蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-11-08 金曜日 Asus299ユーロ A

蝦夷リスー岩本れい子大ファン

2024-11-08 金曜日 Asus299ユーロ


 起床は本当は午前7時頃だった。昨夜の就寝は午後10時過ぎであり、十分眠れた感じだった。だが、寝酒としてビールや赤ワインを飲んでいたお蔭で早めに就寝できた感じだったが、朝になって目が覚めても、起きれるような体調ではなかった。まだ、体も心もベットの布団のなかにいることを要求していた。
 それから、たくさんの夢をみた。中には、これまで見たこともないような三十代後半で、目が普通に調和も取れた大きさで、肌も綺麗で唇も豊かな女性が、顔を近づけてわたしになにか話しかけていたが、そのまま近すぎると思ったときにはすでに彼女の唇とわたしのとが擦れ、キッスになっていた。目が覚めてから、彼女の口からは温もりも臭いもまったくしなかったことを思いだし、典型的な夢だと笑ったが、でも、日本の女性であったし、いったいなぜそんな夢をみたのか考えても答えはでなかった。
 妻の亡き後、わたしはもう11年間一人の女性も触れていない。変過ぎる。


 起床したのは午後0時半ごろだったか、1時半ごろだった。おそらく後者だろう。
 なにかしなければ、時間の無駄かもしれないが、BVGを使用しなければ気が済まない。99ユーロも払っているのだから、と。


 この近くにあるらしいコピー屋に行ってみようと思った。162号のバスで行けるはずだったし、午後八時までオープンしているということだった。
 途中のヘス牧師というバス停で乗り換えができるということであったが、R駅まで行き、そこから乗り込もうと思った。だが、18分もまたなければならないと知ったので、グロピウス・バッサージュのほうに地下鉄でいくことにした。
 そこでKFCのホットウィングㇲを食べた。辛さは感じなかった。なのに、その深夜になってから五回はトイレに急がなければならなかった。もうほんとうにピリ辛でもわたしは駄目なのだと知らされた瞬間だった。
 そこのショッピングモールのメディアマルクトでは、誘惑に勝てずに入り込み、とうとうもう一台、ノートブックを買ってしまった。繋いだだけで壊れてしまった、サ○ソンや、ケーブルが繋いだだけで壊れてしまったと○○バは避け、いやもともと棚にはなかった。わたしが眺めていたのは廉いものが並ぶ棚であったし、故障せずに頑張ってくれているアソスにしたのだった。これで三台も持っていることになる。
 仕事が翌日からあるので、箱に入れたままにしておくことにした。まだ開いて色々やりたくないのだ。もし稼働が難しかったらどうしようという不安もあった。わたしの能力ふそくでであるが。


 翌日の仕事は9時だが、とうとう眠れずにベットのなかで4時間もんもんとしていて、大聖堂や壁について、またベルリンのガイドブックの簡単なのに目を通していたが一向に眠気はさしてこなかった。それもそのはず午後1時半まで夢を見ながらねていたのだから。
 06:29 2024-11-09


 肩パンを水にいれて、バルコニーに運んだ。そのときに水滴でもコンセントの繋ぎの部分に垂れてしまったのであろう、壊れていた。あとでわかったことだが。


 それから、この日の晩はガザックに対して口座レポートの送金した文字のある部分をスキャナーし、それをまた印刷して封筒にいれた。12月と来年の1月の分の家賃も印字して封筒にいれた。あとは翌朝に投函するだけだ。こういう事務仕事も一応帰宅してからやりおおせた。
 まったくできてないのが、引っ越しの書類とかのことだ。
06:34 2024-11-09

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向