蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

愛は煌めいて 21 妻ダークマーの恢復(実話)

蝦夷リスー岩本れい子大ファン

 妻ダークマーの恢復


 ここ数日間、わたしが仕事にかまけていた時に、ダークマーはあれだけのコマ状態であったのに、比較的早い、奇跡的な恢復を遂げていたようだった。
 クラドーという地域はベルリン西部の川と森林地帯にあるが、ベンが行くときに車で一緒に行けたので、一人でその病院場所を探して行くと言うことにはならなかった。


 それに、幾度行ってもコマ状態であったので、あまり頻繁に行くその意味もないように感じられた。ましてやわたしには仕事が入ってくれていたので、出来るときにやっておくべきであったし、帰宅してからの来夏との晩から朝にかけての散歩も楽ではなかった。よく下痢を起こした来夏が夜中の二時、あるいは四時にでも外にでたいような眼差しを向けドアを前脚で引っ掻くようなことをすると、危険を感じて首輪と革紐をつけて真夜中の公園に向かって歩かざるをえなかった。そんなときの散歩でもやはり最低四十五分間はかかった。


 自分の病室に入って来たベンの姿に気が付くとダークマーは
 「おっ?」
 という驚きの声を発したそうだった。
 そして数日後には看護師がユーキ婦人(ダークマー)が
 「猫たちに餌をあげなければいけない」
 と思いだしたと言う話も聞いた。雄猫のカスパーもサッシャもとうの昔に亡くなってしまって、ダークマーがもっとも可愛がっているのは雌犬のゴールデンレトリバーの来夏なのだが、まだ来夏のことは全く思いだしもしないようだった。それでもかつて彼女のもとに猫たちがいたということを思いだしただけでも凄い復活だとわたしは思った。


 最初のコマ状態よりも二度目のコマ状態からの恢復のほうが早いようだった。それはまさに神の恩寵のような奇跡的なことだった。
 そんな彼女の反応からわたしはおどけたことを話したことがあった。
 「ある日妻の記憶が完全に戻り、その時に自分がアジア人のわたしと結婚していることを知りびっくりするのではないだろうか……」
 これにはベンもマレフスキー婦人も電話口でわたしから聞いて随分笑ったものだった。
 でも、わたしとしてはちゃんとわたしと結婚していること、わたしたちが夫婦であることをダークマーが記憶してくれているかどうか、それが心配にもなっていた。


 十二月も末、二度目のコマ状態から覚醒してまもなくクラドーの病院に妻をベンと訪ねた。おもにテレビ番組について何か話しかけているベンに比較し、わたしは何も話しかけられないでいた。それは、ベンの手前自分のいつまで経っても下手なドイツ語を恥じたこともある。仕事がら喋る方はドイツに住んでいても日本語ばかりだ。ドイツ語はもっぱら聞くだけ、読むだけのためにあった。もちろん彼女の変わり果てた姿にわたしは黙し勝ちにもなっていた。自分が遅れて帰ってきたばかりに妻がこんなになってしまったという思いがこの時も押し寄せてきていたから。
 妻はベンがわたしと一緒に来ていることを知らされていた。ベンがなにかテレビ番組の話を妻にしている間、わたしはベットに横になったままの彼女に屈むようにして立っていた。市内の病院で見た、顔の膨らみは完全になくなっていて、やはりあれは毒気?を抜くために必要な措置だったのだと思いだしていた。それからわたしは彼女の目の色がこれまで十四年間見たこともない濃い紺青っぽい青さであるのに驚かされていた。だが、その深い輝きを見せている綺麗な瞳はまだ視力を持っていないようだった。
 妻がベンの声の聞こえるほうから視線をわたしのほうに泳がし
 「キヨシ……ヴォ・ビスト・ドゥ(あなたはどこにいるの)?」
 と言って分厚い掛け布団の上にだしていた右腕をあげて宙をまさぐり探すようなしぐさをするのだった。左腕はすでにベンが、妻に「あの世に逝ってもいいんだよ。誰も責めはしないよ」と囁いていたベンが握っていた。わたしも妻の手を掴むべきであったろうけれども、なぜかそれではベンに対抗するみたいで、子供っぽく自分が感じられて彼女の手を取れなかった。しかも、わたしのことを妻が覚えていなかったら、もし見知らぬ外国人という姿しかわたしに認めなかったら、それは妻にとっては恐怖になってしまうだろう。しらない容貌の男が手を握ったら悲鳴を挙げてしまうだろう。
 それでも宙をさぐる妻の手をわたしは捉えた。小さく優しい女の手だった。まったく変わってないと思った。 わたしの手を捉えた妻は自分の胸に引き寄せて抱くと
 「ああ、これが愛なんだわ。これこそ愛だわ」
 と呟いたのだった。腕を差し出したのがわたしであることをダークマーは理解し、愛と言う感覚も忘れずに覚えていたのであった。しかも、わたしの言葉数の少ないことを 
 「なぜ? おとなしくしてるの?」
 と妻は訊ねたぐらい頭はしっかりしてきたようだった。

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向