蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2025-01-01 水曜日 『僕たちの相思相愛』

蝦夷リスー岩本れい子大ファン

2025-01-01 水曜日 『僕たちの相思相愛』


 最終的な起床は14時15分。外気温は6度。風が強いのに曇天。
 89kgV。で大ショック。
 年が明けてI村氏に新年の挨拶をした。相変わらずの威張った言い方で、なんでもやらないから仕事も来ねえんだよとわたしの態度を非難していた。諫めていたといってもいいかもしれない。それは、魚の上手い部分だけを取ろうとするN-H-Y糞婆や、N-S-Nのようなぎょぼ蛙たちがますます真ん中の上手い部分ばかりを旅行会社の担当者に話し込んで、交渉して獲得し、前後のTransferとかOne Point Serviceのような手間暇かかって収益の少ない仕事を他の人の良いものにさせるのだが、その人の良い馬鹿にわたしはなりたくはないのである。やってあげたあとで自己嫌悪に陥るから。でも、I村はそんなことも無関係でやらなくちゃだめだと言うのであった。彼も78歳ぐらいにもなるからサヴァイバルの条件は他人よりも厳しいと考えているのかもしれなかった。でも、社会扶助とか受けていて、わたしが払っている850ユーロの保険費も彼は国から払って貰っている。ほかにもいろいろやっているようだから、家賃も350と安いところに住んでいて、わたしよりも全然支出は少ない。わたしのほうが現下の状況は厳しいところに立たされているのだが。
14:52 2025-01-01


 I村はP○Gの仕事で年末年始のコンサートツアーなどではE川さんやN-H、K鍋なども活動しているということを話していて、わたしを駄目だ駄目だと葉っぱを掛けてくれている。なんと絵画館にはつい先日はいったというのであった。あそこではわたしも好きだから二時間近く説明をしているというと、1時間しかやっちゃいけねえんだとかれは呆れて感じで非難した。そして一体なにをそんなに喋ることがあるのか気になったようで、右側のギゼの絵はどのように説明しているのか訊ねるのだった。まず、ポーランドの商人の肖像画であることを言うと、彼はすぐにいや違うよと言いかけて、ま、そうだと批判を止めた。そして作者のフルネームをわたしに訊ね、どのへんまでわたしが知っているのか出し抜きで試験するのだった。ホルバインというと、彼は違うと言おうとしてまた、ま、そうだと勢いを削がれたようにため息交じりで認めたが、フルネームを求めた。わたしは2024年に一度だけ絵画館に入っている。が、説明するには50ユーロのライセンス料金を払っていただくことになってしまうとお客様4人に説明すると、日本語のオーディオガイドはないが、わたしの勧めもあり英語を借りて入って二時間近く彼らは過ごしていた。それだけの時間を過ごすと言うのは実は絵画の好きな人たちだったのだとあとで思ったが、でも金は節約したかったようで、ということでわたしは入れなかったし、説明もしてない。一度も実際には絵画館には入ってないのであった。それに比べてI村は少なくとも二回は入館している。彼のほうが新鮮な記憶をもっていて、この絵画館に関しては有利な立場にあった。だが、わたしが二時間説明しているということに対してはショックを受けたようだった。それで、その内容を探りたくなったのだ。
かれはギゼの絵のテーブルとかになにがあるのかとわたしに問いただしていたが、わたしはその質問を一蹴し、あの絵では天秤とか手紙とかスタンプとかと言うよりも、一種のお見合いの絵なので、カーネーションの赤い花が三本あるがそれがもっとも重要なのだというと、彼は三本?そんなだっけかなというレベルであった。人の一生の変遷をその三本であらわしているのであるが、赤い色は愛情をあらわしていて、最後まで赤く消えることがないということがもっとも重要なメッセージであるが、彼はそれを考えたこともなかったようだった。いったい、この人は、おそらくK鍋なども同じだと思うが、どんなひどい気の抜けた説明をしてきているのだと笑いたくなる思いだった。
 かれがいくつも聞いてくるので、わたしからブリューゲルのオランダの諺がぎっしりつまった絵画があるが、いくつの諺がはいっているのかという質問をしたが、彼は答えられないでいた。そんなものだと思った。
15:12 2025-01-01


 初夢。
 比較的長時間に亘って寝ていたので夢は見た。夢と言うか悪い思いでのような記憶だった。
 小会社を空港で迎えた時に、ドライバーのトルコ人が電話連絡するとすごくご立腹で、今現在どこにいるのか、空港に向かっているのか、向かっているのならばあとどのくらいで到着するのか、そんな質問に対して、ごく常識的な質問なのだが、自分にはプライベートな時間だ、電話なんかするなと取り付く島もない。到着の50分ほど前だから、すでに気持ちは仕事に誰でも向かっているはずなのに、煩いという態度なのであった。しかも後になって電話しても上記のどの質問にも答えようとしない。なので、こちらに住んでいる日本人派遣員が「バスはちゃんと来るのか? 連絡はついているのか?」
 という質問に答えられないのである。しかも、K○○社の担当の肥満のおばさんがわたしのスマホの番号を間違って表記しつたえていたようであった。それにも連絡がつかなかったと二人の派遣員は怒りをあらわしていた。
 結局、翌日の観光開始の朝、電話がわたしにはいり、首になったことが伝えられたのだった。
 わたしへの完全な腹いせ処刑と言う感じの各種だった。しかも、馘首されたことを知らされた状態で午前中はポツダム観光をさせられた。そして食事はにこにこラーメンを社長の一言でわたしも一緒にとるころになったが、午後ベルリン大聖堂の前でN-Hと交代ということになった。そのときに、わたしにはもう関係ないのに大聖堂のチケットのためのVoucherとかは彼女はもっているのかどうか訊ねると、言われたばかりだからなにももってきてないとぼんやりした回答なのであった。このお婆ちゃんの発言はでも間違っていて、朝の8時半前には電話が彼女にも入っていて、承諾して準備を整える時間はたっぷりあったはずなのだから、Voucherをもってない、なにももってきてないというのはおかしいのである。本来ならば、八つ当たりで見せしめに切られたわたしは文面通り、大聖堂の前でバトンタッチして、帰るだけのことだったのだが、一緒に聖堂のなかにはいって切符売り場でVoucherをだし、切符に代えてあげ配ると言う、至れり尽くせりをしてから、馘首されたことは発言せずにそこで別れた。お客は、ここで交代することになってますというわたしの説明になんの疑問も差し挟まずに、手を振っったり、目でちょっと下の下に位置するガイドのわたしをみて、ぼーとしてただ笑顔だけは仮面をつけたように絶やさないN-Hのあとに従ってドアの奥に消えて行った。


 話は年の移り変わりの真夜中に代わるが、I村に今年の抱負はとかける言葉もないのでいって見ると、彼は以外にも
 「小説でも書こうかな」
 と呟いた。ドキュメンタリーをしかもドイツ語で書いたろうという彼の意気込みはこれまで聞かされたことがあったが、小説と言う言葉は初めてであった。
 「ヒットラーとヒロヒト?」


 と訊ねると、彼は「まぁ、そうだ」
 と答えた。その浮かない声音から、いや、違うなとわたしは思った。おそらくドイツ語で書くと言う野心があまりにも至難の業なので諦めつつあり、テーマも実は全く違うものであるし、実は浮かんでもいないのかもしれないと思った。漠然としたものなのかもしれないと思えた。ただ、ドキュメントよりも小説と言う作り物のほうが簡便なのに違いないと挫け始めているのだろうと、そんな気がした。彼のように、すべての彼のエゴイズムを結集してものごとを成し遂げようとしてできるその姿勢にも弱音がでてきたという感じだった。
15:37 2025-01-01


 西村俊彦による太宰治のダス・ゲマイネを録音、傾聴。
 どう考えてもこれはドイツ語の卑俗とか卑劣とかという意味だと思う。津軽弁と南部の方言の組み合わせの可能性がウィキに書いてあるが、書いたウィキ自身もそれを信じてはいない。太宰は南の方言をだいたい知らないのだから。むしろドイツ語でタイトルを決めたかったということで間違いはないと思う。
 この作品が先駆的で前衛的で面白いという奥野健男の評価が紹介されていて、ちょっと楽しみだ。
 17:11 2025-01-01


 小説を書くかというI村の呟いた言葉が同じよように創作を心がけているわたしにはひっかかってくるが、でも、実際に書き始めることは楽しいし簡単だが、ではそれを作品にまで昇華させるとなるとどうなるかというと、そんなに簡単ではない。作品の整合性とか描写とか文章などなどこまごまとした問題が沸き上がってきて、うんざりしてしまう。
 うんざりしないためには、三島の言うように原稿用紙一枚一枚の勝負という姿勢が一番良いのだと思うが、そこには凄まじいエネルギーの集中ができるという三島の能力が関係しているからとも思う。太陽光線をレンズのような能力で収斂させ、紙もものも発火させる能力が彼にはあるのだ。単なるお宅にはできないことだろう。あの執念はわたしにはない、残念だが。でも、意志でもってやるしかないが。
17:22 2025-01-01


 『ガイド合戦』は憑かれたように読み推敲をして、体が疲れ精神的にも疲労を覚えたので翌日になって続行しようと思いアスス一号から離れたのであったが、あれからもう一週間ほど時間が経ってしまった。継続できてない。あの続きのなかに感情移入できず推敲にも取り掛かれないのである。
 代わりに昨日は、
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 岩本れい子さんとの『僕たちの相思相愛』が津軽の最後の章のたけとの再会の場面を読み、聞いていて再び書きたいと言うモチベーションを感じたが。夾雑物と思える事柄、 私を恋してくれた芙美子さんやこちらが恋したみつこさんなどのことも前の出来事として書き、それから本編の岩本れい子さんとの話に入ってもいいのではないのかと思ったのだった。純粋に彼女との出会いだけでは、逆に強調できない、心にひっかからない作品となるのではないのかと思ったりしたのだった。
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17:32 2025-01-01


 抹茶ラッテを飲みコーヒーをブラックで飲んだ。4時間近くも食べてないせいだろう気分が悪くなってきた。それでもう一杯抹茶ラッテを解かして飲んだ。今朝の体重計の結果がショックだったので、できるだけ食べる時間を先送りしようとなんとなく自分に課しているのである。
17:36 2025-01-01

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向