愛は煌めいて 19 仕事と来夏(実話)
仕事と来夏
妻がコマ状態で緊急病棟のベットに横たわっているということは、もちろんわたしの気持ちの上だけの問題ではなかった。その影響は来夏にも寄せてきていた。
入ってくる仕事はこれまでと同じくこなして行かなければならない。いや、これまで以上の稼ぎをしなければならないとさえわたしには思えた。でも、丸一日、九時間労働がフルディーとなるが、このためにホテルと家を朝と夕方に往復することになる。早めにホテルのロビーに行ってないとまずいので、そのために家は一時間前にはでてくる。とにかく夜遅い空港からホテル、そして朝早いホテルから空港までのトランスフェアーなら合計五時間もあれば再び来夏のもとに帰宅できるが、強欲な競争相手たちが欲しがるフルディーともなると、合計十一時間近くは家を空けてしまうことになる。

この仕事はできるなら断ることもなく常に引き受けたい。収入のためにもやむを得ない。
だが、来夏は?となると、とても長い時間をたったひとりで住居内で過ごすことになる。わたしが帰ってくるのを待つということになる。クラッシックラジオを付けっ放しにして家を後にするがそんなに長時間も外出できないというのは来夏にとってもかなり厳しい退屈さではないかと思う。だが、ドイツ人の世間から孤立して生活しているわたしにはなんのアイデアも解決策も正直浮かんではこないのだった。もともと自宅と日本人客相手の仕事の世界だけで、近所付き合いもわたしにはないし、犬の飼い主たちとの交流みたいなものもなかった。そしてこの皺寄せは間違いなく来夏に来てしまうのだった。
ただひとりベンには頼れそうな気がした。彼には、ほぼなんの根拠も動機もなく、一万(約百三十万円)ユーロを最近プレゼントしていた。それは、わたしのせいで彼の母が入院することになったのではというわたしの良心の呵責がそうさせたものだったが、あれほど奇妙な喜びの声を挙げて感激するほど来夏に好かれているベンだから、わたしが長時間、来夏を散歩に連れて行ってあげられないような日にはわたしたちの住居の鍵も彼はもっているし、一度ぐらい十五分でも三十分でも外に連れ出して貰っても良いのではないのかという気持ちがわたしにあった。わたし一人ではどうしても出来ないし、ひとに、ベンに頼っても許されるような気がしていた。
夜明け前にベルリンをでてゲッティンゲンに行き、そこの学生寮の日本人の若者たちを迎えに行くという仕事があった。これは十一時間どころの仕事ではなかった。支払って貰える実働時間は短いのであるがやむを得ないことであった。
こんな時にはベンに連絡を入れて来夏の散歩の依頼をするしかなかった。
二か月に一度ぐらいの間隔だったろうか、どこかの街に早朝にドイツの超特急列車で駆けつけ夜の帰宅も遅くなると言う仕事の入るときにはベンに散歩を頼んだ。だが、仕事先と病院の間に来夏とわたしが住む住居があるにも関わらず、やがてベンはあまり気の進まない意思を臭わせるようになり、また
「自分にも子供がいるし家庭というのがあるから」
と堂々と理由をつけて拒否するようにもなった。
近所付き合いもなにもないわたしはとても困った。しかしなすすべもなく、結局、そんな時には来夏にずっと住居にひとりで十五時間以上もいて貰うしかなかった。
そして有り難いのだが、とても今の状態では迷惑なスルーガイドの良い仕事が入った。三泊四日でベルリンからドレースデン、ライプツィッヒやバイロイトなどを宿泊しながらミュンヘンまで観光する仕事だった。
これにはわたしも本当に困った。どうしてよいのか分からなかった。それで、アレックスに家を空けるので来夏を数日間預かってもらえないだろうかと訊ねてみた。もちろん礼金は払う。
小柄で小太りのダークブロンドの髪のアレックスはタクシー会社で働いていた。右腕が小児麻痺のせいだったか使えないので、自動車免許を持っていてもタクシードライバーとしては使って貰ってなくて、その代わりドライバーたちにいろいろなアドヴァイスを与えたり、どの場所でお客が待っているからそちらに急行してくれとかという振りあての仕事をしている。ベンとは同じ学年か学級で高校生時代は面識があったようだった。その縁で、ダークマーの病院の通院もアレックスの中古車で行われるようになったし、わたしのポツダム半日観光のドライバーとしてもつくことになった。ただし、タクシーで観光するという建前なので、アレックスは会社のドライバーにタクシー車を借りて運転するということだった。旅行会社はあちらこちらのタクシー会社に案件を提出し、一番安く引き受けてくれる会社を獲得している。アレックスもやむなくこの条件を飲んで仕事を引き受けてくれていた。ただ、彼はタクシードライバーではないので、知り合いのタクシーを使ってベルリンからポツダムの市内の運転をしてくれていた。そして驚いたことに、その収入の半分はシャンパンカラーとドライバーたちが名付けているベンツ中心の黄色いタクシーの持ち主に払わなければならないということだった。その話は妻のダークマーに通院の車中で零していた。
しかも、それだけではなかった。大手のヨーロッパに支社をおくような会社ではない旅行会社から、直接わたしに三、四日間の仕事が入ったことがある。それはどこかのツアーでわたしのガイドを受けたグループのなかにいたお客夫婦が、個人旅行で再びドイツ旅行をプランしたときにわたしのことが浮かび、オーダーをしてくれたのであった。こういうツアーでちょっと大変なのは、わたしが現地ヨーロッパでのレストランやバス会社、そして博物館の切符などを調達しなければならないという、半分、欧州在留の旅行会社の支店が行っているような仕事もしなければならないという事態だった。
だが、ひとつ良かったことは、半年に一度のポツダム五時間観光の短時間しか使ってあげられなかったアレックスを数日間にわたって依頼できることだった。彼も良いアルバイトになるということで喜んでくれた。これは、妻の通院で活躍してくれているアレックスへのわたしからの感謝の気持ちでもあった。もちろん、通院にかかる費用とかお礼はちゃんと別に妻が出しているが、今度はちょっとした大口の収入の入る仕事だった。
だが、後になって、アレックスから妻は信じられない話を聞いてしまっていた。アレックスとしてもやはり腹立たしいことではあったから妻に漏らしたのであろう。それをわたしに伝えた妻も、やはり多少の不満と驚きに口にせざるをえなかったのだと思う。
「ベンがアレックスに三分の一を要求しているらしいの……」
彼女の大きな青い目は焦点もあわない状態で眼前の宙を浮遊しているようだった。半分開いたままの唇にも横顔にもすぐには信じがたいと言った表情があらわれているようだった。
「三分の一!」
わたしは驚き、怒りも覚えてちょっと強い口調で彼女の言った言葉を繰り返していた。
「キヨシと上手く行っていたら自分に来た仕事だから、だからそのぐらいは当然だと言うことらしいの……」
わたしは
「そんな馬鹿なことが」
と言いたかった。だが、ベンはダークマーが大事に育ててきた愛息子だった。もう十年近くも前に、ちょっと批判的なことをベンについて発言したときに、妻が凄まじい口吻で防御したことをわたしは思いだした。わたしが触れてはいけない人物だった。だが、今は、その母親にあたる妻が不安に感じ始めているようだった。
「それで、アレックスはなんて言ってるの?」
「彼はベンに払うと答えたらしいわ……」
わたしはただ
「三十%以上も……」
と呟いただけだった。心のなかでは、それって日本の暴力団なみの態度ではないかと呆れかえると同時に怒りも覚えていた。
個人のタクシーを借りて仕事させてもらうのではなく、今回はアレックス自身がヴァンを貸してくれる会社に行って検査し借りてきている。ベンは一切何もしてない。
しかもこのツアーのためにアレックスは来夏に関して相談に乗ってくれて、最近飼い犬に死なれて淋しがっている老女をしっていると紹介してくれた。しかも、ベルリンの郊外のブランデンブルク州のツォッスンまでわたしと来夏を乗せてその老女の家に行ってくれた。
小柄で短髪の老女は言葉数が少なかったが、アレックスが前もって話をしてくれていて、数日間来夏を預かってくれることはわたしも知っていたが、どうしても自分がこれまで飼っていた小さなスコッチテリア系の犬のことが胸の中に深く突き刺さっているようだった。来夏は燻した黄金のような毛足を長く伸ばした幼稚園児ほどの大きさの犬だった。タイプが全く違っていた。
数日後に来夏を迎えに再びアカマツの森林と砂地、草地が広がるツォッスンに行ったが、来夏には、急に迎えに来られてわけがわからない感じがあった。老女は、
「ゴールデンレトリバーの来夏が自分から離れたくないのよ」
と憐憫と同時に自信のある声音で低くゆっくりと言ったものだった。そんなことを聞くと来夏がちょっと可哀想に感じたが、アレックスの話では、また犬を飼いたいがやはり死んでしまった犬と犬種も同じで酷似してなければならないということらしかった。
その話を聞いて、わたしも、犬と言ったらゴールデンレトリバー以外はちょっと考えられないので納得していた。
そんなふうに何から何までやってくれたのがアレックスだった。だが、ベンはわたしにとっては抵触してはならない厳格な法律のようなものだった。わたしからは何も言えない。
翌日病院にコマ状態の妻を訪ねると、妻はまた別の部屋に移されたということだった。そこにはまだ十代ではないかと思われるとても若い丸顔で華奢なトルコ人の看護婦がいて、主にベンに向かってまるでわたしたちがあまりダークマーと関係のない一般訪問客、もしくは様々な病状ケースを学習中の研修生たちででもあるかのような明るい弾んだ声で彼女独特の感想を述べるのだった。
わたしには良くは聞き取れなかったのだが、ダークマーについていた看護婦がちょっと変なことに気が付いた時にはすでに患者が呼吸をしていなかったというのであった。それがどのくらいの時間であったのかは分からないが、
「五分(もしくは十五分間)も酸素が欠乏してしまうとゲヒヤーン(脳)には傷害が始まるから……」
と声を抑えて笑顔で、それが取って置きの秘密ででもあるかのように話すのであった。まだ、十代にしかみえない彼女の言った酸欠状態が何分だったのかわたしには聞き取れなかった。
わたしとベンは帰宅の車中で、寡黙がちだった。わたしはでもリハビリがあるからとそこに希望をかけるのだった。顔が真っ青になっていたベンがその時何を思ったのかはわたしには分からなかった。でも、十代の明るいトルコ人娘が放った話はショックには違いなかった。
翌日地下鉄と定期路線バスで病院に行くと、すでに、わたしが金を出してあげた自家用車でベンは来ていた。
妻の眠る緊急病棟の病室のドアは開きっぱなしで、絶えず看護婦が出入りしていた。なかには意味もなくアラームが鳴りだすモニターの音を消すために入ってくる者もいたし、心電図とか脈拍図のモニターだろうか、それをチェックに入ってくる看護婦もいた。ごく事務的に成すべきことを定期的に行っているという雰囲気だった。マシーンの鈍く低い雑音が鳴り続け、ラジオとか音楽などが流れているわけではない。ダークマーに意識があったら、ただの雑音しか耳にできないということになる。その中でベンが軽い背凭れのない椅子を妻のベットの脇に置いて座り、コンコンと眠った状態の妻の手を取り例のトラアンスというのを実行しているのであった。ただし、この時には何かを呟いていた。
「ムッター(かあさん)、あんたはもうこの世にやり残した責任も仕事も何もないんだ。あちらの楽な世界に逝ってしまってもいいんだよ。……誰も何も文句も批判も言わないよ。気持ちよくあの世に逝ってしまって善いんだ。誰も責めないよ……」
わたしはこのベンの妻に屈みこんで囁き続ける言葉の意味を知り驚愕し、次に凄まじい怒りに襲われた。妻の一人息子であってもこんな恐ろしい囁きは許されないと思った。妻の耳元に息もかからんばかりに同じ言葉を囁き続けるその頭を殴りつけたい衝動に襲われた。ベンはわたしが来ていることに気が付いてもこの呪いのような囁きをすぐにはやめなかったし、やめることも忘れているようだった。それだけなにか大事なモラルみたいなものがとっくの昔に麻痺してしまって疑ってもいないようであった。
ベンが椅子から立ち上がって部屋の出入り口に立ち背伸びを始めると、彼に聞かれてもかまわずわたしはまったく真逆の囁きを妻の聴覚に注ぎ始めた。
「ダークマー!わたしだ!キヨシだ!……もう何でも良い!どうなっても良いから、とにかくわたしのもとに戻ってきてくれ。何でもいいから、戻ってきてくれ。あの世なんて忘れて、頼む戻ってきてくれ!わたしのために。来夏だって待ってるんだ……」
わたしは初めて舞台に立った野暮な役者のように、かなり朴訥な調子で妻に復帰をお願いしていた。それがどんな状態であってもそんなことはまったく問題ではないと彼女に言いたかった。そしてそれを彼女に知って貰いたかった。
毎月一度か二度の割合でダークマーはタクシー、もしくはアレックスにお駄賃を払って来夏とベルリンの南方のシュテーグリッツ区の獣医ベルカまで通っていた。その予約の期日が近づいたので、わたしたちはその妻の信頼を得ている獣医の診療所を訪ねた。
ダークマーはその獣医が同じシャーロッテンブルク区内から南に移ってしまった時に、同じ区内で新しい獣医を探すようなことをせず、タクシー代もアレックスへの報酬もさらにかかる遠い場所のこの同じ獣医を続けて訪ねていた。ちょっと金がもったいないと思ったが、それをわたしが口に出して彼女に言うことはなかった。来夏についてもベンと同じように触れてはいけない、疑問や猜疑心を抱いてはいけない聖なる存在だから。健康上の理由もあったが、妻は旅行も別にしたがらず、贅沢な服飾品なども求めたことも高級レストランをねだることもなかった。出会ったばかりの頃、ダークマーの夢はわたしとヤーパン(日本)に行くことだった。だが、それさえも体が弱いために彼女は諦め、もう口に出すこともなかった。それどころかわたしとの子もベンの凄まじい反対と嫉みのために放棄しなければならなかった。彼女の唯一の贅沢は来夏のことで金を惜しまないことと、息子のベンの王子様的扱いだった。
獣医ベルカでは、子犬の白く温かで純朴な赤ん坊来夏を、馬鹿に若い中高校生ぐらいにしか見えないアシスタントの女の子たちが、ひっきりなしに触りまくっていた。笑顔が絶えない彼女たちの顔の皮膚には触っている行為がわたしに見られて恥ずかしいのかちょっと赤みが注していた。わたしにはそれがどういうことなのか理解に苦しむぐらいのしつこいタッチのしかたであった。子犬の体は常にマッサージが大切とでも言うことなのだろうかとわたしは疑問に思ったり、あるいは、飼い主であるわたしが傍にいるので、いかに自分たちが小動物を大事にしているか、それを示すために腹や背中や頭を触りまくっているということなのかとわたしは解釈しようとした。
だが、もしかしたら彼女たちは本当に動物が好きで絶えず触っていなければ気が済まない。触ることがやめられないのだとも最後には思った。
ベルカ氏は初老の頭の小さく殆ど髪の毛のない、かといって綺麗に剃り落としているわけでもない背の低い静かな男だった。顔は油紙のような溌剌というものがどこにも感じられない皮膚で、どこか蝋人形という印象を受けた。こういうタイプの物静かで妙に優しい感じの男が、女性に自分のコートの下に隠した下半身を露出してみせて逮捕されるという映画にでてきたことをわたしは思いだしていた。外観でその性情まで決めつけるのはひどい偏見だが、あまりわたしの知らないタイプのお爺さんだった。
純粋種の来夏の体は脆かった。よく関節を痛めていた。わたしは
「来夏には雑種犬の抵抗力も粘り強さもないんだ。血統書付きの純粋種はやはり温室で育てられた美しい花のようなもので、ちょっと外に出されるともう抗ってサヴァイバルするとかは出来ないんだ。もともと人工的にベストな環境で生まれ作られた犬種なんだからこういうことは分かっていたことだ」
そんな厳しいことを、診察用のテーブルに乗せられている温かな白い縫ぐるみのような来夏を見つめながら思ったものだった。
この日も左前脚の膝の関節のためにやってきたのだった。
獣医は左前脚の膝の関節をゆっくり折り曲げて様子を見、右前脚に注射を二本刺した。そして肛門の両側にあるアナルドリューゼ(肛門腺)を押し絞った。ダークマーからこの作業が犬にとってはとても重要だということは聞かされていたし、それがかなり強い不快な臭いを放つと言うことも聴いていた。
獣医のベルカ氏はほとんど表情の変化も見せず、次々になすべきことを遂行していた。肛門腺の液体は跳ね出て獣医の袖を捲った腕にかかった。嗅ぐまいと呼吸を止めていたのだが、納豆か汚れた靴下の爪先のような臭いがしたような気がした。彼は傍においてあったテイッシュペーパーを掴むとなんでもなかったことのように顔色も変えずに拭った。それから肛門の中に管を差し込んで二度ほど白い液体を注入した。なにがなされたのかわたしにはわからなかったが、来夏の体を良く知っている獣医であることは確かだとわたしは信頼してその作業の様子を伺っていた。
九月七日。仕事にでたあとで、果たして電気とかコーヒーマシーンのスイッチとかちゃんとオフにしてでてきたであろうかと不安になった。能力もたいしてないくせにいろいろなことを同時に考えあぐねてしまっているので、なにか見落していたり、消し忘れてしまっていたりしてしまったようなことはないだろうかと自分に自信がなかった。
帰宅時には目を皿にして遠くから住居の様子を窺った。窓が黒こげになって破れてないか、外の壁まで黒煙でおどろおどろしい汚れを残してはいないか。そして来夏は無事だろうかと速足になった。
すべてはいつもの通りだった。来夏も無事だった。もっと自分を落ち着かせなければならないと思った。ひとりで生活するというのはこういうことなのだとも思った。
ガイド関係の仕事のために同僚の一人に留守番電話を入れた。心のなかは妻のこともあり不安定だが、仕事がないとさらに頭のなかがもやもやしてくるし、意味もないことを空回りして考え続けるので、現実に必要不可欠な収入を得る手段でもある仕事を現実的に行う方がよほど妻や来夏、そしてわたしの精神的な健康状態のためにも良いことなのだ。これは間違いないことだった。
電話が鳴り受話器を取るとマレフスキー婦人だった。ダークマーと三日後にはクリニックに一緒に入院するという約束をしていた彼女だった。電話をされてわたしから全くなんの連絡も彼女にしてなかったことを思いだした。だが、わたしは妻の細かい綺麗な文字で書かれている小さな住所録とか電話番号をメモした小冊子などどこにあるかも分からないし、覗いたこともまったくない。彼女に連絡しようと言う思いつきさえ全くないままだった。
妻が倒れてからおよそ十日間経過していた。
誰からか妻の入院のことを聴いているらしく
「その後、ダークマーの容態は?……少しは良くなったの?」
入院すればもう大丈夫とみんなは思うらしかった。確かにわたしたちにはそれ以上のことは、祈る以外のことはできないし、医者に任せるしかないことも確かだった。
マレフスキー婦人は、ダークマーのためには『看護スティション』に入ることが医院側から勧められているが、すでにベンがそれは断ったということを彼自身から聞かされていた。ベンは
「治る見込みも薄いのに、その『看護ステイション』というのは金がかかるだけだから……」
ということであった。わたしはなんだそんなことで拒否したのかとまたベンに対して腹が立ってきたし、支払うのはいずれにしてもわたし一人なのでなんていうことをしたのだと呆れた。でも、そのステイションはすでに満杯で新たに患者がはいる余裕はないとも後にベンは話していた。
一応わたしは「なるほど、そうなのか」
と思ったが、もしかしたらそれはベンの嘘だったのかとずっと後になって思った。
来夏との公園への散歩のあと、充電もしなければならないし、携帯のスイッチを切ろうと思った。するとベンから新しいメールが入っているのに気が付いた。
とても短い内容だったが、それこそわたしが熱く強く待ちわびていた内容だった。
「母が目を開け、俺のほうを見た」
メールを読んだ後でまだ午後十時前でもあるのでベンに電話した。
映画などでは目を瞬いてイエスとかノーと答える患者の話をだしたりするが、妻のダークマーにはそういう反応はできないということだった。たぶん後頭部の脳細胞が酸欠のために破壊されてしまい、医者の話では視覚が侵されてしまっているのではないのかということだった。
「ダークマーの目が見えなくなったのか……」
彼女の視覚がなくなったのかという新しい事実はわたしにはショックだった。そして妻ダークマー自身にとっても、視覚障害を彼女が知ることになればとても悲しいことに違いなかった。それを想像すると遣る瀬無かった。ダークマーにこの喪失が損失として気が付かれないことをわたしは祈った。目が見えなくなるなどということはわたしには想像を絶することだった。
ベンとの電話が終わってからふとわたしはこの酸欠による視覚障害という症状がおかしいように思われた。
救急車で病院の緊急病棟に搬送され車の担架から病院が用意した車輪付きの重そうな低い位置の担架に移されるときダークマーは
「ヒッ、ヒールフェ」
と小声だが助けを求めていた。つまり高みに横たわる担架の位置から横目で低い位置に並べられた担架に移されそうになった時に「落とされる!怖い!」
という恐怖の感覚も、視覚もまだ彼女は身に着けていたのである。ということは入院してから酸欠状態を経験し後頭部の脳をやられたと言うことになるのではないか。わたしはそう思って飽きれもし怒りも覚えた。
再びポツダム五時間の二人のお客の個人観光があり、わたしはアレックスと連絡を取った。サンスーシー宮殿入り口のツーリストインフォセンターのトイレにお客が行っている時にアレックスがぼそっとわたしに呟いた。
「ダークマーが倒れる前の日、もし、あの日に僕が医者に言われた通りすぐにでも入院するべきだと一押ししてあげていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない……」
わたしは、アレックスには罪はなく、あれは妻の判断であり、住居内で倒れることになった原因はわたしの不甲斐なさ、愚図な態度が招いたものだと後悔しているので、彼に
「いや、そんなことはないさ。君にはまったく罪のないことだ」
と言ってあげるべきであった。
だが、妻があんな状態になってしまっている今、わたしには説明のできない運命への怒り、神への不満みたいなものが膨れ上がっていた。この罪を誰かになすりつけ分けたいぐらいな気分にもなっていた。わたしはアレックスに否定してあげなかった。胸のなかで
「そうだ。君だって自分を責めるだけの責任はあるぞ」
と勝手に利己的にこの時決めつけていた。それがとても感情的なのは分かっていたが。
ここでさらにアレックスはこう言った。
「ダークマーが入院をすぐにしなかったのは、ライカのことがあったからではないかなぁ。……僕にはそんな気がする。ライカのことが心配なのでいきなりこの場で入院したほうが良いと医者に言われてもできなかったのだと僕は思う……」
事実は、マレフスキー婦人とすでに三日後には一緒にあるクリニックに入院することが決まっていたので、いきなりカイザー・ヴィルヘルム記念教会近くの病院に入院しなさいと勧められてもそれは出来ない話であったことだとわたしは信じている。来夏とは関係ないはずだった。
だが、来夏のことをアレックスに言われてみて、わたしもちょっと考え始めてしまうのだった。
「来夏は、わたしたちにとっていったい何なのであろうか……?」
そんなことを考え始めてしまうのだった。
数十年間も顔を合わせずトラブルとかが生じないようにお互いというよりも、被害者側に常に立っていたわたしの方がベンを避けて働き生活してきた。それを来夏が登場した途端に、普通にベン夫婦とわたしの間が淡く繋げられた雰囲気になった。子犬の来夏はわたしたちの間を行ったり来たりしたものだった。まさに象徴的な登場の仕方だった。
そして妻に何かが起こった時には嫌でも、気持ちが進まなくても息子のベンに連絡を取らなければならないことはわたしにも分かっていたが、来夏の散歩ということもあり、よりベンの力を借りるためにわたしからお願いの連絡をとるようにもなった。そういう意味では来夏はこの妙な家族の人間関係を結ぶための素晴らしいキューピッドでもあった。
もちろん、このように良いことばかりではなく、来夏のお蔭で危ない目にあったことがわたしはもちろんだが、妻にもあった。
子犬時代を終えて成年に達した来夏は力の塊にも変身していた。革紐のリードを掴んで散歩をするのだが、歩道のマンホールの小さな穴とか、植物の植え込みから灰色のネズミでもあらわれることがあると、それは凄い勢いでいきなり来夏は突撃しだし、わたしも妻も路上とか公園で転倒させられてしまったことがあった。
妻のダークマーなどは身長百六十ほどで大きくはない。中肉中背という体格だ。そして病弱ということもあり、いきなり渾身の力を集中させて来夏が走り出すとどうしても引っ張られ倒されることが重なったようだった。犬の躾が大事だから子犬の時から教育はちゃんとやらないといけないというのが妻の言い分であった。誰かがすでに飼っていた犬とか、成長した犬では躾もなにももう不可能になってしまっている。だから子犬のときから飼わなければならないということだった。
だが、来夏にはそんな妻のやろうとしていた躾はほとんど意味をなさないようであった。
それでも、ある日、どういうタイミングであったのかは分からないが、息子夫婦が子供を連れて遊びに来た時に、 こうため息交じりに言ったそうだった。
「来夏が死んでしまったら、あたしももう生きていたくはないわ」
それはあってはいけない言葉だとわたしは思った。ベンも同じように感じたからこのダークマーの言葉をわたしにも知らせたのだと思う。
確かにわたしは仕事ばかりをやっている感じで、妻とどこかに旅しようとかレストランで食事をしようとか、そういうロマンチックなことは一切していない。でも、それは若い時からそうだったし、年を取ってからは彼女の体調もさらに悪くなり、夢であった日本への旅も健康上諦めていたし、外食も好きなことではなかった。ましてや来夏が加わってからは、中心に常に来夏が据えられて回転していて、ますます決まった来夏との散歩コース以外はどこにも行かなくなった。食事にでることもなく、旅行もしない。もともとしてなかったことが今度はゼロの状態になったのだった。実際妻のごく親密な相手は来夏だけになったのも頷けることかもしれなかった。結果的にそうなっていった。
晩になってドアがコンコン静かにノックされた。その力の具合は階段を挟んだ反対側に住むツィマーマン婦人に違いなかった。
それでもわたしはドアの覗窓から廊下を窺った。やはり彼女だった。ツィマーマン婦人は小包を胸の前に抱いていた。わたしに来た小包だった。小糠からだった。しかも
「フランス産のチーズはいかが? 食べるでしょ?」
と言って、白地に簡単な赤か黒い文字で品名の印刷された柔らかい三つの塊を手渡すのだった。柔らかいチーズはいかにも脂肪分たっぷりという気がして買うことも食べることもあまりなかったが、彼女の好意を無碍に断るわけにはいかなかった。そのまま驚きを隠しながら笑顔をつくて受け取った。
「奥さんは、容態はいかが?……少しは恢復してきた?」
わたしの知る限りいつも単刀直入に質問を投げてくる人、物事を自分なりに断定する人だった。
「どうにかダークマーは音に反応し、目も開けているのですよ」
とわたしは答えた。目は開いているだけで、何かの音とか、ひとの動きに反応するわけではない。ただ静かに閉じたり開けたりするだけの反応なのだった。
ツィマーマン婦人はそれでも大変喜び、自分の息子のロマンが交通事故で重体であったときに、やはり同じような容態だったが、ヘッドホーンをつけて音楽を聞かせてあげたりしていたら歩くこともできるようになったし、お喋りもできるようになったわというのであった。確かにそんな事故が彼女の息子にあったと遠い昔にダークマーから聞かされたことがあった。そして普通の健常者のように歩いてツィマーマンさんを訪問する若い息子、このロマンという青年が喋るのも耳にしていた。
わたしは、ダークマーがリハビリ次第ではよく恢復して歩行も会話もできるようになるに違いないと想像できて、すぐにベンに電話を入れようと思った。だが、電話が鳴ればまず彼の妻のアンニャも子供のフィンも驚くだろうと思い、気持ちを抑えた。でも、この次に話す機会があったら、この隣人の息子の話をしてあげようとわたしは気持ちが湧きたった。
ツィマーマンさんから実際に体験した良い話を聞いたせいもあったろう、わたしに食欲が忽然と沸き起こって来た。好物の油っこい唐揚げものが急に食べたくなった。来夏も一部をお祝いに食べるだろうと思った。
冷凍庫には鮭の切れ身があったし、パン粉の衣をつけたチキンナゲットもあった。そしてさきほど良き隣人のツィマーマン婦人から頂いたフランス産チーズは柔らかいままでは喉をとおらないので、オリーブ油をたっぷり垂らし入れたフライパンに入れて焼いた。フライパンの中は到底一度では食べきれそうもない料理で一杯になり華やかなものになった。健康に良いとは絶対に言えない料理となった。妻が傍にいたらとんでもない量でもあるし、驚き飽きれたことであったろうと思う。ましてや愛犬来夏にはそのなかの何もあげることは許さなかったであろう。わたしの方がこの点に関しては大分枠が緩く甘かった。来夏が自分も一緒に食べたくて尻尾を振り期待たっぷりにわたしを仰ぎ見続けるとわたし一人では食べてはいられなかった。
ましてや妻の未来の恢復を祝っての小さなパーティーだった。わたしはカリフォルニア産の五ユーロほどの、でもわたしが飲むワインとしては上等なガロのカバルネソーヴェニヨンの蓋を回して開けて二杯ほど飲んだ。希望が胸のなかに揺蕩い、ほどよい酔いも手伝って気分は最高だった。脂肪分たっぷりな食物のあとでのアルコール度十三%のワインは胃袋も歓迎してくれているはずだった。
翌日、外気温が気になりバルコニーにでてみた。九月の十日。まだ晩夏の名残があったが、ひんやりとした朝が気持ちいいぐらいだった。視界には植え込んである薄いオレンジやピンクや黄色の綺麗な花の松葉ボタンがあった。スーパーの入り口にバルコニー用の花としてこの日本で見たことのあるようなのを発見して買ったのだった。すぐにいつも体験する『似て非なるもの』なのではないのかと不信感に襲われたが、それでも購入して植え込み、ドイツ語の表記ポォアトラークレースヒェンからわたしの秘密兵器である『独和言林』で調べて『松葉牡丹』であることが分かった。とても嬉しかった。しかも、何かの拍子に折れてしまったのを節約家のわたしは諦めず捨てずに茎から切って土の中に差し込んだことがあるが、それが数か月後の今も存命中であるのにいたく感激していた。
その松葉牡丹を目にして、なんか、急にすべてが好転していくような予感がして嬉しい気分に見舞われた朝だった。
部屋に戻って、昨日の小包のお礼を小糠さんに書いてファックスで送った。中には日本のお吸い物などが入っていた。
「賞味期限が切れてしまったものばかりなんですが、食べられないものでもないし、手伝って貰う積りで送りました……」
というメモのような手紙も一緒に入っていた。
ファックスを送ってから三十分ほどして電話が鳴った。番号が小糠さんのものだったので、また長い電話になるのは困るし、必ず電話のあとではわたしも疲労困憊してしまっているので取らなかった。妻の容態を心配してくれているのかもしれないが、たいていわたしには関心のない話が一方的に話し込まれるので受話器はとらなかった。
この日、以前からベンに言われていたこともあり、地下鉄で市内の女性弁護士の事務所に行った。ベンが何を求めているのかわたしには良くは分からなかったが、手っ取り早く言うと、わたしと妻が存命中、もしくは死後に財産をベンに譲り渡す場合、どのようにベンが相続税を払わずに済むか、その上手い法律上の抜け道がないかどうか、そういうことについての相談であった。
一時間百ユーロを取られた。支払う段になりベンが税金で落とすとか何かをすでに考えているのかもしれないと思い彼に
「…これは……?」
と顔を見ながら訊ねたが、ベンはただ一言
「ああ、やっといてよ」
と言っただけだった。
弁護士との会話はベンの思うようには運ばなかった。そういう法律に抵触するようなことは彼女は一切口にはしなかった。そのうちにうまい話しにならないと知ったベンはこの女弁護士が比較的美しい女性だったこともあり、声音も変えて厚めの瞼を上げ細めの眼差しを大きくして見せると、個人的な質問などに話題を変えていた。脈があったら自分のものにでもしたいようなモーションをわたしの目の前でかけるのであった。
あとで、馬鹿な付き合いをさせられたものだとわたしも気が付いた。ベンはわたしと妻の財産をそっくり遺産相続税とかを払わずに手に入れる手立てを探していた。そのための弁護士訪問であったのだった。
数日後、ガイドの仕事から戻り、来夏と散歩を一時間ほどして戻り、ハウスの入り口に差し掛かった時に一階の窓があき隣人のツィマーマンさんの赤毛の耳元でカールした髪と白い顔があらわれ、声も大きく妻の病状を訊ねられた。あんなに大きな声で言われたら歩道を歩く人たち皆に妻が入院していることを知られてしまうじゃないか、とちょっと迷惑に感じたが、隣人の姿を見た来夏はその瞬間から喜びの吠え声を間断なくたてていた。だからわたしの低く小さな声も彼女の声も周囲にはあまりはっきりとは届かなかっただろうとちょっと安心した。妻のことはあくまでもプライベートに属することだという気持ちがわたしのなかに染みていたから。
「見舞いにいけるような容態になったらあたしにすぐに言ってね」
窓から顔を勢いよく出して声をかけてきたのと同じぐらいリズミカルに内側に消えた。彼女は会社の保険を利用して上手く鉱泉地にでも保養に行けたのか、減量にも成功したように体の動きも声も軽く明るかった。クレバーな社員たちだったらそれぐらいの有給休暇は獲得して保養地に休みに行っている。ただちょっとだけだが、顔を引っ込めた時に一抹の暗い影が差したような気がした。妻のダークマーと彼女はそういえば、話をするときに、距離を置いたズィー(あなた)ではなくドゥー(あんた、君)でお互いを呼ぶ仲になっていたから。
晩になってベンから良い連絡があった。看護婦の話によると、妻は音にだけ反応を見せるのではなく、話しかけると血圧も上がるというのであった。その反応は間違いなく復活の兆候をあらわしていた。とても良い知らせだった。
彼との電話でちょっと怖いと感じたことは、ベンが自分の家庭で必要な金のことをしばしば話題に出し、助けてくれると嬉しいんだがと畳みかけてき始めていることだった。しかも、どのくらいの収入がわたしに入ってくるのかそれも知りたがった。観光ガイドとか通訳などの仕事は結局はフリーランサーなので決まった給料などはない。だが、彼は平均額を知りたがった。面倒くさくも怖くも感じたので、わたしは適当な額を言って彼を煙に巻いたが、ベンはベルリーナ・フォルクス銀行の金庫には相当額の黄金のチップも保管されているし、株も八万ユーロ相当のものがあるしと独り言のように受話器の向こうで呟いていて、しかも、他に彼が知らない財産がどこかにあるかどうかもわたしの口から聞きたがっているようだった。
ダークマーはわたしと知り合った頃にすでに健康を害していた。二十八歳ぐらいのころには三人でドイツ南部のオーバーシュタウフェンでのんびりとした十日間の休暇をとったことがあったが、そのとき急坂の多い丘や畑道をサイクリングしたものだった。だが、ほとんど自転車をダークマーは漕げなくて樹木の根元などに座り込んでしまってわたしを驚かせたものだった。しかもこの病弱の最大原因は明らかに喫煙であったが、その樹木の根っこに座る休憩でも妻は煙草を吸わずにはいられないでいた。
だが、先月に倒れた原因は遅れて帰宅したわたしにあったという負い目があった。だから彼女の一人息子のベンにはその分済まないと言う気持ちもあり、この前もなんの理由も動機もなく、ぽんっと一万ユーロの現金を彼に手渡していた。それはベンがまだ車のローンを返済できないでいるとわたしに零していたからであった。わたしを反抗期のベンから守るために選んだ夜勤であり、家庭内別居であったのだが、それについてもやはり普通ではない生活であったので、そんなことへの詫びという気持ちもわたしの中に動いていた。
車を持ち、家には妻と赤子がいる彼だが、病院によるのは案外楽なことだった。わたし以上にひとりで病院に行くこともあるようだった。その時に新しい結果があらわれると連絡もわたしにしてくれるので、それがわたしにはとても嬉しかった。ダークマーの不幸がわたしとベンを繋ぎなおしているような感じだった。
数日間宿泊しながら行うスルーガイドの仕事のような一番お金になるツアーこそ回ってこなかったが、そこそこに良い仕事が回ってきていた。ほとんどが宿泊無しでベルリンとポツダム、そして空港とホテルの送迎の仕事であったが、それは今の来夏とふたりっきりの状態ではもっとも理想的なものだった。
仕事があると毎日の進行も早かった。ダークマーの容態は少しづつ良くなっていくような兆候もあるし、わたしも落ち着いて来夏と留守を守り収入を得るように地道にやっていくしかなかったことも確かだった。
夜明け前、例えば午前三時半とか四時に来夏を連れて真っ暗な公園に散歩にでて、ハンブルクやハノーヴァーに駆けつけ夕方になってから帰宅するときには、もう十二時間以上も家にいて凄まじい退屈を凌いでいる来夏があまりにも気の毒なので、スーパーに寄って来夏の好物のチキンのソーセージを数本買ったり、鳥ハムも、そしてたまにはトルコのケバブも買って、一緒に居間で食べたりした。帰宅後にはすぐに来夏と散歩を優先し、その後でこのご馳走を来夏と二人で食べるのだった。これらの大好物を食べた後では来夏はドアに駆けつけて引っ掻くなどということはまずなかった。それらのご馳走は来夏の胃腸とも相性が良かった。
仕事中もふとお客に自由時間などが与えられてこちらも一人になると住居に残してきた来夏のことが思い出されて急に可哀想にも不憫にもなる。妻は少なくとも看護婦や医者たちがいて見張られ面倒を見てくれる人たちがいるのでその点では心配ないが、来夏はクラッシックラジオ以外に聞こえる物とてない。わたしは彼女がただ寝て時間を過ごすことを祈るばかりなのだった。そのために帰宅してから朝まで四回も短い間隔で散歩に出てあげたりもして、今度はわたしが大変な思いをすることにもなったりもした。
翌日の十一月十二日にはベンが車でわたしの住居によってそれから病院に妻の容態を見に行くことになっていた。彼が忘れないようにわたしは一応電話を入れた。するといきなり
「留守番電話をきいてないのか」
と言う言葉が撥ねっ返ってくるのだった。
どういうことであるかというと、ダークマーが呼吸していない状態でいたのを看護士が発見したということなのであった。もちろん、すぐにレアニマツィオーン(蘇生)作業を行ったということであったし、現時点ではシュタビール(安定)した状態であるというのであった。
だが、わたしは腹が立ってしょうがなかった。なぜそんなことが起こってしまうのかと。しかも緊急病棟の中にいろいろな装置に繋がれていながらなのである。患者を監視する幾つものモニターとか装置があり、この仕事に慣れた看護婦や医者がいるのになぜこんなことが発生するのか。憤懣やるかたないとはこのことだった。
一度は敵対関係にあったドイツ人ガイドのベアーテと二台口でベルリンからリュベックまでの一日旅行を担当した。あれだけわたしを攻撃しドライバーたちにもわたしへの批判を吹聴していたのに、今度はわたしを褒めそやしおだててガイディングの仕方、コツ、そして日本語の漢字の読みなどの単語を幾度も質問してくるのだった。あんなにわたしの仕事を奪おうと罵倒し続けてきた者が掌を返すように体を寄せてきていろいろおねだりしてくる。そういう者たちがわたしには理解できないのであるが、それは日本人の中にもいるし今に始まったことでもなかった。
トーマス・マンのブッデンブロークハウスなどを撮影して、グループはガイドと別れてハンブルクにそのまま向かって行った。わたしも遅い列車でベルリンまで帰ってきた。次の日はベンの車でベルリン西部にあるクラドーのクリニックに行くことになっていた。妻はそちらに移されていたから。
八月二十二日に倒れ救急車で搬送されてから、少しは恢復に向かっているように見えた。それがどのくらいの時間か不明だが呼吸を止めていたという妻の状態。それがどういうものであるのか知るだに恐ろしいことだったし、腹立たしいことだった。
この病院の移転が妻ダークマーにとって本当に良いものなのかどうかも今のわたしには分からないし、信頼も出来ない気持ちだった。
四十代の頬と顎を薄い鬚で覆った長頭で長身の白い服をラフに体に引っ掛けた医者をわたしたちは呼び止めて妻の容態について幾つか質問してみた。ベンとわたしの抽象的な「妻の容態と恢復」についての不安の滲んだ質問に、医者は遠慮なく思うところをはっきりと言ってのけた。
「リハビリをしても脳がやられているし、死ぬ時まで看護が必要になるでしょう。……保険がどのくらい払ってくれるか分かりませんが、あなた方にかなりの負担がかかるのは間違いないでしょう……」
わたしは歯に衣着せぬ医者の言葉に、それを理解するために一瞬戸惑ったが、すぐに
「それは、問題ありません。わたしがすべて持ちます」
そんなことをちょっとむきになって強く言っていた。頭の中では、本人には毎日十二ユーロほどの食費が残るだけであとは患者の看護費にあてられるというドキュメントをテレビで見たことを思いだしていた。すっかり黙ってしまい蒼褪めていたのはベンだった。ベンは医者の予告に言葉を失ったようだった。
ベンのその沈んだ俯きがちの顔を見たわたしは、息子のベンにも妻の看護費の負担が課せられるのだなと思った。だから、彼はみるみる顔から血の気を無くしているのだと感じた。
二度目の病院内での妻の呼吸停止状態は十二分間も続いていたとひとりの中年の看護婦が付け加えていたことをわたしも思いだしていた。患者のごく個人的な秘密が意外と簡単に病院内を飛び交っているのに少し唖然とした。日本の病院のほうがもっとこういうことに関してはプライバシーが守られ厳格に扱われているのではないのかともぼんやりと思った。でもわたしとしては妻の病状については今すべてを知りたかった。たとえそれが不確かなことであったとしてもなんでも貪欲に知りたかった。
クラドーの病院はベルリンの中でも市の中心から大分離れた地域にあり、そこに行くときにはわたしもベンに完全に依存していた。一人でそこまで行く膂力が、仕事と来夏のこともあり、ちょっとわたしにはなかった。というか、車もわたしが買ってあげたようなものだったから、ベンが行くときには途中でわたしの住居によって連れて行ってくれるのは当然だろうという気持ちもあった。
だが、後で、ベンは一人で、わたしに呼びかけもせずに、あらたにコマ状態になってしまった妻を車で訪ねていることが分かった。ベンと話をするときに、
「この前行った時には」とか
「昨日の母さんの様子は……」
と言う言い方があったからだった。わたしの脳裏には、最初のコマ状態の時にトラアンスと言いながら、妻の耳に
「この世にはなんの義務も責任もない。安楽になにも考えずにあの世に、あちらに逝っても良いんだよ。誰も責めはしないよ」
とベンが繰り返し話しかけ囁き続けていたのをぞっとする気持ちで思いだしていた。
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