蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

🐿️美空ひばり ③悲しい酒(1966年) - 145万枚

蝦夷リスー岩本れい子大ファン




美空ひばり 悲しい酒



2012(平成 24 年) - 美空ひばり / ひばり13歳 アメリカで歌う!

🌠三人娘の時代

美空ひばり(1954年)

1954年、『ひばりのマドロスさん』で第5回NHK紅白歌合戦に初出場した[注釈 4]1955年には江利チエミ雪村いづみとともに東宝映画『ジャンケン娘』に出演したことを契機に、「三人娘」として人気を博し、親交を深める。但し三人の映画出演のギャラは、はっきり差がつき、ひばり一本750万円、チエミ300万円、いづみ150万円だった[21]。当時のひばりは映画界で最も稼ぐ女優だった[21]。 

1956年、ジャズバンド小野満とスイング・ビーバーズ小野満と婚約。その後、この婚約は破棄となった。初の那覇[注釈 5]公演を沖縄東宝で行い、1週間で5万人を動員。離島からのファンで那覇港は大混雑した。

1957年1月13日浅草国際劇場にて、ショーを観に来ていた少女から塩酸を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院した[22]。現場に居合わせたブロマイド業者らによって塩酸をかけた少女は取り押さえられ警察に引き渡された。犯人の少女はひばりと同年齢(19歳)の熱烈なファンだったというが、ハンドバッグに「ひばりちゃんの美しい顔をいためねば承知できない」というメモを所持していた[23]。この事件を切っ掛けにひばりは田岡にボディーガードを要請し[24]、代わりに興行権を神戸芸能社に委ねる[24]。その後、歌舞伎座公演に復帰(奇跡的に顔に傷は残らなかった)。また、紅白の裏番組として放送されていたラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の『オールスター大行進』に出演していたため出場していなかった紅白歌合戦に3年ぶりに出場し、出場2回目にして渡辺はま子二葉あき子らベテラン歌手を抑えて初めて紅組トリ(大トリ)を務めあげ、当時のひばりは既に芸能界における黄金期を迎えていた。

1958年4月1日、

自分の掛替えの無い青春、初恋、愛妻物語など回顧的な傾向