルードー駅付近ではェデカに入り、ミルクやカップヌードルオレンジや葡萄を買って帰った。葡萄も食べ方を知っているので買えたのだった。果肉を細切れに粉砕してスムージーとして飲むという方法だったら食べられると思うので。

 そして帰宅すると、松原智恵子の写真の入ったスティックを持ってマグノㇲバスと路面電車の停車場のコピー屋に行き、カラーコピーしてきた。というか印字だった。12枚で8,65ユーロだった。でも、その出来には大いに満足できた。

 帰宅して籐椅子の三人の写真を自分の印刷機で作ろうとしたが、印刷機が稼働しなくなった。今度は印刷機かとがっくりした。いろいろやってみたが、アスㇲ1でも2でもエーサーでも印字はできなかった。それでエーサーは一つ前の更新する前の状態に戻そうとしたが、すると真っ黒くなって、スイッチを切ることもなにもできなくなった。

 だが、翌日には再び稼働してくれしかも印字も溜まっていたのをすべて印刷機が勝手にやってくれた。ハッピーエンド

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向